ロバート・デニーロの「レナードの朝」を見ていたら、突然気がついたような気がした。
それはとても大事なことのように思う。
私が慢性腎不全であることを知ったのは、まだ大学生だった頃のことだった。会社の内定ももらえて、これから新しい世界に飛び込もうとしたとき、いろいなことでストップがかけられた。食事や運動、それに仕事の仕方についても。内定をもらえた会社の業種を医者は聞いた時、こんなふうに言った。
「SEの会社? そんな仕事があなたの体でできるわけがないだろう。今すぐに内定を辞退して、事務職にでも変えるんだ」
それからは未来に向かう希望が全て絶望と、いつか来るであろう透析への恐怖へと変わった。
その呪縛から逃れるのに16年掛かったわけだ。そしてその呪縛を解いたのは、恐怖の原因と考えていた人工透析だった。だが透析は死ではなく、普通に働くことができる状況を与えてくれた。
あの長い、恐怖や不安の時はいったいなんだったのだろうか。
一つ言えることは未来は何が起こるかわからないということ。そして希望を捨て去ることがなければ、どこかで小さな願いは叶うということ。そしてそれが積み重なっていけば、失った大きなものを断片的にも取り戻すことができるということ。
もう時期4月に入る。新しい仲間が増え、彼らの新しい学びと共に、私も何かを学ぶことになる。
生きている限りは何かしらの変化がある。それは明日を変えていく可能性でもある。
良い方向か、悪い方向かは進んでみなければわからない。でも立ち止まったり、後に引き返してしまえば、きっと得られるものは何も無いだろう。
東証で教育の仕事について3年目に入る。次の1年は何が待っているのか。次の1週間で、新しい道がまた続く。
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