連休2日目。今週はずっと雨予報だ。
転職先の社長さんから言われているので、僕自身は健康には全く興味はないのだけれど、とりあえず入社前健康診断を受けなければいけないので、明日にでも受けようと思って以前受けたことのある近所の医院へ行ったら、健康診断の受付を4月まで一時中止しているという。
困ったなぁと思いながら、とりあえず予定通りシネマネコさん、12:25上映回を鑑賞しに行った。
いつもの人が、いつも以上に素敵な笑顔で迎えてくれて、いつものB-5のチケットを発券してくれて、そのうえ送別のプレゼントまで貰ってしまった。
4月1日からいきなり熊本行きというわけではなくなったようなので、またすぐに来れそうな気もするけれど、この人のこうゆう素敵な気遣いが、シネマネコさんの魅力になっている。

『Ōmecittà(オウメチッタ)』
青梅の町の一角で数人の高校生が「青梅に映画館ができることを願っています」と声をあげる。

写真家シャンタル・ストマンは、フランスにあるようなミニシアターを日本で探していた時に、友人から【青梅】という名前を知った。
新宿や渋谷の雑踏の中、複数の人に訊ねてみても【青梅】という場所を知らないと言われてしまう。
首都東京の人には知られていない町、青梅。
シャンタルは、名前しか知らない青梅という場所を訪れてみることにするが、東京駅から青梅に向かう電車を探すのは“冒険”だ。
シャンタルは“よそ者”という感覚を大切にしていると語る。
初めて訪れる場所が“よそ者”に与えてくれる印象は、その瞬間にしか感じられず、その後の数時間の出来事は、その最初の印象を補足するものに過ぎない。
青梅に向かう電車の中でも、意味のわからない言語である日本語で会話する人々や、聞こえてくる音、匂いなどに感性を委ねていく。
そんなシャンタルがたどり着いた2017年の青梅駅。
そこには映画看板が飾られ、昭和レトロな雰囲気が演出されていた。

【青梅】に流れる時間は非常にゆっくりで穏やかであり、都内の忙しない喧騒とは違い、人々が時間を大切に過ごしていると感じたという。
ほとんど人が歩いていないこの町では、すれ違う人との一瞬さえ大切な時間なのだ。

その町の中にあったレコード店【マイナー堂】。
その雰囲気を見たシャンタルは、一瞬で青梅に魅了された。
この町には、音楽や芸術を愛する気持ちが溢れていると。

シャンタルはその後、青梅での最初の友人となる【はこ哉】のしずえと出会い、青梅の町について教えられる。
青梅の町に飾られている多くの“映画看板”は、かつて大映、青梅キネマ、セントラルという3つの映画館があり“映画の街”と呼ばれた名残を伝えている。
また【カワスギ陶器】の老夫婦は、映画が娯楽だった頃の思い出を話してくれる。

女子高生の杏夏との出会いは、シャンタルにとって重要なものになった。
外国人のシャンタルが立っていると、高校生たちが道に迷っているのではないかと声をかけてきてくれる。
彼女たちは、なぜ青梅に映画看板が飾られているのかを知らない。
杏夏が歩く住江町の道。杏夏の視線の先にあるものをシャンタルは感じ取っていく。
シャンタルにとって青梅の風景は野外の博物館のように思えても、彼女には、気に留めることのないただの壁であり、日常の中に溶け込んでいる風景の一部でしかない。
シャンタルに問われたことで杏夏は映画看板に目を向けるようになっていく。
そこにある多くの映画を彼女は知らないし、青梅で生まれ育った親も語ることがなかったという青梅の町の映画看板だけれど、彼女の生活の中に、その映画は映画看板とともに存在するのだ。

それら映画看板について横川さんは「こんな場所に、ジェームズ・ディーンがいまもいるんですよ」と喜々として語る。
そこは駐車場の片隅。
横川さんは、商店街活性化のために映画看板の設置を決めた人物だ。
そんな映画看板が多く展示されているのは【昭和レトロ商品博物館】の一角であり、シャンタルは“世界で最も小さな映画の博物館”だと感じたという。

そうして何度も青梅に通ったシャンタルは、青梅の映画看板が【板観】という人物によって描かれたものであることを知った。
そして映画看板師久保板観を訪れたシャンタルは、お互いに言葉はわからないながらも通じ合い“あなたを待っていた”とお互いに思ったのだ。
板観は、近所にあった映画館の看板を見て育ち、鞍馬天狗の絵を描いたりしていたが、中学時代から大映へ自分の絵を売り込みに行き、映画の看板を破ってきては絵を学び、また売り込み、何度も断られながらもついに映画看板師になった。
映画は1週間ごとに作品が変わるため、看板も1週間もてばいい。
大映だけの看板を描いていた頃は週に3枚で良かったものが、やがて青梅キネマやセントラルの看板を任されるようになり、週に7枚描かなければならなくなった。
映画全盛期。看板の絵が上手かろうが下手くそであろうが、観客は来たという。
やがてテレビが娯楽の座を映画から奪っていった。
青梅にあった映画館は、火事による再建費用不足や、観客数の減少などによって1973年に全てが閉館となった。

青梅で開催されている“アートフェスティバル”の時に横川さんは板観と出会った。
当時の板観は、商店街の商店の看板を描いていたが、いわゆる“失業”状態にあった。
そんな時に横川さんに言われて映画看板を再び描き始めたのだ。
1994年、新たな観光の目玉として青梅の町に板観の映画看板が飾られた。

2018年10月。
シャンタルはアトリエに戻り『Ōmecittà』という写真集のために写真の整理を行っていたが、そこへ連絡してきたしずえが“Bad news”だと言った。
同じ年の2月には板観が亡くなっていた。
そして台風24号の被害によって青梅から映画看板が撤去されたのだ。
それは歴史を捨てるということ。シャンタルは板観への想いを馳せた。

これによってシャンタルの撮った写真は、青梅の歴史の証拠写真となったのだ。

杏夏は映画看板のなくなった青梅の町を歩きながら「寂しい」と語った。
寂しいだけでなく、そこで出会った古い映画や俳優に、自分よりも若い世代はもう触れることがないことが、哀しいとも語った。
しずえも、開店からずっと飾られていた看板がなくなったことを哀しんでいた。
そして映画『Ōmecittà』の構想がシャンタルの中に広がっていった。

シャンタルが知る青梅は、ほんの一部でしかない。
かつて人々が溢れ、商店街が活気に満ちていた頃の姿をシャンタルは知らない。
映画館があった頃の青梅を見てみたかったというシャンタル。
そして2020年。
写真集『Ōmecittà』が完成したが、パンデミックにより来日できず、友人たちに直接手渡せなかったことを悔しそうに語るシャンタル。
その写真集は、はこ哉に集まった関係者にしずえから渡された。
そこに写る青梅の風景。
映画看板のあった青梅の風景を写真集に残してくれたことにみんなが感動していた。
横川さんは、まもなく一つ博物館が閉館になることも告げた。

数人の高校生たちの中、一人の女子高生が映画というものが与えてくれるものについて語る。

同じ空間で、多くの人が一緒に観る映画館というもののが与えてくれるもの。
それは映画の楽しみの一つなのだ。

青梅を題材にしているので、全篇を通じて馴染みのある風景だ。
僕が青梅に移住してきたのは2017年。シャンタル・ストマンが青梅に初めてやってきた年と同じ。
僕も、今のアパートの内見のために不動産屋とともに訪れた瞬間、この町に魅了されたので、なんとなくシャンタル・ストマンの心情がわかる。
駅まで徒歩25分。アップダウンの激しい急勾配の坂道。
それでも、この町が良いと思った。
この町は、時間がゆっくりで、懐かしさと寂しさと、力強さがあって、なによりフォトジェニックだ。
映画看板に囲まれた道も、大好きだった。
休みの日には、看板を撮りに歩き回ったりもした。
だから2018年に撤去された時の寂しさは計り知れない。
この作品で登場しているマイナー堂も、カワスギ陶器も、すでに閉店してしまった。
2019年には青梅赤塚不二夫会館が老朽化のため閉館となった。
この数年で大きく風景が変わった。
“映画看板の町”から“猫の町”にイメージを変え、昭和レトロも駅前再開発によって変わろうとしている。
そんな中、この作品は青梅の歴史の一部を伝えてくれる。
それは、僕が見てきた青梅。
青梅を大好きになった僕の原点が詰め込まれているような作品で、そこに描かれている懐かしい風景に涙が滲んできてしまった。
何度も観たいし、もっと多くの人に観て欲しいと思える作品で、青梅への愛情が溢れているように感じた。
なにより、この作品を観終えてからシネマネコさんを見ると、50年ぶりに青梅に映画館ができたことの意義を強く感じられた。
これが青梅で観る最後の作品だとしたら、これほど適切なものはないだろう。
そして、なにがあっても青梅に戻ってこようと思わせてくれる作品でもあった。

雨のシネマネコさん。
2021年6月の開館から通い続けた場所。
多くの映画に出会わせてくれたし、なにより僕を一番癒してくれた場所。
そのシネマネコさんの館内には、久保板観氏の映画看板がいくつも並べられていた。
見たことがあるものや、初めて見るものなどが飾られていて、あの頃の青梅の町並みへ想いが募っていく。
作品の中で語られているように、それまで“ただの映画看板”だったものを板観氏が【映画看板絵】に昇華させたのだ。
映画看板が撤去されたのは、安全面の問題もあるが、板観氏の逝去によって修復ができなくなったことも大きな理由だ。
かつて大きな映画看板は、看板師にしか描けなかった。
印刷技術がなかったことも理由だし、週ごとに変えるものに対して莫大な印刷費はかけられなかったのだ。
「生活は惨めなもんでしたが、お金をもらうことより映画看板を描くこと、そして看板を楽しんでもらうことが何よりうれしいんですよ」
これは久保板観氏の言葉だ。
青梅の映画看板は【板観さん】という本としても出版されている。
久保板観氏は、こう語っている。
「青梅の町に映画看板を飾って、また多くの人が来て、観光の町になってくれるといいなと思う」
今日は上映開始時間より早く入って、併設のカフェで昼食を摂ろうと思っていた。
あまり普段、利用しないカフェだけれど、どれも美味しいのだ。
デミグラスソースのオムライスとカフェオレ。
しみじみ味わって、この味を記憶する。
どこのオムライスよりも、ここのオムライスが好きなのだ。
見た目も可愛いフレンチトーストは、もはや定番。
そうやってシネマネコさんを堪能して、買い物をしてから帰宅した。
電話で問い合わせてみたら、少し離れているけれど徒歩圏内の医院で健康診断が受けられるということなので、明日の予約をとった。

予定していた医院の健康診断より少し費用が高かったので、現金をおろしに銀行に行くついでに、先日現金がなくて行けなかった“がってん寿司”さんにでも行ってみようかな。雨もあがったことだし。

そうゆうわけで東青梅まで歩いてやってきたがってん寿司さん。
がってん寿司はイオンモール日の出で食べたことが食べたことがあるけれど、この店舗に入るのは初めてだ。
回転寿司の体ではあるが、ちゃんと目の前で人が握ってくれるしネタは新鮮だし、シャリもちゃんとした量だ。
その分、値段も高めだけれど(笑)
おすすめメニューも含めて、大好きなエンガワを複数皿食べたりしていたら、それなりの金額になってきたので、やや食べ足りない気もするけれど18皿でやめた。
明日は健康診断だし、ちょうどいいくらいか(笑)
ふと店内を見回すと、若い女性が一人で食べていた。
先日ようやく、初めて独りでの回転寿司屋に入れた僕とは違って、慣れた様子で食べるその子に見惚れてしまった(笑)
がってん寿司さんは、一品一品ちゃんと美味しいのだけれど、独りで食べるのは、やはり寂しいものだ。

先日の楽しい日のように、好きだなって思える子と食べる食事が一番美味しい。
食事は、食材や調理方法だけで美味しくなるものではない。
どこで食べるか、その時の空気感はどうか、誰と食べるか。
僕にとってなにより大事なのは、誰と食べるかだ。
一緒に食事をしたいと思う子と、何度か一緒に食事できたことがあるので、僕はきっと倖せ者なんだろう。
その想い出の時間が新鮮なうちに、記憶として深く刻んでおかないとな。