こんばんは
すっかり
冬の訪れを感じさせる肌寒さですね。
街を歩いていると、
咳をしている人をよく見かけます。
皆さまは風邪を引かれていませんか?
さて、ウチの娘が不登校になってから
ずーーーーーーーーーーーーーっと
なぜだろう
と考えていた疑問がひとつあります。
なぜ、昔は
不登校が
なかったのか?
私は自分の子どもが不登校に
なるなんて
思ってもいなかったので
自分はどこで間違ってしまったのか?
何が悪かったのか?
そう考えているうちに
なぜ、
昔は不登校がなかったのだろう
と、思うようになりました。
私の中学時代は
- 校内暴力
- ヤンキー
- グレる
という時代で、
3年B組
金八先生が大人気
でした
戦争、戦後を経験し、
高度経済成長真っ只中の
そんな親たちの
子どもの世代は
学校が荒れていた
いずれにしても、
祖父母の世代、
両親の世代は
校内暴力も
不登校も
多くなかった。
今の時代。。。
で片づけてしまいがちだけど
何が原因で
こうなっちゃったんだろう・・・?
考えた結果、
私がいきついた答えは
昔は、
不便な社会で
生きるために
必死だったから
昔は、家族全員に
役割と仕事があった。
だから、
存在意義を
感じることができた
でも、今の時代
大人は、
仕事やお金を稼ぐために忙しく
子どもは
勉強や習い事で忙しい。
誰も
生きるために
必要なことを
しなくなった
のです。
例えば、昔、
父が子どもの頃は戦争で、
食べるものがあまりなく
庭でニワトリを飼っていました。
父は妹を背負って庭の掃除をし、
ニワトリのえさをやる。
ニワトリの世話は父の仕事でした。
また、時には
おじいちゃんと闇市に出かけ
パンや米を手に入れ
警察につかまらないように
自転車であわてて
家に帰ったようです。
父は5人兄妹でしたが、
家の掃除、ご飯の用意
妹や弟の世話など
家族みんなが
それぞれ役割があり
自分の仕事があったようです。
自分の仕事がある
ということは
自分の存在意義がある
ということ。
それを、
毎日の生活で
感じることができた。
だから、昔の時代は
認めて欲しいとか
分かって欲しいとか
思うことが
少なかったと思うのです。
今を生きる人たちは
自己肯定力が低い。
じゃぁ、
どうすれば
いいのだろう?
死んだ魚の目
をしているウチの娘を
キラキラと
輝かせる方法
自己肯定感が低ければ
高くしてやればいい
だったら、
娘が自分の存在意義を
感じられる言葉を
毎日
シャワーのように
浴びせまくろう
私は、そう思い立って
それから毎日、
ことあるごとに言いました。
娘がお皿を洗った
うわぁ~
お母さん
助かったわ~
娘と一緒にテレビを見た
うわぁ~
お母さん、○○ちゃんと
こうして一緒にテレビ見れるの
嬉しいわ~
ふとしたとき
とにかく
浴びせまくりました
や
で書きましたけれど、
娘とケンカをしたとき
私は何を言ったらいいのか
分からなくなるので
○○ちゃんのこと
一番真剣に思っている
とか
○○ちゃんのこと
誰よりも一番愛してる
とか
世界を敵に回しても
お母さんは○○ちゃんの味方
とか
歯の浮くような言葉を
言いまくったのは
そういう理由からでした。
私たち大人も含めて
今の子たちは
自分のこと
分かって欲しい。
認めて欲しい。
共感してほしい。
と思っています。
それは
悪いことでも
弱いことでもないと思います。
初めは、
歯の浮くような言葉を言うのが
恥ずかしくて
ぎこちなかったのですが、
ある日、娘が、
晩ご飯を手伝ってくれていた時
お母さんに
助かってる
って言われると
嬉しい
と言われた時、
わっ
届いてた
と思いました。
今まで
何の反応もなかったので
どうかと思っていたのですが
私の気持ちは娘に
届いていたようです。