ここに行こうと思ったのは友人に龍門(りゅうもん)という珍しい苗字の人物がいて、龍門が付く地名(龍門山など)を見つけるとそこに行くことを楽しみの一つにしているからである。
龍門寺に行ってみて、彼の珍しい苗字に大いに感謝することになった。
境内を見学して良い所に来たなぁという感慨に浸りつつ本堂左奥に進むと、予期しなかった発見に私のテンションは一気にMAXに高まることに。美濃の初代守護大名となった土岐頼貞(1271-1339)の供養塔があったのだ。
足利尊氏(1305-1358)の幕府樹立に大きく貢献して美濃守護職に任じられ以後200年土岐氏が美濃を支配する礎となった。
若年の頃に尊氏も崇敬した夢窓疎石(1275-1351)と親交を結び臨済禅や和歌に触れた。歌人としても高名であり、また禅宗に帰依して美濃国内に多数の寺院を開基した。前述した龍門寺はこの内の一つであった。また軍事においても、美濃の一族を統率して南朝との戦いで多くの戦功をあげたまさに文武両道の名将と言える。土岐源氏の子孫で200年後に登場する明智光秀(1528-1582)のような器量人であったのではないか、と想像してみる。これらの功績から足利尊氏から絶大な信任を得て「御一家(足利氏)の次、諸家の頭」と呼ばれた。
自分の生年のちょうど700年前に生まれた人物ということも好奇心に拍車がかかり、瑞浪市土岐町に土岐頼貞の墓所があることを知り即現場へ。
土岐氏の菩提寺だった光善寺跡が道路の整備によって東西に分断されている。
頼貞の墓は西側、写真の奥にある。
他の墓石が誰のものかはわからないが、歴代の土岐氏一族のものであろう。
住宅地に埋もれるようにひっそりと佇む墓石群を前に、750年前に勢威を奮った土岐氏の栄枯盛衰を思わずにはいられない。また一方でこの形でもよくぞ残っててくれたという感慨も織り混ざって中世の美濃を偲ぶことが出来た。
帰路、頼貞墓所のあった光善寺跡を分断した道路を振り返り、お別れした。
頼貞の息子 頼遠(?-1342)は婆娑羅大名として名を馳せ、家督を継いだ嫡子頼清の子頼康(1318-1388)の時に尾張、伊勢を合わせた東海三国の守護となり、土岐氏の全盛期を迎えるのである。








