私の読書遍歴 | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

小学生の頃、週に1時間、学校の授業の中で読書の時間があった。そのとき先生からは「物語を中心に読むように」と言われていた。でも、必ず手に取っていた本は学研の学習図鑑だった。なんのことはない、まとまった文章が読めなかったのである。

大工の小せがれで勉強はまともにできない。成績は後ろから数えた方が早かった。

クラスに本好きの女の子がいた。『赤毛のアン』とか『小公女』とかカルピス名作劇場とかでよくやっていた作品を休み時間に読んでいた。あれくらいなら読めるのではないかと、自分で買った最初の本が『ガラスのうさぎ』。最後まで読んだには読んだが、その後読書習慣が付いたとは決して言えない。

中学の時はジュブナイルを中心にSF作品を読んでいた。読みやすい物ばかりだったが2日に1冊とか読めるようになり、俺って読めるじゃん、って思うようになる。半村良とか小松左京とか星新一とか、あまり頭の痛くならないものばかりだったが、この頃に読んだ本の文章が頭の中に残って、その文体で文章を書き出すという妙技があることに気が付く。

高校の頃に豊田有恒の書いた『こうすればあなたもSF作家になれるかもしれない』という本を読んで、同じ作家の作品を3冊読めば文体が身につくということを知り、なるほど中学の時の妙技はこのことだったのかと納得する。このころはカートボネガットなど海外作品などを読むようになる。

浪人時代になぜか、独白ばかりの一人称”僕”がつく作品ばかり読むようになる。『赤ずきんちゃん気をつけて』とか『ライ麦畑でつかまえて』など。ほとんど勉強はそっちのけのけで、予備校担当講師からは「ほとんどセカンドウェーブが見えている」とまで言われるが、どういうことか前日に読んだ講談社学術新書の「ヨーロッパの文化」「朝鮮史」に載っていたことがまるまる世界史の試験に出て、奇跡的に日大国際関係学部に合格。

大学時代は静岡の三島にいたことから、この土地にゆかりのある井上靖の作品などを読む。他は卒業論文のためにいろいろと読んではいるが、あまり印象には残っていない。娯楽の少ないところで、隣の沼津市まで毎週のように出かけて映画ばかり観ていた。どちらかと言えば映画に傾倒していたように思う。

社会人になってまったく本を読まなくなる。仕事をITに選んだことから専門書ばかりを読むようになり、文学作品を読む時間が無くなってしまった。

社会人10年目くらいに、このままではダメになると思い、大阪芸術大学・文芸学科に通信生として入学。純文学を中心に読み直すようになるが、10年のブランクは重く難しい漢字が全く読めないということに気が付く。1年くらいは辞書を引き引きノートを取りながら本を読むということを続けた。掌編小説から中編、そして長編小説へとどうにか通読ができるようになる。

その後、透析患者となり、透析室では必ず文庫を1冊持っていくようになる(現在はKindle)。極端な話、本を読むことと文章が書ければ自分的にはOKという思いから、透析を受けていてもあまり苦には感じなくなった。透析に時間を取られているというよりは、自分の自由な時間が確保できた、まとまった読書の時間ができたと思うことの方が大きい。

ところで今の中高生はまとまった文章の通読ができないそうだ。自分の子供を見ていても、やはりそう感じる。まとまった時間、本を読むという習慣が無いし、スマホなど読みやすい情報に触れることは多くても、長い文章などに目をやることは国語の時間以外少ないのかと思う。

今日、子供の通う高校で生徒が読みたくなる本を厳選する作業をすることになった。子供の通う高校は部活動が盛んなので、各種スポーツを題材にしたものを選んでみようと思うが、ラグビーやサッカー、陸上だけでなく、文化系部活に所属している子供も手に取りたくなる本も選んで欲しいという要望も出た。50冊くらいリストを作成し、後日学校側に提出。先生方もチェックされた上で問題がなければ、学校図書館に入れるとのこと。

さてさて、何を選ぼうかな?

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