歴史上人物のお墓参り③続 徳川義直・瀬戸市 | nao7248のブログ

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お墓参りというタイトルをつけていながらお墓に関する記述を全くしていないことに気付いた。というのも、好きな歴史上の人物となればその人物像に迫ろうとして事績・背景を積み上げる必要があり、その結果お墓自体のことに触れることを忘れてしまうのだ。

今回は徳川義直公廟のある瀬戸市・定光寺のことを書くことに触れつつ、人物像に迫りたい。

定光寺のある瀬戸市は、義直公の居城名古屋城のある広大な濃尾平野が尽き、山岳地帯の始まりとなる春日井市と隣接して北は岐阜県との県境の位置にある。

水野の里と呼ばれる山が険しく木々の多い場所にあり、麓の県道205号線を渡ると義直公の一人息子光友公が寄進した石橋がある。この石橋でいきなり三百数十年の歴史を感じることが出来る。石橋を渡ると森の中に入り、長い石段が続く。森に囲まれた石段の両脇にお地蔵さんと小川があり、水音が何とも心地いい。秋は紅葉がきれいだろうが、夏はひんやりした空気に包まれて納涼を味わうことが出来るので、私のお気に入りの場所になっている。

山門をくぐると山間の寺である為境内の奥行きが少なく、眼前に重文建築である本堂が現れる。1336年の創建から4年後の1340年に建立、その後災害にあうが1534年に再興された室町時代後期の建造物である。二重の入母屋造りで杮葺きの屋根は軒が深く、反りが美しい。今のところ、愛知県内で私の一番好きな寺である。

家康公の九男で初代尾張藩主・義直公は父親譲りの鷹狩り好きであった。その道中でこの寺に立ち寄り、尾張平野部を一望できるこの地を気に入り、自ら死後はこの地に葬られたいと望んだという。県内には小牧山の近くや春日井に鷹狩りの休憩所としていくつかの御殿を造営した。

家康公への敬愛は厚く、鷹狩り以外にも前回書いた通り剣術は柳生利厳と30年来の師弟関係で新陰流を相伝され、学問を良くし国学、神道を探求し著書もいくつか残している。書物を好み、自身が収集した書誌を所蔵した蓬左文庫を開放したことは現在の図書館の前身となった。

家康公の遺訓を常在戦場の気概を保ち続けた、名古屋の治政に力を注いだ名君として名高い。

定光寺本堂を奥に進むと源敬公廟(義直のこと)に続く坂道があり、2つの門と塀を含む一帯が重文となっている。1650年の死から一年後に気化した明人・陳元鬢の設計による儒式の墓が、その一年後に焼香殿、宝蔵が建立された。この右側には殉死した九名の墓が主君を守るように並んでいる。殉死者の中に譜代の家臣ではない者がに2名おり一人は鷹匠で、公から受けた温かい対応に感じ入っていたことがその理由という。殉死を奨励するわけではないが、殉死者のエピソードを知る程に公の人物像が浮き彫りになると思う。その功績は、現在の名古屋、更に愛知県・東海地区一帯の発展を見ればお分かりになろう。
定光寺門前