東大寺文化公演会で為になるお話が聞けま
した。
昔は漢字の用法が分からなければ外交が出
来ない。漢字は政治制度の一部だったので
漢字文化の輸入も重要政策だったのですね。
7世紀後半の白村江の戦いで唐との外交は
途絶え中国文化の直輸入が途絶えますが、
新羅に滅ぼされた百済から亡命王侯貴族が
学職頭(ふみのつかさのかみ)就いて日本
に漢字用法を伝えます。中国では使われて
いない朝鮮独自の漢字用法も伝わりました。
この頃の漢字は呉音で「父母」を「ぶも」
と発音するそうです。
その後も統一新羅に学問僧を派遣して朝鮮
半島経由で漢字の用法を学び続けます。
8世紀に入り唐との国交が回復する直輸入
された文化が正式ルールとされていきます。
漢字は漢音になり「父母」が「ふぼ」と発
音される様になります。
日本紀略、延暦11(792)・12(793)年
「非習漢音、勿令得度」
「漢音を習得しなければ僧侶になれない」
という指示が出ます。大事件ですね。
しかし、
日本後紀 延暦23(804)年
「習義殊高者、勿限漢音」
「優秀であれば漢音が出来なくてもよい」
と方針が変わります。今風に言うと
「英語が出来なくても先生になれますよ」
仏教に呉音が残った訳ですね。
ただし、仏教でも漢音を使う場合もあれば
真言宗は漢音読みが多いそうです。
呉音、漢音があるのは知っていましたが、
今まで意識しませんでした。ルビが振って
なければわかりませんね。