「自分軸」を育てる

クリスタルボウル奏者&心理カウンセラー

のNaoeです(^^♪

 

 

先週から運動してもぱったり

汗がでなくなり、はて?何故だ?

寒くなったから?

インストラクターの先生に

聞いてみると、

 

 

 

「水分不足」と。

 

 

 

なるほどー!!!

筋肉はタンパク質と水

でできているとのこと。

 

 

 

そういえば・・・

途中測定で、たんぱく質は

増えているけど、水分が

減少していますと言われた

ところだった。

 

 

 

そういえば頭痛もする。

水分をしっかりとって、

今日の私の心の時間スタートです♪

 

 

 
 

 

今日は「三途の川」ならず・・・

「三途の線」についてです(^^)/

 

 

 

14年前、私は、自殺企図が止められず、

目が離せなくなったことがありました。

クリスタルボウルと私~愛の手紙~part2より

 

 

 

わかってはいるけど止められない。

気が付くと、どうやって命を

終わらせるかと頭をぐるぐる巡るのです。

 

 

 

「死にたい」「死にたい」「死にたい」

 

 

 

 

これは本当に怖かった。

湧いて出てくるのです。

ふとした瞬間に。

 

 

まるで、何かにとりつかれたかのように

明らかな声が聞こえます。

 

 

 

「死にたい」

 

 

 

私は、もう自分自身に限界を感じ、

当時の彼にお願いをしました。

「精神科へ入院させてほしい」

「このままでは、本当に命を落としてしまう」と。

 

 

 

 

彼は、一生懸命、

名医を探してくれました。

そして、女性の精神科医を

見つけてくれて、受診に行きました。

 

 

 

しかし、不在・・・、

変わりに出てきた先生は、

定年間近の男性医師。

どうしようか迷いましたが、

このまま帰れない

と思い、そのまま受診。

 

 

 

 

 

セオリーに沿った評価を行い

症状から

「即入院」「閉鎖病棟へ」

と判断されました。

 

 

 

でも、ここで先生がジーッと

私の目を見つめたのです。

 

 

 

何だろう。。。

と思っていると・・・

 

 

 

「なんかおかしいんだよ」

「あなたはここに来る人じゃないんだ」

「診断では、閉鎖病棟なんだけど・・・」

「あなたの居場所じゃないよ」

 

 

と。

 

 

 

先生は悩んだ末、

私の目をじっと見つめ直し、

「開放病棟」へ入院させて

くださいました。

 

 

 

 

 

「僕は君を信じるよ」

「君の目は立ち直れる目をしている」

と先生が私に伝えてくださったのを

覚えています。

 

 

そして「開放病棟」へ入院。

 

 

症状的には、「閉鎖病棟」の私は、

看護師さんたちは目を離せません。

目をはなせば、自分の首を絞めており、

いつも首の回りは内出血の跡がありました。

 

 

 

首を絞めているときが私の至福の時間。

 

 

 

病棟内を回り、首を吊れる

ところを探し回りました。

同室の先輩が教えてくれます

「ここで首を吊った人がいるよ」

と。

 

 

 

「こんなところで!?」

というところ。

そう。

人は本気になればなんだってできる。

 

 

 

あとは、首を絞める紐。

 

 

 

 

そんなとき、一つ救いの手が

差し伸べられました。

 

 

それは外出。

「開放病棟」は外出が自由なのです、

 

 

薬漬けになっている私は、

まっすぐに歩くこともままならず。

予測もできない転び方をします。

足に力も入らないし、

体を守る手も出ない。

 

 

途中で転び、血だらけになって

帰ると、看護師さんは大慌てです。

 

 

 

病棟中大騒ぎ。

転んでけがをしたと思えないくらい、

ひどいけが。

 

 

 

傷が深く骨が見えたこともあります。

 

 

 

 

 

先生は毎日、毎日診察と、

面談を繰り返しました。

 

 

「なんで、ここに来るはずの

ないあなたがここにきているのか」

それを明らかにしなくては、と。

何度も、何度も、何度も、

何度も話を聞いてくれました。

 

 

そして2カ月が経過し、

「やっとわかったよ」

「だから退院していいよ」と。

 

 

 

 

そのとき、私の自殺企図は、

完全にはきえていませんでいた。

しかし、原因が分かった以上、

入院をさせておけないのだそう。

 

 

 

退院の日先生は、私に言いました

「あなたを信じるから」と。

 

 

 

その時は、あまりその言葉の意味が

分からなかったのです。

私には不安しかなかったのです。

また、自分を傷つけるであろう。

もう数カ月入院していたいと

思いまいした。

 

 

 

 

退院は、「一人暮らし」のアパートの部屋。

家族と不仲のため、実家では

症状が悪化すると判断し、

先生は仕方なく一人の部屋へ

帰したのでした。

 

 

 

どのように過ごしていたかなんて

全く覚えていません

どうやってごはんを食べて 

いたのかも覚えていません、

 

 

とにかく次の受診まで、過ごし、寝ていた

そんな記憶があります。

 

 

退院後、一週間。

初の外来受診の日。

まだ、薬が抜けず、ぼーっとする頭のまま

運転して病院へ。

 

 

 

 

すると、診察途中の先生が、

走って出てきました。

そして、私の顔をみて言ったのです。

 

 

「あー。良かった。」

「ダメかと思ってたよ」

「これであなたが首を吊ったら、

    主治医の僕に警察から電話がくる」

「僕は殺人犯になる」

「いつ電話が来るか、24時間携帯

    をずっと握っていたよ」

 

 

 

 

「僕はもう医者をできなく

     なることもも覚悟したよ」

「良く頑張ったね」

「もう大丈夫だよ」

「携帯を握るのはもうおしまいだ」

と。

 

 

 

 

私は、このとき、はじめて、

先生がどれだけの決意で、

退院を判断をしたのかを理解しました。

 

 

「この先生は、私を救うために

                         全力を尽くしてくれた」

 

 

 

 

その先生が、紙に書いて説明してくれました。

 

 

 

「三途の線があるんだよ」

「それを超えてしまうと、

      元の世界には戻れないんだ」

「だから、その線を越えちゃだめだよ」

「君は微妙なところにいた」

「わたり切らなくてよかった」

 

 

 

 

 

「これからも、越えちゃだめだよ」と。

 

 

 

 

 

その後、

私は処方されていた薬を、

自らの判断で飲むのをやめました。

薬を飲んでいては、治らないと

直感的に思ったから。

 

 

 

やめたときは、それはそれはつらかった。

座っても立ってもいられなかった。

でも、やめるという意志は

変わらなかった。

 

 

 

こんなに助けてくださっている先生に

怒られることを覚悟で、正直に

伝えました・・・

 

 

 

 

すると・・・

「良くやめたね。こんなもの

     やめた方がいいんだ」

「やめられない人がほとんどだ」

「やめられてよかった」

 

 

勝手にやめた私を責めずに

伝えてくださいました。

 

 

 

最悪の中の最高の出会い

 

 

退院後外来で、DVの話をしました。

 クリスタルボウルと私~愛の手紙~より

 

 

何があったのか、

紙にびっしり詳細を書いて。

先生はそれをみて唖然としてました。

 

 

「良くかけたね」

「僕の想像以上のことが起こっていた」

と私の顔を眺めて頭を撫でてくれました。

 

 

 

 

 
 

その後、5年かけて、自殺企図は、

だんだん症状を小さくなっていきました。

 

 

明日へ続く♪(^^)/