最近はとんとオシャレには無頓着になった。
しかしSNSではこんなのが流行ってるだとか若者の間ではこんなのが格好良いとかはスマホに流れて来ることがある。
しかしそれが流行ってるからオシャレと鵜呑みにするのもいかがなものかと首を傾げたくなるようなものも結構みられる。
最近冬になるとコートの袖口にタグを付けっぱなしにして着ている人が結構居るが
あれはいただけない。
ブランド物やカシミア生地を使用してるからってそれをわざわざ周りにひけらかして歩き回るのがオシャレ?
私には名札をぶら下げて街を歩き回ってるようにしか見えない。
ニューエラのキャップのシールとかオフホワイトのスニーカーのタグとか全部そう。
そこに美は無い。
あるのは売る時に少しでも高く売れる様に商品タグを残してあるという節約思考でしかないのだがそれをオシャレであると捉えてしまう思考は全く本質を見抜けていない思考停止としか言いようが無いのだ。
大方若者の流行りなんてものは一部のカリスマ性のある人物の真似事から世に広がっていく。
スタイリッシュな人がやってたからそれを真似たら自分もスタイリッシュに見えるのではないかという単純な思考でやり始めるのだが当然その精神性は引き継がれずに上っ面の真似事だけが世に広がり、そしてマス化して廃れるの繰り返し。
この前娘がmp3プレイヤーが欲しいとか言い出した。
どうやらSNSで見たらしいのだがそれがエモいと言い張っていた。
しかし今更mp3プレイヤー?
絶対使わないだろうから全力で止めた。
mp3プレイヤーに有線イヤホン付けて音楽聴いててもあの人素敵とは絶対ならない。
元々素敵な人がmp3プレイヤーで音楽を聴いている姿が素敵なのはmp3プレイヤーが素敵なのではなく単純にその人が素敵なのである。
そこを履き違えてはならない。
磨くべきは上っ面の流行りを追う事ではなく人間性や精神性なのだ。
私も若い頃にはそういう流行りに振り回された事があるから気持ちはわかるんだけどね。
私らの時代だとスーツの袖口ボタンが飾りではなくちゃんとボタンとしてボタンホールが造られている本切羽とか内ポケットの周りまで生地で覆われているお台場仕立てが高級スーツの代名詞みたいな風潮がありましたが、末期には安売り店のスーツもそこだけ取り入れて売り文句にしていた。
でも本質はそこじゃないよね。
お台場仕立て本切羽だから素敵な着こなしになる訳ではなくサイズ感とか皺にならないようにきちんと手入れしてある事の方が本質でありもっと言えば本人が素敵にならなきゃ素敵な着こなしにはならないって事。
まわ若いとそれが分からないんだよね。