戦前は官幣大社春日社と呼ばれていたそうです。
春日大社は戦後になってからのこと。確かに、境内
にある沢山の石燈籠には春日社となっています。
因みに、古いもので6基だけ「春日大明神」の燈籠
があるそうです。
南門の前に「額塚」があります。昔、落雷により南門
の神額が落ちたそうです。落ちた額をそこに埋めて
塚としたそうです。それ以降神額は掲げられていない
そうです。二の鳥居、他の末社の鳥居にもありません
でした。若宮神社に向かう御間道(おあいみち)に架
かる橋の手前にもうひとつ石が埋まっています。額塚
から目を閉じてこの石まで辿り着くと願いが叶うそう
です。私もトライしましたが・・・
春日大社の燈籠
多さ、伝関白藤原忠通奉納の柚木燈籠(重文)は
平安時代のものでこれも当麻寺の奈良時代に次ぐ
古さだそうです。本殿中門脇には直江兼続の娘於松
の由来は柚の木の下にあったため。因みに今は夏
みかんの木、燈籠も複製に替わっています。実物
は宝物館に移されています。
榎本神社
が地下三尺だけ譲って欲しいという申し出を三尺四方
ならと承諾してしまったそうです。移転した榎本は参拝
者が少なく寂しくなったので春日大社のそばに住む様
になりました。(本殿回廊内に社殿があります)
榎本の神様は耳の遠いので柱をトントン叩いてお参り
に来ましたとお知らせしたそうです。