「あれ?入江くん、ホテルと方角が違うよ。」
「いいんだ。ちょっと寄る所があるから。」
普通気付くだろ...戸惑いの表情を浮かべている琴子の顔を見て笑いそうになるのを堪えた。
タクシーを降りて目的の建物に向かう。
「ここって...もしかして。」
「ああ。入籍も同じ日の方が、どっちが結婚記念日か悩まなくて済むだろ?時間ないから急ごうぜ。」
「う、うん。」
区役所の時間外窓口に向かう。バッグから婚姻届を取り出す。証人の欄にはオヤジとおじさんの署名がある。
「琴子、俺が先に書くから見てろよ。」
「わ、わかった。」
琴子は真剣な顔で俺の手元を覗き込んだ。じっと書類を見ていた琴子が俺を見上げて訊いた。
「入江くん、同居をはじめたときって、高校生の時からって書くの?」
「ばーか...なワケねーだろ。結婚しているのと同じように暮らし始めた時ってことだよ。
ほら。書き終わったぞ。お前も書け。間違えるなよ。」
リレーのバトンのようにボールペンを渡すと、琴子が小さく息を吐いた。
「...なんか緊張する。」
「ちゃんと教えてやるから大丈夫だ...そう。住所は同じでいい...世帯主はおじさんだぞ...本籍はこれ見て書け。」
琴子はゆっくりと丁寧に空白の欄を埋めていった。
「できた。」
琴子はうれしそうに呟いて安堵の表情を浮かべた。大丈夫だよね?と目で問いかけるように俺の顔を見る。
俺は安心させるように微笑んで婚姻届を手にした。窓口の職員に声を掛け婚姻届を手渡した。
「では拝見します。記入漏れはありませんね。不備があった場合は後日ご来庁頂くことがありますので...
はい。結構です。確かにお預かりしました...おめでとうございます。」
初老の温厚そうな職員がにこやかに微笑みながら祝福の言葉を掛けてくれた。
「ありがとうございます。」
「あ、ありがとう..ございます。」
頬をほんのり染めて感激した面持ちで礼を言う琴子。大きな瞳がウルウルと潤んでいる。
「入江くん...私..本当に..入江くんのお嫁さんに...なったんだね。」
「あぁ...よろしくな、奥さん。」
肩を抱き寄せて言う。目に一杯涙を溜めた琴子がコクンと頷いた。
タクシーを拾いホテルに向かう。渋滞もなく何とか予定通りホテルに着いた。
スーツケースをフロントに預け、ブライズルームに琴子を送り届ける。
オフクロが俺には目もくれず琴子に駆け寄る。おじさんはまだ来ていないようだ。
「琴子ちゃん、よかった。遅いから心配してたのよ。」
「ごめんなさい、おばさん。」
オフクロに謝っている琴子に声を掛ける。入籍のことで何だかんだオフクロに言われる前に立ち去る方が賢明だ。
「俺、もう行くから。琴子、後でな。」
「うん。ありがとう。」
琴子の笑顔に見送られ、俺は自分の控え室に向かった。
「お兄ちゃん、寄るところがあるって言ってたんだけど、琴子ちゃんも一緒だったの?」
「はい。入江くんが区役所に連れて行ってくれたんです。」
「入籍済ませてきたの?」
おばさんも入江くんから何も聞いてなかったようで、本当に驚いた顔をして私に聞いた。
「はい。」
「じゃあ...じゃあ...琴子ちゃんは本当に私の娘になったのね。」
おばさんが...ううん、お義母さんが私の顔を愛おしそうに見つめる。
「はい。そうです...お義母さんって呼んでもいいですか?」
「もちろんよ。どんなに...この日を...待ち望んできたか...」
私の言葉にお義母さんが声を詰まらせる。
「お義母さん...夢が叶ったのはお義母さんのお蔭です。」
「何言ってるの、琴子ちゃん。ほら、もう泣かないの。お支度してもらいましょうね。」
「はい。」
お義母さんが白いハンカチで涙の滴を拭ってくれた。
俺の方は既に準備万端、挙式と披露宴の最終的な段取りや祝電の確認も済ませた。
オフクロは最終的な打ち合わせに同席しただけで、後はずっと琴子のところに張り付いていた。
オヤジと裕樹とのんびりと待っているとノックの音が響いた。
「ご新婦様のお支度が整いました。」
担当のスタッフが俺たちを呼びに来た。
僅かに鼓動が速くなったのを自覚し口元を覆った。
案内され式場に向かう。式場の前には白く輝く花嫁衣裳に身を包んだ琴子がいた。
唐織の白無垢に綿帽子を被った琴子の表情はまだ見えない。
やっと琴子の顔が見える場所まで来た。
「琴子ちゃん、本当にキレイよ。」
オフクロが感に堪えないといった様子で言う。琴子が恥ずかしそうに微笑む。
俺はすぐに言葉を掛けることができなかった。
琴子が驚くほど綺麗で...不覚にも見惚れてしまう。
何も言わない俺の目を琴子が不安そうに探る。紅く彩られた琴子の唇が動く。
「ヘン?」
小さな声で囁く琴子に、僅かに目を細めて言った。
「琴子...綺麗だ。」
琴子が蕾が綻ぶように笑った。
~To be continued~