前々回に紹介した奥殿藩1万6千石を領した大給松平家の祖となった松平乗元(1446-1537)のお墓をお参りした。
徳川氏のルーツ松平氏発祥の地、豊田市松平郷の玄関口となる街道を見下ろす高台にある大給城址にある。方形状に石柱で区画された立派な墓所である。
乗元は松平氏第四代親忠(1431?-1501)の次男で、祖父信光がここから南にある岩津に侵攻してこの地を親忠に与え、親忠が乗元に任せることになった。そして乗元・乗正父子によって大給城は大規模に修築された。乗元に関する情報が少なくその人物像に迫ることは難しいが、この後紹介する大給城址を見て築城に深い見識があったことを伺うことが出来る。
墓石正面の刻印部分は平面であるが、後ろが半円形の珍しい形状。
天保年間に子孫が先祖ゆかりの地に建造したと案内板にある。
お墓のある位置は城の入口を右に入った開けた場所で、大給城の櫓か門番の番所があったのではないかと思われる。
お墓参りを終えて左手城の入口に向かうと堀切があり、松平氏遺跡の石碑がある。更に進むと虎口があり、通路は狭くなっている。中世の山城の武骨さが漂い、何とも言えない緊張感のあるいい雰囲気。
視野を狭められた虎口を抜けると目の前に立派な石垣に行く手を阻まれる。繰り返しになるが野面積みの武骨な石垣が松平氏の勇猛さを連想させる。その石垣を超えると開けた場所に出る。これが主郭に当たる場所である。
左側に物見岩と名付けられた巨岩があって、足助街道と新城街道の交差点を眼下に見下ろすことが出来る。さらに巴川の水運もここで監視出来る為、陸上・水上交通の要衝地を抑えたことになる。
決して前線基地ではないが守備だけでなく、人や物資が行き交う
この地に目を付け、機能的な城を縄張りした松平乗元は只者ではなかったと思える良い山城であった。その子孫が繁栄したのもうなづける。入口手前に数台の駐車スペースがあって気軽に散策するのに最適で、また来たいと思わせる場所であった。







