父が亡くなった記事はこちら
↓
父が生きていた頃、とくに延命治療に入ってからは、いつか父が亡くなった時の仮定をしてみては悲しくなり、自分に耐えられるだろうか?と思っていた。
アラフィフまで独身で両親と三人暮らし。
(姉と弟は遠方に住んでいるので…。)
私が二十歳の時に父が脳出血で倒れ半身麻痺の身体になったから、音大を卒業して実家に戻って来た私は就職先もなく、まだまだ演奏活動をしていた。
なので、コンビニの面接に落ちた(笑)
履歴書に、コンサートがある時期は不定期にバイトを休みたいと書いたから(笑)
でも、コンビニの面接に落ちたからこそ今の職場に行くことになったから、あの時の店長さんには感謝しなければならない。
今の職場に勤めて25年が過ぎたが、少しずつ待遇も良くなってきた。
何より、父の緊急事態に備えて休めるのが良かった。
父が急にお通夜やお葬式に参列することが決まると、自宅から二時間運転して父のクリニックへ行き、母が喪服を着せて、喪服を着た父を乗せて再び二時間運転をして葬儀会場に連れて行ったこともあった。
お葬式に関しては父が起こした事件もあったが……(笑)
↓
という風に、約25年間ずっと三人で暮らしてきたので、母と私は父に対するある程度の愛情が芽生えていた。
最後に自宅にいた約半年は、父の暴言も多くなり私がキレることも多かったが…。
キレた気持ちでは介護できないというか、気持ちの切り替えができなかった。
なので、そんな時は自ら父が寝ているベッドへ行き、酷い言葉に対しての謝罪を求めた(笑)
約80年間、人から怒られたり頭を下げたことのない父がなかなか謝罪をしない時は………。
こちょこちょの刑(笑)
こりゃたまらんと身体をよじる父に、「ごめん。」と言わせた(笑)
話は最初に戻るが(笑)、正直、父が延命治療をしている期間の方が辛かった。
亡くなった今より…。
いつまで生きていてくれるんだろうという不安感。
鼻からはチューブが入り、痩せ細った身体と顔…。
それでも面会に行く日は嬉しかったし、亡くなるまで安定していたので、まだまだ生きていてくれるという根拠のない希望を持っていた。
職場でも、延命治療を始める前の時期は涙が出てくることもあったが、亡くなった今は一応普通に仕事ができている。
家では父の動画を見たり、遺影の前で話していると涙が出てくる。
娘だから泣くのは許してと父にお願いしながら……。