
2年前に脳梗塞で倒れ今施設に入っている
叔母は昭和2年生まれ。叔母の金庫の中に
戦前の写真が1枚だけありました。
後列右端は私の曾祖母、後列左端が叔母
です。恐らく昭和10~12年頃、叔母が8才
~10才位の頃だと思います。まだ父は生ま
れていない頃の写真です。
「とと姉ちゃん」の時代と重なります。
祖父の家は江戸川区「平井聖天」の名で
親しまれている明雅山燈明寺の門前の
通りにありました。
中村仲蔵が演じた斧定九郎のモデルとなる
浪人を見かけたのはこの平井聖天で雨宿り
をしていた時だったとか
その家も昭和20年3月10日未明の東京大
空襲で焼かれてしまい、これが戦前唯一の
写真かも。
(他にも探して出てくるといいのですが)
なぜ、この1枚が残ったかと言うと・・・
前列の左から2番目の女の子も私の叔母
ですが、昭和19年11月の空襲で10才で
亡くなっています。
米軍による日本本土へに戦略爆撃はこの
月から始まり、叔母は江戸川区で最初の
空襲による死者になりました。この頃はまだ
葬儀をする事も出来て、消防署(団?)から
花輪を出してもらえたと叔母が言っていまし
た。
叔母の死因は焼死ではなく、焼夷弾の破片
が背中にあたった事による失血死だったそう
です。この後すぐ祖父は親戚を頼って群馬県
は桐生の梅田村に疎開を決めました。
ただ、その頃はもう貨車が手配できなかった
ので限られた物しか持って行けなかったそう
です。そんな中で家から持ち出した写真なの
かと。
祖父は町会長か役員をやっていたために
疎開出来ず家に残り、東京大空襲で家が
焼かれてから疎開先に合流したそうです。
(7件先は焼け残ったとか)
昭和60年代、私が免許を取った頃に叔母と
疎開先の家を探しに行った事がありました。
川沿いの小さな平屋でした。
叔母が元気な時に写真の説明を裏書して
おいたから分かる事でした。
年寄りの話はよく聞いておかないとね。