通る風にも春の足音を感じる昼下がり。
桃の花がほころび始めたお庭を眺めながら、ゆっくりと坂道を登っていた。
5年近く毎日通った道なのに、今日は何だかいつもと違って思えるのが不思議だ。
合鍵は持ってるけど、今日はお邪魔するって感じだからインターフォンを押すべきだよね。何だかちょっと緊張する。
ボタンを押した...ピンポーン
「あら。琴子ちゃん、どうしたの?入ってくればいいのに。ちょっと待ってて。」
おばさんはすぐに玄関に迎え入れてくれた。
「お邪魔しま~す。遊びに来たから勝手に入るのはどうかな?って。ちょっと緊張しました。」
「ふふっ。そうね。何だかヘンな感じね。」
自分のスリッパを履く。やっぱりお客さんじゃないって思う。私の居場所が確かにここにある。何だかうれしい。
おばさんと一緒にリビングに入る。入江くんはソファに座って本を読んでいた。私に気付いて顔を上げる。
「よぉ...お前が客みたいに遊びに来るっておかしな感じだな。」
「うん。いまおばさんともそう話してたの。」
「コーヒー淹れるわね。」
「あ、手伝います。」
キッチンに向かうおばさんの後を追う。
「いいからいいから。今日はお客さんなんだから――」
「琴子、お前が淹れて。」
おばさんの言葉を遮り、私の方を見て入江くんが言った。
「わかった。すぐに淹れるね。」
私はウキウキした気持ちで、おばさんと一緒にキッチンに向かった。
キッチンに入るとおばさんがナイショ話をするみたいに私に身体を寄せて囁く。
「ふふっ。お兄ちゃんたらすっかり亭主気取りね。昨日はデートだったんでしょ?ホワイトデーのお返しちゃんと貰った?」
「そうだ...これ、お土産です。入江くんがナイショで連れて行ってくれたんです。どんなお返しより嬉しかったです。」
手に持ったままだったお土産を袋ごと差し出す。おばさんが稲庭うどんとお菓子の金萬を取り出して言った。
「秋田まで行ったの?日帰りで?...お兄ちゃんが内緒で?」
「そうなんです。前の日の夜に急に電話で、7時前に迎えに行くから温かい恰好しとけって...
お花は秋田駅で買ったんですけど、ちゃんとお墓参りの準備もしてくれてて、お母さんに挨拶してくれて...」
言ってるうちに昨日のことを思い出して涙が込み上げて来た。
「琴子ちゃん、ありがとう。琴子ちゃんのお蔭よ...本当にありがとう。」
「そんな...そんなことないです。入江くんはやさしいです...ずっと前から。」
「...琴子ちゃん、直樹のことをわかってくれてありがとう...ずっと傍にいてやってね。」
涙の滲む声で言うおばさんに私は何度も頷いた。
3人でコーヒーを飲んだ。入江くんが私が淹れたコーヒーを本当に美味しそうに飲んでくれてうれしかった。
おばさんと出来上がった結婚式のペーパーアイテムやBGMをチェックしたり、おしゃべりをしてリビングで過した。
2階は工事の音が少しうるさいせいか、入江くんもリビングで医学書を読んだりパソコンで何かしたりしていた。
「私、店の手伝いもあるからそろそろ帰りますね。」
「夕ご飯食べて行けばいいのに。」
本当に残念そうなおばさんを見ると申し訳なくなってくる。
「お父さんに今日は早く帰るって言って来ちゃったから。」
「そう。それじゃあ、帰らなくちゃね。」
おばさんが自分を納得させるように言った。入江くんがパソコンを閉じて立ち上がる。
「駅まで送るよ。」
「ほんと?ありがとう。」
昨日一日中一緒にいられたけど今日はあまり話もできなくて、ちょっとだけ寂しかったからスゴクうれしかった。
おばさんは玄関先まで見送ってくれた。別れを惜しんでいると、入江くんに早くしろって怒られた。
慌てて入江くんを追い掛けて腕に掴まった。怒られたばっかりだから振り解かれるかと思ったけど大丈夫だった。
「うふふっ。」
「何笑ってるんだよ?」
「やっと入江くんにくっつけたから。」
「へー。くっつきたかったんだ?」
「うん。」
目を少し細めてからかうように言う入江くんの腕をもう一度しっかり抱え直した。
他愛もない話をしながら駅に向かった。
あっという間に駅に着いてしまった。もっとゆっくり歩けばよかった。ノロノロと切符を買った。
振り向いても入江くんはいなかった。驚いて周りを見渡すと入江くんはもう改札を抜けていた。
買ったばかりの切符を自動改札に押し込む。吐き出された切符を掴んで入江くんの側に駆け寄った。
「俺、まだ定期あるし...ホームまで送るよ。」
「ありがとう。入江くん、だーい好き。」
あともう少し入江くんと一緒にいられる。私はうれしくて入江くんを見上げてニッコリ笑った。
「知ってるよ。」
入江くんが微笑みを返してくれた。
ホームの端のベンチに並んで座った。私の手は入江くんにしっかりと握られ、入江くんの膝の上に置かれていた。
「入江くん、明日から忙しくなるんだよね?」
「ああ。結婚式と新婚旅行で一週間何もできないからな。できる限りやれることはやっておく。」
キリッとした入江くんの横顔は本当にカッコよかった。
「頑張ってね。今度会えるのは結婚式かな?」
「そうなるな...琴子、電車来たぞ。」
「うん...入江くん、次の電車にしちゃダメ?」
もう少しだけ一緒にいたくてわがままを言った。
「...しょうがないヤツだなぁ...一本だけだぞ。」
「うん。ありがとう。」
そんな会話をしているうちにいつの間にか電車は行ってしまった。
「誰もいなくなっちゃったね。」
「クスッ...そりゃそうだろ。来た電車に乗らないんだから。」
「ごめんね。わがまま言って。入江くん、時間ないのに。」
しゅんとして俯いた私を入江くんが覗き込む。
「別にいいよ。」
入江くんはそう言うと、私の唇に軽く触れた。
「...最後のキス。」
「何?」
「もう会えないから...最後の..恋人の..キスかなって。」
恥ずかしくてやっとの思いで言う。
「じゃあ、もっとちゃんとしようぜ。」
入江くんはニヤリと笑うと私の顎に指を掛けた。
~To be continued~