お別れ
誰にだって、いつかその日が来る・・・
それは仕方のないこと
私しゃね、若い頃に大病してね・・・
ああ、こんな事では長生きできないだろうって
姉妹の中で、いちばん「早い」だろうって思ってた。
それがね、こんなに長生きさせて貰えるとはね
人生ってわからない物だね。。。
度々、独り語りのように
「お茶」を飲みながら私に話し出すんだ。
でもね、最後はね
皆に迷惑をかけずにね。。。
まだ幼い私には
それがどんな意味なのか飲み込めなかったんだ。
後から気がついたのだが
私には上と下、三人兄弟であった中で
そんな話を聞いたいたのは私だけだったようだ。
まるで「最後の介錯」を委ねるかのように
前章のとおり
祖母は明るく前向きに生きた人だったように思う
「思う」と注釈が付くのは、やはり今とは比べ物にならないほど
厳しい時代を生き、大変な苦労を背負いながら
その中で「強く明るく生きるしかない」選択をした過去があるから
私の軽口で「明るかった」と言えるほど
簡単な選択ではなかった事を知っているからだ。
激動の昭和から平成へ
祖母は91年の生涯を懸命に、そして明るく生きた。
亡くなる数日前から、熱が下がらず
医師から「肺炎を併発しています」と聞かされ
できるだけ傍にいてあげたい・・・
仕事の調整を付けた翌日、容態が急変してしまった。。。
しまった!
間に合わなかった
なんてこった!肝心な時にいつもこうだ!
病院に駆けつけた時には、意識がなかった
受け持ちの看護師さんに簡単に挨拶をして
祖母に静かに話しかけた・・・
あら?血圧があがったわね
看護師さんが、不思議なものを見るような顔で
バイタル測定器の画面に視線を移しながら言ったのだ
パルスオキシメーターだっけ?
指先に取り付けた、酸素飽和??なんとか装置の値も
変動しているのだ
聞こえているんでしょうか?
私の問に、看護師さんは2回うなずいた
科学的には肯定できないが
こんな事が当たり前に起こるらしい。
最後くらい、カッコよく駆けつけたかったけど・・・
やっぱり間に合わなかった、ゴメン
ドン臭いのは・・親譲りかもしれんけどねw
しばらくして、担当の医師と会い
我々親族と、今後どうするかについて話をすることになった。
選択肢として
人工呼吸器や胃ろうで延命をするか
自然に任せるか・・・
究極の選択をしなければならない
ばあちゃん
いつも話してくれていた事
言う時が来たよ
私は、幼い時から聞いていた
独語り、いや・・・託された「気持」を親族に話した。
どうして今まで話さなかったのか?と
詰められもしたが、私は黙って下を向いていた。
あくる日の明け方
祖母は静かに息を引き取った
最後の一呼吸を私が見届けた。
誰にだって、いつかその日が来る・・・
突然に、あっけなく
そして、それは仕方のないこと

