ゴールデンウィークに岡山に行き国宝閑谷学校と池田家墓所を巡ったことを前回までのブログに書いたが、それ以来岡山についてもっと知りたいと思うようになった。
地図を眺めたり地元ゆかりの人物を調べていると、すぐに興味をくすぐる自分好みの人物が見つかった。
あぁいたなぁ、聞いたことある~って感じで思い出したのは山田方谷(1805-1877)である。
幕末の備中松山藩を藩政改革によって財政を立て直し、越後長岡藩の家老として最後まで官軍と戦うことになった河井継之助の師であることで有名な人物である。河井継之助の壮絶な生涯を書いた名著司馬遼太郎の「峠」に登場し、河井に強烈な印象を残している。
山田方谷については後日岡山を訪問してその足跡を辿るつもりであり、またその主人備中松山藩主板倉勝静(1823-1889)との関係性が大変興味深いので、備中松山城を見ながらゆっくりと考えよう。実に楽しみである。
さて、岡山に行かずとも我が地元三河の西尾市に備中松山藩主板倉氏のルーツを辿ることが出来る場所がある。
山田方谷から繋がりのある人物とゆかりの場所を調べて辿り着いたのは西尾市の長円寺、地元にいながら今まで知らなかった、というより興味を持たなかったことを恥じつつ、身近に閑静な山寺を発見した驚きと感動で岡崎平野の東南端、大岩山を背景にひっそりと佇む姿を眺めた。
この寺は板倉勝静から13代前の板倉勝重(1545-1624)の菩提を弔うために父の七回忌(1630年)に息子の重宗(1586-1657)が建立した寺で、本堂裏手奥に勝重の遺骨を体内に納めた勝重像を安置した霊廟「肖影堂」、これを取り巻くように歴代の当主と夫人の墓が林立する板倉家墓所がある。
本堂・永平寺の大工により1816年に再建 写真では伝わりにくいが中々の大伽藍
山門を入って振り返った所 静寂に包まれいい雰囲気
板倉氏は勝重以降も子息達が有能で幕府の信頼厚い家柄であった為岡山に2家、安中に1家、福島に1家の4家が大名として明治まで存続しているが、どこに領地を替えられてもこの西尾長円寺を菩提寺として変えなかったことが特異と言える。
これから、地元に残る名刹長円寺に立ち板倉氏繁栄の元になった板倉勝重、重宗父子の生涯に思いを馳せて足跡を辿っていきたい。続く…