【箱根駅伝】駒大が歴史的逆転V 3分19秒差を10区石川がひっくり返す 大八木監督「お前は男だ!」
◆報知新聞社後援 第97回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)復路(3日、芦ノ湖―読売新聞東京本社前、5区間=109.6キロ) 【写真】大逆転立役者10区・石川拓慎の顔とプロフィル 学生3大駅伝単独最多22勝を誇る駒大が、10区で3分19秒差を逆転して13年ぶり7度目の優勝を果たした。出場わずか4回目ながら初優勝を目指した創価大のアンカー小野寺勇樹(3年)を駒大・石川拓慎(3年)が残り2・1キロ付近で逆転した。 序盤から攻めの走りを続けた駒大の石川。ペースの上がらない創価大との差をじりじり詰めると、残り2・1キロ付近でとらえ、一気にスパート。3分19秒、距離にして約1キロ以上あった差をひっくり返した。監督車に乗っていた大八木弘明監督も「やったね! お前は男だ!」とねぎらった。 往路を1位創価大と2分21秒差の3位で終えた駒大。6区花崎悠紀(3年)が区間賞の走りを見せたが、区間上位で走り続けるトップの背中をなかなかつかめなかった。万事休すと思われたが、最終10区での大逆転が待っていた。 創価大は初期の1~3回大会を除くと、5度目の出場だった1926年の第7回大会で初優勝した中大を超えるスピード優勝を目指したが、史上18校目の箱根路の覇者とはなれなかった。 大会を主催する関東学生陸上競技連盟は新型コロナウイルス感染防止対策として、駅伝ファンに「観戦や応援目的での外出はお控えください」というメッセージを発信。例年、スタートの大手町は早朝から大観衆が詰めかけるが、この日は人影まばら。普段とは違う雰囲気の中、駒大が栄光のゴールを迎えた。
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創価大、最終10区で悲劇 3分19秒のリード守れず2位/箱根駅伝
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第97回東京箱根間往復大学駅伝復路(3日、箱根・芦ノ湖-東京・大手町、5区間=109・6キロ)関東の20校とオープン参加の関東学生連合を加えた21チームが参加して行われ、出場4度目の創価大は総合2位だった。 大逆転劇を許した。初の往路Vを飾り、首位でスタートした山下り6区(20・9キロ)の浜野将基(2年)は区間7位で踏ん張り、2位の駒大と1分8秒差でたすきをつないだ。7区(21・3キロ)の原富慶季(4年)は区間2位の好走。駒大との差を1分51秒差に広げた。 8区(21・4キロ)の永井大育(3年)は区間8位で駒大に1分29秒差まで迫られたが、9区(23・1キロ)の石津佳晃(4年)が区間賞に輝き、駒大との差を3分19秒まで広げ、最終10区(23・0キロ)のアンカー小野寺勇樹(3年)に託したが大ブレーキ。残り2キロで首位から陥落した。 過去3度出場で昨年の往路7位が最高成績。前回大会総合9位で初のシード権を獲得した新興勢力で、下馬評は高くなかった。上位10人の1万メートルの平均タイムは関東学生連合を含む出場21チーム中、13番目。昨年11月の全日本大学駅伝は上位8人のタイムによる書類選考で落選した。榎木和貴監督は「タイムが走るんじゃない、人が走るんだ」と選手を鼓舞してきたという。大学日本一を決める伊勢路の出場を逃した選手たちが奮起したが、赤と青のストライプ柄のたすきをトップで東京・大手町に持ち帰ることはできなかった。
箱根駅伝 青学大主将・神林 直前のケガ、給水役の伴走で「ラストラン」
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第97回東京箱根間往復大学駅伝で往路12位と苦戦した青山学院大は復路で健闘。大会直前の故障で欠場となった主将の神林勇太(4年)は、9区で飯田貴之(3年)の給水役を務めた。 9区の15キロ手前、東海大と4位争いを展開する飯田に給水を手渡した神林は大声で激励した。わずかな距離の伴走が、神林にとって競技人生の「ラストラン」となった。 神林は「箱根が終わってしまうと、それ以上頑張れない。懸ける思いは誰よりも、どんなものよりも大きい。未練はありません」。大会前、すがすがしく語っていた。常勝軍団の主将が陸上を始めたきっかけは「父が箱根好きだったんですよ。それがきっかけで、自分も箱根を走りたいと思って」。 神奈川県出身で、中学時代から才能の片りんを見せていた。関東の強豪からも誘いがある中で、あえて自身を追い込むために無縁の九州の雄・九州学院(熊本)へ進学。1年時から「スーパールーキー」と騒がれ、3年連続で都大路を走った。入学当時、箱根を3連覇し大学駅伝3冠も達成するなど、無類の強さを誇った青学大を選んだのは必然だった。 3年生だった前回大会で初めて箱根路を走り、復路最長の9区(23・1キロ)で区間賞。チームの2年ぶり5回目の優勝に貢献し、新チームで主将を任された。コロナ禍で活動やチーム運営にも影響があった中で「引っ張る姿を見せることに注力してきた」。原晋監督も「神林を中心によくまとまってくれた」とリーダーシップを高く評価する。 卒業後は、箱根駅伝のスポンサーで大手飲料メーカーの「サッポロビール」に就職予定だ。「やっぱり身近で、思い入れのある企業ということで。父もビールはサッポロでしたし」と話す。 予定では主要区間の3区(21・4キロ)を走るはずだったが、昨年12月28日に仙骨の疲労骨折が判明して集大成の駅伝に出場できなくなった。それでも、主将としてチームを盛り上げるという己の役割を最後まで全うした。【倉沢仁志】