人生は、確率、長く生きれば、それだけ良いことも悪いことも同じようにめぐってくる。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 人生はさいころと同じ、人として生まれて、人の中で生きていけるのなら、言葉を話して、社会の一員として、生活できるならば、人としての才能はほぼ同じとみていい。もちろん、何事もばらつきはあるが、それも、人としてのばらつきである。

 

 

 人生はさいころと同じ、何回か降っていれば、いつかは、ほぼ、サイコロの目は、1/6になってくる。18歳を一つの区切り目でみれば、そこに、確かにいびつさはある。うまくいく人もいれば、上手くいかない人もいる。会社に入る、ホワイト企業に入る人もいれば、ブラック企業に入る人もいる。上司がろくでもなく、パワハラ、セクハラをする人と遭遇するかもしれない。そんな会社いやだといって、やめて、その次、さらに、ひどい目に合う人もいれば、次に入った会社の上司ができている人で、やめて正解という人もいるし、前の会社で、そんなパワハラ、セクハラ上司が飛ばされて、次にきた上司がいい人で、やめないで正解という人もいる。

 

 

 人生は、その人に取っては一回きりの再現のないドラマである。TAKE2ができれば、前の失敗を教訓にしてもっといい人生を送れると誰でもがそう思う。しかし、そうはならない。だから、人生において、うまくやろうと思えば、できるだけ、健康に長く生きることを考えるべきである。20歳で死んだら、それ以降の人生はない。50歳、60歳でぽっくりといったら、それまでの経験を生かせず、ある意味、犬死みたいなものである。

 

 

 今、上手くいかないと思っていても、生きていれば、上手くいくこともある。もちろん、失敗することもあり、ひどい目にあうこともある。人生において、その人の意義を測れるものがあるなら、その人がどれだけ生きてきたかという事に尽きる。60歳なら、60歳、65歳なら65歳、70歳なら70歳で、その時点で、その人がどのように、今現在、がんばろうとしているのか、そのエネルギー値が、いかほどか、なのである。定年をすぎれば、その人には、看板はない。過去の業績も意味はなさない。なぜなら、過去は過去、それはすぎてしまって、今の力ではないからである。いつの世でも、重要なのは、今の力、その力が未来を変えることになるからである。

 

 

 今の力とは、過去の経験の上になりたつ。15歳の人の今の力と、55歳の人の今の力とは、比べ物にならない。15歳の人の今の力の方が55歳の人の今の力より上なら、その55歳の人は、今の力を出し切っていないということである。55歳の人が生きてきたフィールドに対して、もし、15歳の人の今の力が上なら、15歳の人が天才か、はたまた、55歳の人が、ぼけたか、ということになる。

 

 

 人生の引退は、死ぬ時である。自分は、いつ死ぬかなど、誰も分からない。病気、事故、災害、予期せぬ終わり方をする場合もある。仮に20歳でなくなれば、その人が10歳の時、すでに半分生きていたことになる。つまり、その人にとって、10歳時、すでに、50%歳を過ぎていたということになる。もし、実際に、100歳で亡くなる人がいれば、その人が10歳時、10%歳だったということである。実年齢は、あまり意味をなさなくなる。20-30歳の誤差があるということである。40歳と60歳との差は、年をとればとるほど、なくなるという事である。

 

 

 90歳ぐらいまで、現役だった旋盤工、機械加工の爺ちゃんがいた。その人に頼めば、何でも安く作ってくれた。精密な加工も、その爺ちゃんなら、最先端のマシニングと同じくらいの精度がでていた。重たいものを持てなくなったのと、目が見えなくなったので、引退した。周りのひとから、やめないでくれと言われた爺ちゃんである。旋盤を売却したからもうできないが、もし、旋盤があったら、死ぬまで、仕事の依頼がきたはずである。その爺ちゃんはまだ、生きているが、たぶん、そういう職人は、仕事が出来なくなった時が人生のエンドでもあるはずである。その爺ちゃん、旋盤を売却した時、その人の今の力はなくなってしまった。

 

 

 人の一生を見た時、その人の今の力がだんだんと衰えていき、それが機能できなくなったときが、その人の人生のエンドだとみていい。人の評価は、年齢ではない、その人の今の力がどれくらいかなどである。20歳でも、20歳で死ぬ人もいる。40歳、50歳で死ぬ人もいる。今の力が強い人ほど、長生きする傾向にある。もちろん、100歳を超えて、現役な人はほとんどいない。

 

 

 アメリカのバイデン大統領81歳、前大統領トランプ氏77歳、日本の元総理大臣、麻生太郎氏、83歳である。麻生太郎氏の今の力は、現役の総理大臣以上かもしれない。テレビに映る麻生太郎氏の姿をみれば、後、5年、もしかしたら、後10年、今と同じような姿で、テレビに映っているかもしれない。アメリカのバイデン大統領と麻生太郎氏、どちらが、元気そうにみえるかといえば、麻生太郎氏である。

 

 

 なぜ、元気なのか、仕事があるからである。求められる今の力があるからである。仕事ができない単なる爺さんなら、まわりから、隠居せよと言われる。隠居勧告は、老害があるからである。年をとり、求められるものがなければ、単なる厄介爺さんとなる。年末、八代亜紀さんが亡くなったが、もし、彼女が10年後も生きていたら、彼女も求められる存在として、82歳になっていても、ステージにあがって歌をうたっていたであろう。

 

 

 死ぬ瞬間まで、求められる存在でいることが、人生、生きる最良と感じる。定年過ぎて、求められなくなり、邪魔な存在として扱われたら、哀しいかぎりである。人生、最後まで、がんばることである。経験は力、継続もまた力、ぼけたら、NGである。