多胎育児の母が殺される日本。 | わたしたちは、いつだって好きなことをして生きていける。

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ずぼら子育て。45歳で高齢出産した三つ子ママ。「わたしたちは、いつだって好きなことをして生きていける。」(サンマーク出版)の著者です。

こんにちは。大阪在住の三つ子の母、直島美佳です。

 

 

三つ子事件の署名活動と実刑判決について、そして今後の活動について思うことを書きたいと思います。

 

 

 

 

現在(11月7日21時)は37,847人。

今でも署名は少しずつですが、増え続けています。

 

 

執行猶予を求める署名でしたが、実刑が確定しました。

 

 

日本では、多胎育児の親は守られない。育児ノイローゼになって自分が自殺するか、育児ノイローゼになって子どもを死なせてしまうしかないのかなぁと思いました。(わたしは子どもを死なせずにここまでやってきましたが、疲れてしまって「もう死にたいなぁ」と思ったことは数えきれません。)

 

 

5月29日の裁判を傍聴しました。わたしは弁護士ではありませんが、裁判の様子を見て、執行猶予がつくのではないかと思いました。

 

 

ですが、みなさんもご存知の通り、それ以降、虐待死事件が相次ぎました。

 

 

子どもが邪魔になって虐待して死なせる事件とこの事件とは、まったく違います。

 

 

ですが、あまりに虐待死事件が相次いだので、「このケースだけ事情が違う」とならない状況になってしまったのではないかと推測しております。

 

 

署名活動の中で、反対意見をたくさんいただきました。「子育てがしんどかったら、子どもを死なせてもいいのか。」

 

 

そんなことは1ミリも思っておりません。

 

 

署名してくださったみなさんもわたしも、この事件の母親が子どもを死なせたことは罪だと思っています。「子育てがしんどかったら子どもを死なせていい」なんて意見はどなたからも聞いたことがありません。

 

 

子どもを死なせたことは間違いなく罪です。

 

 

それなのにどうして、37,847人ものかたが、署名したのだと思いますか?

 

 

それは、たくさんのかたがこの事件を「人ごとではない。」と思ったからです。

 

 

「わたしも手伝ってくれるひとがいなくて正気じゃない状態だった。わたしも一歩間違えればこのお母さんのようになっていたのかもしれない。」

 

 

「今、子育てがしんどくて辛いです。」

 

 

「全責任が、母親にあるとは到底思えない。」

 

 

このような声をたくさん寄せていただきました。

 

 

わたしは同じ三つ子の母だから「ひとごとではない」と思ったのですが、署名してくださったかたは三つ子の母だけではありません。子どもの人数に関係なくたくさんのお母さんが署名してくださいました。そして、結婚しているしていない関係なくたくさんのかた、お父さんも、学生さんも。性別も年齢もバラバラの37,847人の署名です。

 

 

たくさんのかたが、手伝ってくれるひとがいない子育ての過酷さ、そして三つ子の子育てを想像してくださって、「自分もこのお母さんと同じ状況だったら、子どもを死なせてしまったかもしれない。人ごとではない」と思って署名してくださったのです。

 

 

手伝ってくれるひとがいない子育ては、正気でなくなる瞬間があります。

 

 

わたしは今でもそういう瞬間があります。子どもができる前は「母親は自分の命にかえても子どもを守るもの」だと思っていました。でも、体が本当にしんどくなってしまったとき、そういうまともな判断ができなくなるのだとわかりました。

 

 

ですから、署名の意図は、「子育てがしんどかったら、子どもを死なせてもいいのか。」どうかを問いたいのではなくて、育児を手伝ってくれるひとがひとりもおらず、育児ノイローゼになって子どもを死なせてしまったのは、お母さんだけのせいではない。誰もが、このお母さんの状況になれば、育児ノイローゼになる。だから、実刑よりも支援が必要なのでは?ということでした。

 

 

繰り返しになりますが、この事件は、実刑が確定しました。だから、判決については、これ以上言うことはありません。

 

 

twitterでたくさんの意見をいただきましたが、これから議論すべきは、この事件が実刑か執行猶予かではありません。

 

 

多胎育児の母が殺される日本。

 

 

日本では、多胎育児のお母さんが育児ノイローゼになると、法律では守ってくれないということがわかったのです。育児ノイローゼで子どもを死なせてしまったら、ほかの虐待死事件と同じ扱いになってしまうということです。

 

 

だから、日本で、育児ノイローゼになってはいけません。

 

 

子育て中の親が育児ノイローゼにならないように社会を変えていきましょう!

 

 

三つ子を連れてくたくたになって、タクシーを拾おうと思っても、タクシーは停まってくれません。乗車拒否されたことは数え切れないくらいあります。

 

 

レストランへ入って赤ちゃんが泣くと、そそくさと逃げるようにお店を出ます。どうして逃げるようにお店を出るかわかりますか?

 

 

たくさんのほかのお客様が迷惑そうにじろっと見るから、その場にいるのがいたたまれなくなるのです。赤ちゃんは「泣かないで」と言っても泣き止みません。

 

 

でも、あなただって、赤ちゃんのとき、いっぱい泣いたでしょう?

 

 

ベビーシッターを頼んだらいいじゃないかというご意見もあるかと思います。

 

 

わたしは当時(5年前)ベビーシッター会社2社へ電話しました。一社は三つ子ということで断られました。もう一社は、三つ子にはシッターが2人必要だと言われ、1ヶ月の見積もりが50万円を超えたので諦めました。さすがにシッター代で50万円は支払えません。

 

 

行政の窓口へ行って支援を受けたらいいのではないか?

 

 

わたしのところへは、区役所のかたがたびたび訪ねてきてくれました。でも、子育てでクタクタになっている体では、玄関へ行くこともしんどく、ピンポンが鳴っても出ることができませんでした。

 

 

支援があっても、受けることができないのです。

 

 

子どもの数や子どもの育てやすさによって、育児の大変さは全く違ってきます。

 

 

だから、多胎児だから育児ノイローゼになるということではなく、誰も手伝ってくれない孤独な環境での子育ては、育児ノイローゼになる可能性が高くなるということです。

 

 

子育て中の親はせいいっぱいがんばってます。だから、親に「がんばって」とは言えません。

 

 

だから、変わるのは、子育て中の親をとりまく社会です。

 

 

わたしのこれからの活動は、みんなで子育てする社会へ変えていくことです。

 

 

赤ちゃんが泣いたとき、お母さんをじろっとにらむのではなく、「元気な赤ちゃんですね」「かわいいですね」とまわりのひとが声をかけたなら、お母さんは育児ノイローゼにならずにすむのではないでしょうか。

 

 

ベビーカーは邪魔かもしれませんが、ベビーカーに乗る時期なんてほんの数年です。そのくらいの期間は、「邪魔だなぁ」ではなくて「よくがんばってるね」と思ってもいいのではないでしょうか。

 

 

いまだに、三つ子事件の判決について、議論がされているようですが、これからすることは、判決の議論ではなく、

 

 

子育て中のひとが育児ノイローゼにならない社会に変わるにはどうしたらいいのかなを考えることです。

 

 

多胎育児の母が殺される日本。

 

 

実刑判決を聞いて、わたしは、日本では、多胎育児の親は守られない。育児ノイローゼになって自分が自殺するか、育児ノイローゼになって子どもを死なせてしまうしかないのかなぁと思いました。(わたしは子どもを死なせずにここまでやってきましたが、疲れてしまって「もう死にたいなぁ」と思ったことは数えきれません。)

 

 

民間でたくさんのかたが、多胎家庭の支援をされている団体がたくさんあります。でも、しんどくて、その団体へたどり着けないひとはどうしたらいいのでしょう?

 

 

育児ノイローゼになって我が子を死なせてしまうしかないのですか?

 

 

起こった事件のことではなく、これからこのような事件が起こらないために、どうしたらいいんでしょう?

 

 

わたしが育児ノイローゼぎりぎりのところにいて、我が子を死なせずにいたのは、わたしに理性があったからではありません。SNSでつながったたくさんの子育て経験者さんが、しょっちゅう連絡をくれたからです。まわりのひとのおかげです。

 

 

「わたしもすごくしんどかったよ。でも、あっという間だったよ」

 

 

もし、声をかけてくれるひとがいなかったら、わたしもきっと三つ子を床に落としてしまったと思います。

 

 

だから、三つ子事件のお母さんのようなひとを増やさないよう、みんなで社会を変えていきませんか?

 

 

また、続きを書きます。

 

 

以上です。