結婚式の最終打ち合わせやエステの最後の仕上げ、改装した部屋に合わせるファブリックや新婚旅行の準備...
慌しく日々は過ぎて行き、明日はいよいよ結婚式だ。
実感が湧いてきたような、まだ夢の中にいるような不思議な気持ちがする。
「お父さん、ちょっといい?」
いつものように遅く起きたお父さんは、私が作った朝食兼昼食を食べ終え、コーヒーを飲みながら新聞を見ていた。
洗い物を終えた私は、お父さんが座っている小さなダイニングテーブルの向かい側に座りながら言った。
「おっと、いけねぇ。向かいの橋本さんの所に行かなきゃなんねーんだ。琴子、悪いな。」
「...そうなんだ。じゃあ、またあとにするね。」
小一時間ほどして帰って来たお父さんは、私の顔を見て一瞬驚いた顔をした。
「まだいたのかい。ホテルに行かなくちゃいけねーんだろ?」
「もう少ししたら出るよ...お父さん、ちょっとだけ話せないかな?」
お父さんの顔を見ながら言った。
「...辛気くせーのは嫌だからよぉ...これからも一緒にいるんだし...」
お父さんは照れたようにそっぽを向いた。
「でも...」
「おまえの気持ちはわかってるから...ほら。早く出かける仕度しな。」
お父さんが私の目を見て穏やかに言った。
「...わかった。」
私はそう言うしかなかった。
いつものように店を手伝った。お父さんから「今日は早く寝ろ」と言われ、9時過ぎには2階に上がって来た。
入江くんの家とは違う足も伸ばせない小さなお風呂にゆっくり入った。寝る前に入江くんに電話を掛けた。
トゥルルルル...トゥルルルル...5回目でコール音が途切れた。
『もしもし。』
耳に響く入江くんの低い声。
「私...いま大丈夫?」
『ああ...どうした?なんか元気ないな。今頃マリッジブルーか?』
入江くんは軽い口調で言ったけど、心配してくれてるのが声でわかる。
「違うよ。あのね...お父さんにちゃんと挨拶したかったんだけどできなかった...お父さん、辛気臭いのはイヤだって。」
『そうか...でも、何となくお父さんの気持ち解る気がするな...お前の気持ちもお父さんは解ってくれてるよ。』
「うん。そう言われた。」
『離れ離れになる訳じゃないんだから...お父さんへの感謝を表す機会はいくらでもあるよ...なっ?』
「うん...そうだね。」
入江くんの声はすごく温かくて、じんわりと胸に沁みていった。
『明日、7時半に迎えに行くから。』
7時半...ホテルの担当さんから聞いた時間より随分早い。入江くんに限ってと思うけど念の為聞き返す。
「え?早くない?」
『お前トロいから、早く行ってた方が安心だろ?』
「そうだね。わかった。」
『ちゃんと早く寝ろよ...寝不足で目が腫れてる花嫁とか最悪だぞ。』
入江くんがちょっぴり脅すように言う。
「わ、わかってるよ...頑張って早く寝る。」
『クスッ...ああ。頑張って早く寝ろ。おやすみ。』
笑いを含んだ入江くんの声が何だかくすぐったい。
「おやすみなさい。」
自分の声がすごく甘く聞こえた。
いつもは先に寝る私が奥の部屋に、お父さんは茶の間で寝ていた。
襖一枚隔てただけだからお互いの気配はわかる。
でも...私は茶の間に二つ並べて布団を敷いた。
「う...うーん。」
なかなか眠れなくて何度も寝返りを打っていたけど、いつの間にか眠ってしまった。
「悪いな。起こしちまったな...奥で寝てればよかったのに。」
「うん...何となく今日はこっちで寝たくて。」
「...そうか。」
オレンジ色のぼんやりした灯りの中ではお父さんの表情はわからない。
お父さんも布団に横になった。
「お父さん...こうやってお父さんの隣りに寝るのも最後かな?」
「...そうだな。」
お父さんの声はすごく静かだった。
「お父さん...私...お父さんの子どもでよかったよ。」
「何言ってんだ。」
天井を見ていたお父さんが私に背中を向けた。
「...ありがとう...いままで本当にありがとう。」
男手一つで育ててくれて...いっぱい愛してくれて...ありがとう。
「...琴子...幸せになるんだぞ。」
お父さんの背中が震えている。
「...うん...うん...」
私の声も込み上げる涙で震えていた。
~To be continued~