私の生まれ育った町、愛知県刈谷市は徳川家康の生母・於大の方(1528-1602)ゆかりの地である。今NHKの大河ドラマで「おんな城主・直虎」を放送している。柴崎コウさん演じる次郎法師(井伊直虎)が大勢力に挟まれた一族の領地を、複雑に変化する政治情勢に翻弄されながらも懸命に守り抜こうとする姿に引き込まれ、自身初の大河ドラマ連続視聴記録更新中である。
ドラマを見ているうちに我が町・刈谷の当時の状況がまさにこれと酷似しており、やはり複雑な政治情勢に翻弄された女性が地元にいたことに気付く。於大の方である。
刈谷の地は尾張と三河の境界にあり、川を挟んだお隣の尾張・緒川城主の水野氏が境界をまたいで治めており、尾張の織田氏と三河の松平氏に挟まれてどちらにも顔を立てながら生き抜いてきた。このしがらみの中、松平氏との関係を保つために於大の方は松平広忠(1526-1549)の元に輿入れし、天文11年(1542)に竹千代(後の家康)を出産する。
しかし父・水野忠政(1493-1543)の死後、家督を継いだ兄・信元が天文14年(1544)に松平氏とその主君である今川氏を見限り織田氏に臣従した為、今川氏の心象を気にかけた広忠から離縁され、実家の刈谷城に返されることになった。信元はこの後、在地の国人領主が割拠していた知多半島の統一に乗り出しており、この活動の承認か後ろ盾になってもらうことが狙いであったと思われる。出戻りとなった於大の方は信元の指示で知多郡坂部城主・久松俊勝
(1526-1587)に再嫁した。
左:坂部城(または阿古居城)跡の城山公園の石碑
右:本丸広場。末裔・松平定信氏他いくつかの石碑やお手植えの梅の木等がある。
俊勝には前妻の子・信俊(?-1577)がいたが、於大は駿府で人質となっていた息子の竹千代に励ましの手紙を絶えず手紙を送り続けた。俊勝と於大は3男3女の子宝に恵まれ、円満な生活であったことがうかがわれる。
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いの後に今川氏から独立した松平元康は、俊勝・於大夫婦と子供たちを岡崎に引き取り、3人の息子には松平の姓を与えて家臣とした。
永禄5年(1562)今川方の武将・鵜殿長照(?-1562)が守る三河宝飯郡西郡の上ノ郷城を攻略し、俊勝はこの地西郡を治めることになった。知多郡阿久比の坂部城を長男・信俊に譲り、上ノ郷城には於大との間に生まれた最初の子・康元(1552-1603)を据えた。
このまま夫婦と子供(家康とは異父弟)ともに家康の領土拡大事業に貢献するはずであったが、妻・於大の兄・水野信元が織田信長から謀反の疑いを懸けられ、家康に殺害の指令が下ると家康は織田家との同盟を重んじ、何も知らない俊勝に信元を呼び出させ岡崎・大樹寺で平岩親吉(1542-1612)が処刑した。佐久間信盛(1528-1582)の讒言によるものであった。平岩親吉は屍に無念であると涙ながらに詫びたという。
一方俊勝は、この時の家康の対応に嫌気がさして西郡で隠居し天正15年(1587)3月13日、岡崎城で62年の生涯を閉じた。平岩親吉の言葉と久松俊勝の隠居から、信元は単に妻の義兄という事だけでなく人から恨みを買うような人物ではなかったことがうかがえる。
この後、佐久間信盛配下で石山本願寺と戦闘中であった俊勝の長子・信俊は、かつて一向宗を保護していたことを信盛に讒言され信長に謀反の疑いを懸けられたことに憤慨して陣中で自害した。その後すぐに信盛は坂部城を攻めて阿久比の領地を我が物とした。先の水野氏の領土である刈谷・緒川も同様に佐久間領としており、目立たないが戦国の梟雄とはこの男を言うのではないかと思えるやり方である。
後に信長から19か条の折檻状を突き付けられて突如として追放の憂き目を見るが、同情の余地はなくさすが信長公、よくわかっていらっしゃるというべきであろう。
俊勝の死後、於大は俊勝の菩提寺であった西郡・安楽寺で剃髪して伝通院と号し、夫の墓を建立し菩提を弔った。
山門:宝暦2年(1752)の造営。門の先にあるはずの本堂は平成25年(2015)10月25日に寺関係者のたき火が原因で全焼した。無事であった山門は見事な入母屋造り二重門である。
左:安楽寺にある俊勝墓の前に立つ案内文。東隣にあるはずの本堂はなく、更地である。
右:お墓は当時の姿をとどめており、貴重な遺構を残していきたいという気持ちになる。
親族、親兄弟であっても殺し合うこともある骨肉の争いが絶えない時代にあって、大河ドラマの井伊家同様、小さな勢力だからこそ一族が団結して生き延びる、そんな絆や思いやりのある夫婦関係を見た気がして、地元の先人の生きざまを誇らしく思った。
左:知多郡阿久比町にある久松寺・洞雲院の山門
右:ガラスの反射で見にくいが、奥に於大の方像がある。
久松松平家墓所、右から久松定義、俊勝、於大の方、松平定綱(1592-1652俊勝四男・定勝の三男)。木々に囲まれた荘厳な空間にある質素ながら立派な石組みの囲いがある墓石群。






