しかし運よく大学に入り一人暮らしもあったのか、自分のペースで勉強を始めるとその楽しさを知ることになる。
と言っても苦手な授業もあり、当時は中国語が専門だったにも関わらずいくらやってもうまく習得ができない。自分には合わないのだろうと大学3年で専門を英語に変えたくらいである。
それが今1年以上、中国語の勉強をしているのだから不思議である。
華流ドラマで中国が身近に思えるようになったからか。それはそう、きっとその通りだと思う。
大人になってからの勉強というのは、誰と競うわけでもなく、また点数がついたり評価されることのない良さがある。もちろん評価されて嬉しいということもあるだろうが、それはいつどんなときでも良いのかと思う。
これが大人の勉強の自由さだ。
祝日に外へ出歩こくことがなくとも、取り敢えずiPadを開けばいつでもその場所が勉強の場所ということになる。誰か先生について教わるわけでもないのでかかるお金は微々たるものだし、時間の制約もないから自分のペースで好きなだけ続けることができる。ここには見栄も虚栄もない。ただ自分が勉強に取り組むという事実だけだ。
中国語の勉強をして、そのまま別の教材を開いて証券取引のノート取りという流れが多い。大体、中国語は15分、証券取引45分がワンセットという感じで、これが毎日続けられればOKかな。
自己満足だろ、と言われるかもしれないが、自分が満足できるのだからそれで良いと思っている。でもこういう積み重ねが自分自身を作っている。
これってまだ自分の可能性は捨ててはいないってことなんだ。

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