死んだらどうなる! | 魔法使いミーナの見える世界と見えない世界の話

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今日ある方のお葬式に参列してきました。

そのお葬式は神道のお葬式で

神職が祭祀を上げるというもの。

 

参列者は玉串(葉っぱのついてる枝のようなもの)を

使って拝礼します。

 

 

私は神道のお葬式に参列した経験があまりなく

馴染みの仏教のお葬式との違いにとても驚きました。

 

 

調べたところによると

仏教での葬式は故人を極楽浄土に送るために行われます。

 

それに対し、

神道では葬式は故人を家に留めて守護神とするための儀式なのだそうです。

 

先祖崇拝の考え方はもともとは神道の考え方だったそうなのです。

 

参考リンク

初めて神道の葬式に参列する方へ

http://www.osohshiki.jp/column/article/105/

 

 

で、私が言いたいのは

神道がどうとか仏教がどうとかではないのです。

 

 

2ヶ月ほど前、私の親類がなくなり

そこでもお葬式に参列しました。

そのお家では仏教のお葬式で

いつも通りのお坊さんが来てお経をあげてというスタイルでした。

 

 

事前の打ち合わせでは

祭壇をどうする、料理の内容はどうするという

葬儀に関することはもちろん決めていたのですが

 

お寺に対して決めることが

あまりにたくさんあり

そして全てが高額なのに度肝を抜かしました。

 

 

亡くなったのはその家のご主人で

定年退職し年金暮らしをしていた方。

 

子供は3人とも成人し社会人となっていました。

 

でもやはりお金は色々なことでかかります。

それを心配したのでしょう。

故人の遺言ではできるだけ

葬儀費用を安くしてほしいとのことでした。

 

 

戒名は短くてもいい

葬儀のお経はご住職一人でいい

通常は3人なのだそうです。

 

このような希望を持っていたにもかかわらず

お寺の方ではそれは慣例にないから受け入れられないと

 

戒名も通常どうりで100万円近く

 

葬式のお経を上げる僧侶も3人

これは100万円超えていたかもしれません。

 

 

故人はできるだけ家族にお金を残したいと考えていたのに

決まりだから、仏教のしきたりだから

という理由で高額なお金になってしまいました。

 

 

仏教に意味があるのはわかります。

お葬式にお経を上げてもらうのが尊いことなのもわかります。

 

ですが家族は一家の主人を亡くしても

それでも生きていかなければなりません。

 

 

そのお寺のご住職はお葬式の時に経典を参列者に配り

一緒にお経を上げるようにおっしゃったので

みんなであげていましたが

 

それに飽きてしまった小さな子が

経典を触っていたのに腹を立て

「これは仏様同様大切なものです。遊び道具に使わないでください!」

厳しい声で怒鳴っていたのを聞いて

 

 

子供にそんな厳しい口調で言わなくても優しく言えばわかるのにな。

 

亡くなったら極楽浄土の道に行くための修行がはじまるというけど

 

生きているうちが一番の修行なのに、死んでからも修行なんてやだなと

 

興ざめしてしまいました。

 

 

今回神道のお葬式に参列して

仏教とは全然違う考え方で

別れの儀式をしているのを目の当たりにして

 

 

死んでからどうなるかなんて

誰にもわからないし

 

お経を上げても、あげなくても

生前に親しかった人が

その人の思い出を話したり

その人を通して懐かしい人に会ったりして

お互いに元気付けあったり

 

 

それだけでいいんじゃないかと思いました。

 

 

たぶん、すごくバチあたりなこと言ってるのかもしれません。

 

ですがお葬式ってなんだろう?

死ぬってなんだろう?

そして生きるってなんだろう?と

 

自分なりに考えるきっかけを神道の葬儀に参列して思うのでした。

 

 

 

死んでからはお葬式のこと

何も言えなくなるので

 

両親がどう考えているのかを聞いてみるのも大切ですよね。

 

 

 

誕生数秘カウンセラーよこちさちこ