こんにちは、ぞろりです
長くなりましたが、前回の続きです。
*2016年7月6日(8w0d)
ついにお別れの日がやってきました。
昨日はほとんど出血もなく、淡い期待を抱いてましたが…
今朝方からお腹も生理痛の時のような痛さも出てきて、トイレに座った途端に、ドバッと出血。
生理2日目の時みたいな、どす黒い血。
トイレの底はどす黒く染まっていました。
流産する可能性が高いと、先生がはっきり言ってくれたぶん、ショックは少なかったように思います。
『そっか…お別れなんだね…』
とぼんやり思ったことを覚えています。
病院に電話し、すぐに受診。
エコーで見たら、胎嚢はまだへちゃげてあったものの、おとといまで見えていた胚芽はもうすでにそこにはなかったです…。
『流産が始まってる。このまま、大量に出血して赤ちゃんが出てくると思う。もし、お腹がすごーく痛くなった後、固まりみたいなのか、赤ちゃんみたいなのが出たら、ビニール袋に入れて乾燥しないように、一緒に病院連れてきて。』
今思えば、先生の言葉に救われたなぁ…
だって、出たものを『持ってきて』とは言わなかった。おじいちゃん先生で、わりと物事をはっきり言うし、ダメなものはダメだと怒ったりもする先生だったけど(息子の時何回か怒られました)、今から産まれるこの子の事を、モノ扱いしなかった…。これは今、思い出して書いてる時に初めて気がついたことですね。
看護師さんには持ってきてって言われたと思うから。いや、当時そこはあまり気にしなかったですけど!
診察室を出ると主人が待っていてくれましたが、支払いまでの間、他の妊婦さんが待っている待合室ではなく、別室で待機にさせてもらい、そこで看護師さんから主人にも説明してくれました。
この時は流石にやっぱり泣いてしまいましたが、主人がここにいてくれてよかったと思いました。
なんとなく心強かったです。
よく男の人と女の人では、子供が流産した時もどうしても温度差があって…という話をよく聞いたりブログを見たりしました。
うちの主人も、息子が出来る前までは、あまり妊活に協力的なわけでもなく、反応も薄かったかもしれないなと思いましたが…。
息子の可愛さにだいぶメロメロにされ、2人目も望んで『できたらいいねー』と仲良くしたりと割と積極的だったので…
看護師さんの話を聞いた時も、やはりショックだったんだと思います。やっと絞り出した言葉は、『そうですか…』と下を向いたままの一言だけでした。
2人で病院を出たあと、どうしても、自宅に帰りたくなくて。
この子とサヨナラまでの時間を、自宅で、泣いて泣いて過ごすのは、どうしても自分を責め続けそうで嫌だったんですよね…。
私みたいに初期の流産は、お母さんのせいではなく赤ちゃん側の遺伝子の異常によるものだと説明は受けましたが…それでも、わかってからすぐ、やっぱり結婚式はキャンセルさせてもらっていたら違ったかなとか、いろいろ考えてしまいそうで…。
『帰りたくない。ドライブに連れてって』と主人に言うと、体のことを心配してくれましたが、自分の気持ちを伝えると快くドライブに連れて行ってくれました。
息子は保育園に行っていたので、息子のお迎えまでの間でしたが。
久々に2人だけで美味しいご飯を食べて、海を見に行きました。海岸を、お腹の中にいるコとの最後の時間だと思って、ゆっくり、ゆっくり手を繋いで散歩しました。
産まれてきたら、こうして父ちゃんと、母ちゃんと、お兄ちゃんと、手を繋いでお散歩できたのにね…海が綺麗だよ、この世界にはたくさん綺麗なものや美味しいものがたくさんあるよ、楽しいだけじゃないかもしれないけれど、父ちゃんと母ちゃんの子供に産まれてきたら、絶対楽しいよ…!!元気に産んであげられなくてごめん。
また絶対お腹の中に帰っておいでね…。
そう語りかけながら、車に戻りました。
そうしたら、だんだんお腹が痛くなってきて…。
念のためにトイレに行ってナプキンを交換しましたが、夜用の大きいのをつけてたためか、そこまで汚れていませんでした。
そこから帰る途中、海辺を走る車の中で、激痛が襲ってきました。
普段生理痛もほとんどない私。生理痛っぽい痛みの時点で相当痛くて、痛いー痛いー
と言ってましたが、車を脇に寄せるところもなく。

ようやく車を脇に寄せれた時には、もう私は喋れないほどの激痛に耐えてました。主人がその間腰をさすってくれました。
時間にしたら、痛くなり始めてから激痛が終わるまでは30分くらいで、激痛は5分ちょいくらいだったと思います。
ネットで調べたら、2日も3日も激痛に耐えて流産した人もいて…
私は、『もしかして、これって陣痛の時みたいに何回も繰り返すんじゃぁ…赤ちゃんぽいものが出た感覚もないし、また痛くなるんだ…』と心が折れそうでした。
こんなに痛い思いして出てくるのに、この子はもう死んでるだなんて…抱っこもしてあげられないなんて…
やはり悲しくなり、また泣いてしまいました。
が、そのあとは出血が急に増えただけで、痛みがぶり返すことはありませんでした。
スーパーのトイレに立ち寄りナプキンを変えましたが、固まりっぽいものは出ず…。
トイレに流してしまうのは嫌だったので、和式で気をつけて見てみましたが、やはり確認できませんでした。
その帰りに息子を保育園へ迎えに行き、お家で晩御飯を食べました。
そのあとトイレに行った時でした。
明らかに固まりっぽいものが、ぬるんと出てくる感覚。受け止める暇もなくトイレにポットンと落ちてしまいましたが、割り箸とビニール手袋で、丸い袋のようなものを拾いあげました。
電話で病院に確認すると、やはり胎盤ごと出た可能性が高いんで、その袋を乾燥しないようにビニールに入れて、明日朝一診察をとのこと。
やっぱり、赤ちゃんだったんだ…。
お昼に激痛があったけど、やっぱりお外ではサヨナラしたくなかったんだね。お腹が痛かったのもちょっとだけで、母ちゃんがしんどくないようにしてくれたんだね。
あなたの、最初で最後の親孝行だったんだね…。
そう思うと、また涙が出てきました。
明日の朝にはサヨナラしてしまうので、主人と2人でお線香をあげて、手を合わせました。
息子は当時まだ1歳3ヶ月だったのでわけはわかっておらず、いつもどおりの甘えっぷり。
ですが、それがまた救われました。私にはこの子がいるから、この子のためにも元気でいなくちゃ、と。
もし息子がいなかったら、おそらく立ち直るのもすごーーーーく時間がかかっていたに違いないと思います。
その日の夜、夢を見ました。
息子によく似た赤ちゃんでしたが、女の子でした。黄色いひらひらのドレスを着て、イスに座ってニコニコしていました。おすわりできたから、6ヶ月くらいの感じだったのかな。
きっと、お別れを言いに来てくれたんだと思いました。
主人にも話をしましたが、やっぱり女の子だったのかねーって話をしました。
なんとなく、お腹にいる間から女の子と思っていたので、2人で呼んでいた胎児ネームは『りんちゃん』でした。
*2016年7月7日
りんちゃんも連れて、病院にへ。
確認してもらったら、やはり胎盤ごと綺麗に外に出ているとのこと。
子宮の中は空っぽで、これ以上の処置は必要ありませんでした。
人によっては、胎盤が残っちゃったりすると、内容物を掻き出す処置をしなくてはいけない人もいるみたいで、その処置けっこー痛いらしいんですよね…。その時の具合によっては子宮に傷がついたりすることもあり、最悪今後の妊娠に影響が出る人もいるくらいだそうです。
やはり、りんちゃんは親孝行な子だったのね…。次に戻ってくるつもりがあるから、次は大丈夫なようにしてくれたんだね…と思うことにしました。
その後は、生理と同じような感じで1週間ちょっと出血が続き、いつもと同じ生理周期でその次の生理も来ました。
3回目の生理が終わったら次の妊娠も大丈夫とのことでしたし、絶対またお腹に戻って来てくれると信じていたので、わりと早くに立ち直り、いつもどおりの生活に戻りました。
この時はまさか、次の妊娠も…
とは微塵も思っていませんでしたが…。
次のはまた別で、流産体験記にしようと思います。
話が長くなりましたが、お付き合いいただいてありがとうございました。
同じような体験をされて不安でしょうがなくなっている方、
悲しみの底にある方、
それを乗り越えて、次のベビーの為に頑張っておられる方の、
何かしらエールになれてたら、嬉しいと思います。
流産したことはすごく、すごく辛かったし悲しかったけれど、
りんちゃんがお腹に来てくれたことは、
少しでも最後お腹の中にいるうちに想い出ができたことは、
やはり幸せだったと今は思います。
この世には産まれることはなかったけれど、
りんちゃんは間違いなく、私達夫婦の大切な子供です。
これからも、一生忘れることはありません。
ずっと記憶の中で生きていて、きっと、空の上から私達家族を見守ってくれていることを信じています
