ここ何度かに渡って、インド哲学の世界観についてお話してきました。
まとめとして、もう一度おさらいしておきたいと思います。
まず二つの大きな特徴は、
絶対者
宇宙の昼と夜
ですね。
この二つの考え方をよく理解することは、ヨガやインド哲学を学ぶ上でとても大切です。
まず、一元の神。
絶対者、一者、パラブラフマン。
何もしない、全てを包括する原理。
そして、二元の陰と陽。
純粋意識プルシャ、ブラフマン、個人のアートマン。
と、
根源物質プラクリティ、顕現したプラクリティの三つの性質(サットヴァ・ラジャス・タマス)。
最初の1つと、次の二つ、
この三つはとても大切な原理ですね。
そして、宇宙の昼と夜。
プルシャとプラクリティが結びつくときに世界が展開していき、切り離されると消滅していく。
このサイクルを交互に繰り返している訳ですね。
これを宇宙の昼と夜と呼んでいます。
つまり、ブラフマンの目が覚めると、世界が生まれ、ブラフマンが眠りにつくと世界は消滅する。
昼が43億2千万年
夜が43億2千万年
とてつもない長さですが、
これもブラフマンにとっては、たった1日にしかすぎません。
そして、
「このブラフマンこそ本当の私だ」
と理解することがヨガの悟りです。
私たちが普段認識しているこの小さな個人とは何でしょう。
80年程度生きるこの小さな個人は、
ブラフマンが起きているたった1日の、何千万分の1にすぎない訳です。
ほんの一瞬の出来事ですね。
しかし、時としてこの小さな個人はブラフマンである私を束縛して、この小さな個人の問題を絶対的な問題へとすり替えてしまいます。
ですから、何か苦しみが起きたなら、
「このブラフマンである私に、いったい何の苦しみが起きるのか?」
と常に問うことです。
この、人生の超絶俯瞰(ふかん)こそ、ヨガの境地です。
ブラフマンまたはアートマンに専念している間、私たちの意識は至福の境地に達しています。
しかし、聞くことは簡単ですが、行うことは難しいですね。
哲学を学んだときや、瞑想しているわずかの間は、
「私はブラフマンだ」
しかし普段の生活に戻り、何か問題が起こるとすぐに、
「私を傷つけたのは誰か」
「あの人より私が優れている」
「お金が無くて不安だ」
この小さな人生の一瞬の夢(現実)に直面すれば、風に揺らぐ火のように、心は簡単に揺らいでしまいます。
『バガヴァッド・ギーター』6章18〜23
心が制御され、アートマンにのみ安住する人は、全ての欲望から離れ「専念した人」(瞑想した人)と呼ばれる。
「風のないところにある揺らめかない火」とは、心を制御しアートマンのためのヨーガを習得したヨーギの比喩である。
そこにおいて、心はヨーガの実習により制御されて不動となり、自らの内にアートマンを見て満足し、感覚によっては知覚されない、知性によって認識される最高の幸福を知り、真理から離れることなく、それ以外のものを価値のないものと捉えて、苦しみから逃れる。
このように、苦しみとの結合から離れることがヨーガであると知れ。
このギーターの一節はそのことをよく表現しています。
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