随分とブログを書かずにいたら3ヶ月も経っていました泣き笑い

春休みに帰省後、4月に父が他界し、札幌との往復でバタバタしていました💨

先日、朝イチで看取りについて特集していたので、私も一度まとめておこうと思います。



数年前から手術をしたり治療をしており、そもそも両家全員高齢なので、父に限らず、毎回帰省する度に「これが最後かも」と思って過ごしてきました。

なので、病状が悪化してからは早かったですが、急に倒れて…とかいうショックに比べると、ゆっくりと気持ちは受け入れてきていたと思います。



友人の義母が亡くなった際、旦那さんと兄弟が全く涙が出なくて驚いた、という話を聞いたばかりでした。

(義母は👽&毒親)


父はそんなタイプではありませんでしたが、私自身は特に依存心もなく、適度な距離がちょうど良い関係。

孫が生まれなければ、さらに距離感あったかもしれません。


なので、「私は泣けるのかな?」なんて心配したりもしましたが、涙は出ました


ただ、自分の父親がいなくなってしまった…みたいは感覚よりも、大好きなじーじにもう会えなくなる、という、子供にとっての現実が可哀想で、そちらの涙が圧倒的でした。

(想像していなかった感覚)

子供がつらいのってつらい悲しい


それから、古くからの友人や、仕事関係の方々が、本当に沢山参列していただいて、

一人の人生が終わる事の切なさを感じました。



家族の死に対する感情を抑えると、後々まで引きずるという事だったので、

我慢する事なく、涙が出る時は自然に身を任せました。(スピ的に)




葬儀社やその他諸々、ある程度は本人が決めていたので、大きな混乱はもちろんなく、滞りなく葬儀を終えました。


祖父母の葬儀には参列した事があっても、喪主側はやはりやる事が多いですね。

やる事と決める事。


そして葬儀後の各種事務手続きや供養の方針、ある意味新しい生活の準備。


事務手続きは地元にいる妹が動いてくれているので助かりました。

もし母1人なら、私が残って、夫と子供を先に帰して、必要に応じてまた向かう…という状態になっていたと思います。


とにかく色々な選択が一度にやってきますが、何でも決めるのは父がメインだったためか、母の決断力の無さにイライラする事も…。



札幌と東京の離れた関係においては、できる限りの事はしたし、大きな後悔はありません。


ただ、

何が正解だったのかな?

と思う事はあるので、今後はそちらも書いておこうと思います。