おはようございます(*'▽'*)

昨日、

豆のお散歩などは、自分のため

と書きましたが、

最初にそう思ったのは、今から20年以上前にじいちゃんが亡くなった時なのです。





じいちゃんは1ヶ月ほど入院して、病院で亡くなりました。

車を運転して茨城まで通ったのですが

その車の中で

こうしてじいちゃんにお見舞いに行くのは、じいちゃんが亡くなった後に自分が後悔しないために、じいちゃんが作ってくれた時間なんだ

と思いました。





この時間をもらえたのは、とても有り難い事

と思いました。

全く後悔が無くなる訳ではありませんが、少しだけ。。

母の幸子は、じいちゃんの入院中に、じいちゃんの入れ歯を洗った事で、少し親孝行できた、と言っていました。





その後、身内が急な事故で亡くなった時には動揺しました。

なので余計に、思います。

昨日の文章で、この経緯を書いた方がよかったかな、

と少し反省しました。





ハリールジブラーンともカリールジブラーンとも表記されるので

どちらが正しいのか分からないのですが

そのジブラーンの詩の中に

喜びと悲しみについて

というのがありました。





あなたの喜びは、悲しみの素顔。

笑いの込みあげてくる井戸は、しばしば涙で溢れています。





と、ありました。

喜びも悲しみも分けることはできず、両方とも連れ添っている

という事が書かれている詩です。





理解ができるまでに時間がかかり、かと言って今もまだちゃんと理解は出来ていないのですが、うっすらと

なるほどぉ

と思いました。

こういった事が深く理解出来るようになる事が、人生の目的ではないかと思いました。





なんつって(:D)┓


今日も1日、どうぞよろしくお願いいたします (*'▽'*)