最後にどこにいるかで、その人の人生が決まる。みだれず、淀まず、ゆらぎながら、消滅する。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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音楽、ナノテク、微粒化、日々の思いをつづっています。
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 乱れとは、エネルギーを一気に解放することである。淀むとは、エネルギーを内部に抑え続けることである。ゆらぎとは、その中間である。揺らぐ状態とは、エネルギーを一気に解放することなく、内部に抑え続けることなく、適度に抑え続けながら、エネルギーを解放していくことにある。水でいえば、乱れは、津波での濁流である。淀みは、流れがなく、ボウフラがわく状態でもある。揺らぎでいえば、小川のせせらぎである。人が人を殺す、心の乱れである。人が淀んだら、病気になる。生き物が、淀んだら、腐っていく。なぜ、この宇宙が、ありつづけるのか、そして、人類がこうして、今、いるのか、極論をいえば、なぜ、これを書いている自分がいて、これを読んでいるあなたが、いるのかということになる。

 

 

 私が死んでも世界は残る。それはあなたが生きているからである。私と関わりのある世界が存在するから世界は残るということになる。この地球、人類、生命が、全部消えたら、世界が残るとは言えなくなるのかもしれない。しかし、いつか、この宇宙にも終わりが来る。そうなれば、すべてが、終わるという事になるのかもしれない。荘子に胡蝶の夢というのがある。もしかしたら、この宇宙全体が、誰かの夢の中のストリーなのかもしれない。もしそうなら、だれの夢の中にこの世があるのかと思う。量子力学の平行宇宙という概念もそういうことなら、また、面白いかもしれない。

 

 

 能登半島で、被災したひとを、ボランティアで助ける人達がいる。それをテレビで報道していた。その中で、78歳の人を紹介していた。口元をマスクで覆っているから、風貌はわからない。しかし、その立ち振る舞いや声の状態だけで、年齢が紹介されていなかったら、60-65ぐらいの人かと思った。それだけ、若いということである。世の中には、78歳にとどかず、亡くなる人が多くいる。78歳時点で生きていても、施設に入っていたり、介護が必要だったりする人もいる。そのボランティアの人は、軽トラックに、被災された家の家具等をいれ、廃棄集積場まで、それを運搬していた。

 

 

 いったい、その差は、どこから来るのか、78歳時点での落差が大きすぎる。ある人は、亡くなっており、ある人は、施設にいて、ある人は、元気で働いている。それぞれを、25年、時をさかのぼったら、ある人は、大手企業の社長かもしれないし、ある人は、有名芸能人だったかもしれない、そして、ある人は、今と同じように、工務店で働いていたかもしれない。58年、時間をさかのぼって、それぞれが20歳としたとしよう。もしかしたら、ある人は、東大生だったかもしれないし、ある人は、その時、芸能界でうれていて、まわりからちやほやされていたかもしれない。ある人は、すでにその工務店で働いていたかもしれない。

 

 

 人は時間軸で変化する。物理的な時間は平等ですぎていく。しかし、人の過ぎゆく時間は人によって変わってくる。それは、最後にどこにいるのかでその人の人生が決まるということになる。もし、60歳で死んだなら、それ以降のその人の人生は語れない。60歳で、施設介護が必要な人なら、それ以降、その人が、何かをすることは、期待できない。当然に、85歳でも現役で元気なら、60歳時点でも元気でよりパワフルだったということになる。

 

 

 中小企業のオーナー、実質、現役である。その人がいなければ、会社は成り立っていかない。だから、最後まで、頑張る。それが、零細企業のおやじの生き様である。最後まで現役とは、死ぬ直前まで、仕事をしているという事である。仕事場が、自分の死に場所と決めている。そういう人は、時間の経過が遅くなる。80歳でも、90歳でも、足と頭が動く限り、現場に立ちつづける。疲れたといって、腰をおろす、そうして、こっくりとうなずく。再び、目を開けることはないだろう。エネルギーを乱すことなく、淀ますことなく、ゆらがしながら、最後の着地点を模索している。エネルギーが、ろうそくの炎のように、ほそくなり消えていく。線香花火のようなかんじかもしれないし、ジェットストリームではないが、ジェット機のテールランプが、星の瞬きと区別がつかなくなり、そのうち、視界からきえていく。そんなイメージである。エネルギーを使い切って、黄泉へときえていく。

 

 

 誰でもが、いつかはその時を迎える。その直前、どこにいるのかで、その人の人生が決まるといっていい。その直前、何をして、どのような状態にいるかである。ある意味、どの状態がいいのか、人によって異なる。それにむかって、生きる。自分にとって、何がいいのか、どの状態が理想とするのか、最後の目標は、だれでもがそこになる。きっと、最後まで現役、それが理想なような気がする。