阪神タイガース情報1/4 | NAOのNEWSブログ

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阪神・中野の二塁コンバートに井端氏「どっちに転ぶか楽しみ」

 

阪神・中野拓夢 (C)Kyodo News

◆ 今季は遊撃でベストナイン  12月22日放送のCSフジテレビONE『プロ野球ニュース2022』では「年末大反省会SP」と題して解説陣が今季のプロ野球界を振り返り、来季から二塁起用が有力視される阪神・中野拓夢選手に言及した。  プロ2年目の中野は、2022年シーズンも遊撃のレギュラーとして135試合に出場し、打率.276、23盗塁、リーグ3位の157安打をマーク。自身初のベストナインにも選出された。岡田彰布監督が率いる新体制のもと、来季は二塁起用が有力視されている。  シーズン中も解説席で岡田監督と話していたという田尾安志氏は「中野の課題は出塁率を上げていかないといけないと思う。後半は粘ることもありましたけど、前半は淡白でしたよね」と打撃面の課題を挙げた上で、「(岡田監督は)中野をセカンドに持っていくような話もしていた」と来季の二塁起用について言及した。  中野の二塁コンバートについて、井端弘和氏は「(盗塁を昨季同様に)走れるか走れないか、どっちに転ぶかわからない。セカンドのほうが若干楽なところがある一方で、ショートでたくさん動いていたから足も動けていたというのもあるので、どっちに転ぶか楽しみ」と述べた。  また、来季の遊撃手について田尾氏は「守りを重視するなら小幡(竜平)の可能性もある。それに木浪(聖也)もいる。あと“ハンサムボーイ”熊谷(敬宥)がいますよね。久慈照嘉コーチのイチオシは熊谷でした」と口にした。 ☆協力:フジテレビONE『プロ野球ニュース2022』

 

 

 

 

虎のソナタ 星野監督の英「暖」で暗黒時代脱出 快適沖縄キャンプで寒さに震えずに練習

 

2003年、沖縄・宜野座キャンプで星野監督㊥を取材する当時の稲見トラ番キャップ㊨。左は監督付広報だった平田ヘッド

あれは「阪神・星野監督」が誕生してまもなくのことだった。当時のトラ番キャップ・稲見誠(現企画委員)が、そのちょっと前までトラ番キャップだった私に聞いてきた。 「星野監督が僕に尋ねてきたんです。何で阪神の選手は、誰もキャンプ地に先乗りしないんだろう?って」 中日時代は、選手が競って先乗りして、来るべきキャンプの準備をしていた。それが闘将の常識。ところが新天地に来たら誰も行っていない。この球団はどうなっているんだろう、と不思議に思ったのだろう。ひょっとしたら「生ぬるいチームだ」と感じたのかも。 「それは、中日のキャンプ地が暖かい沖縄だから。阪神のキャンプ地は安芸。雪が降るような土地に先乗りしても、ただ寒いだけやで」 そう答えた。それ以上でもないし、それ以下でもない。タイガースは他球団と比べても圧倒的に寒い場所でキャンプをしていた。長年、それが当たり前と思い込み、震えながら練習したり取材するのも当たり前だと信じ込んでいたのだ。 2003年からスタートした沖縄のキャンプは快適そのもの。練習は厳しかっただろうが、トラ番たちは一気に楽になった。仕事が、ではなく、健康面が。寒さが無意識のうちに体力を奪い去っていたことを知ったのは、あのときだ。 阪神が暗黒時代を抜け出し、常に優勝が争えるチームになったのは、キャンプ地が沖縄に行ったから。これは歴史が証明している。もちろん星野監督のおかげ。あの行動力があったからこそ、今のタイガースがある。 タテジマの恩人が亡くなって5年。お世話になった人がいろんな思いで迎える「1・4」。天国からの優しい言葉が、厳しいゲキが、それぞれに届いていることだろう。 安芸が寒いという話題だが、比較にならないぐらいの極寒地で取材していたのがトラ番・織原祥平。新年早々、横浜市内でドラフト1位・森下翔太外野手(中大)の取材をした男は、休む間のなく空路、北海道へ飛んだ。今度はドラフト2位・門別啓人投手(東海大札幌高)の始動だったのだが…。 「新千歳空港に着いたら、氷点下10度ですからねぇ。甲子園の駐車場が寒い、鳴尾浜球場が寒い、とボヤキ続けてきましたが、この寒さを知ったら、これからは『寒い』という言葉を使いづらくなります」 JRに乗り換えて、苫小牧駅に着くと、積雪こそなかったが、地面がカチンカチンに凍り付いていた。油断をしたらスッテンコロリンの恐怖が。 「重心を低くして、キャリーバッグを引っ張りながら、すご~くゆっくり歩いて取材場所にたどり着きました」 不格好な姿だけが思い浮かぶ。おつかれさま。 門別投手はタコがお好きらしい。北海道の方が食するのは「世界最大のタコ」と呼ばれるミズダコ。これは関西方面で食べるタコと食感が全く違って、メチャクチャおいしい。実は私、タコにはうるさい。北海道のタコ、死ぬほど好きだ。 織原に「タコ、食ったか?」と尋ねたら「横浜&苫小牧1泊2日の弾丸ツアーで、夜はチェーンの居酒屋でした。タコは食べてません」-。ことしの交流戦で札幌に行ったら、一緒にミズタコ食いに行くか?!

 

 

 

 

 

虎のソナタ 星野監督の英「暖」で暗黒時代脱出 快適沖縄キャンプで寒さに震えずに練習

 

2003年、沖縄・宜野座キャンプで星野監督㊥を取材する当時の稲見トラ番キャップ㊨。左は監督付広報だった平田ヘッド

あれは「阪神・星野監督」が誕生してまもなくのことだった。当時のトラ番キャップ・稲見誠(現企画委員)が、そのちょっと前までトラ番キャップだった私に聞いてきた。 「星野監督が僕に尋ねてきたんです。何で阪神の選手は、誰もキャンプ地に先乗りしないんだろう?って」 中日時代は、選手が競って先乗りして、来るべきキャンプの準備をしていた。それが闘将の常識。ところが新天地に来たら誰も行っていない。この球団はどうなっているんだろう、と不思議に思ったのだろう。ひょっとしたら「生ぬるいチームだ」と感じたのかも。 「それは、中日のキャンプ地が暖かい沖縄だから。阪神のキャンプ地は安芸。雪が降るような土地に先乗りしても、ただ寒いだけやで」 そう答えた。それ以上でもないし、それ以下でもない。タイガースは他球団と比べても圧倒的に寒い場所でキャンプをしていた。長年、それが当たり前と思い込み、震えながら練習したり取材するのも当たり前だと信じ込んでいたのだ。 2003年からスタートした沖縄のキャンプは快適そのもの。練習は厳しかっただろうが、トラ番たちは一気に楽になった。仕事が、ではなく、健康面が。寒さが無意識のうちに体力を奪い去っていたことを知ったのは、あのときだ。 阪神が暗黒時代を抜け出し、常に優勝が争えるチームになったのは、キャンプ地が沖縄に行ったから。これは歴史が証明している。もちろん星野監督のおかげ。あの行動力があったからこそ、今のタイガースがある。 タテジマの恩人が亡くなって5年。お世話になった人がいろんな思いで迎える「1・4」。天国からの優しい言葉が、厳しいゲキが、それぞれに届いていることだろう。 安芸が寒いという話題だが、比較にならないぐらいの極寒地で取材していたのがトラ番・織原祥平。新年早々、横浜市内でドラフト1位・森下翔太外野手(中大)の取材をした男は、休む間のなく空路、北海道へ飛んだ。今度はドラフト2位・門別啓人投手(東海大札幌高)の始動だったのだが…。 「新千歳空港に着いたら、氷点下10度ですからねぇ。甲子園の駐車場が寒い、鳴尾浜球場が寒い、とボヤキ続けてきましたが、この寒さを知ったら、これからは『寒い』という言葉を使いづらくなります」 JRに乗り換えて、苫小牧駅に着くと、積雪こそなかったが、地面がカチンカチンに凍り付いていた。油断をしたらスッテンコロリンの恐怖が。 「重心を低くして、キャリーバッグを引っ張りながら、すご~くゆっくり歩いて取材場所にたどり着きました」 不格好な姿だけが思い浮かぶ。おつかれさま。 門別投手はタコがお好きらしい。北海道の方が食するのは「世界最大のタコ」と呼ばれるミズダコ。これは関西方面で食べるタコと食感が全く違って、メチャクチャおいしい。実は私、タコにはうるさい。北海道のタコ、死ぬほど好きだ。 織原に「タコ、食ったか?」と尋ねたら「横浜&苫小牧1泊2日の弾丸ツアーで、夜はチェーンの居酒屋でした。タコは食べてません」-。ことしの交流戦で札幌に行ったら、一緒にミズタコ食いに行くか?!