岐に臨んで幾たびか泣く | ♫ラジオ寺子屋・高野山♫ 南山坊のブログ

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鳥はさえずり、緑深く、石楠花咲く立夏の高野山。
季節はまた一つ進みました。


写真を撮りながら高村光太郎の「道程」がふと頭によぎりました。ちなみに、光太郎は焼失した壇上伽藍金堂の本尊を造仏した仏師高村光雲の息子であります。

高村光太郎 道程(抜粋)

ああ
 
人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が 全身の力で拓(ひら)いて
行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出てきても 乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に 踏み込んでゆけ
 
僕の前に道はない
 
僕の後ろに道は出来る

以上(前後略します)


コロナ禍でストレス溜まる一方ですがもう少し辛抱しましょう。古来より私たちの祖先は数多の苦難を乗り越えて、私達は今という時代を生きています。
この困難の先にはきっと道ができます。
その道は険しく、遠回りかも知れませんが、一歩一歩進んでゆくほかないのです。

ここで、弘法大師の箴言を紹介します。

弟子空海 性薫(しょうくん)我を勧めて、源(みなもと)に還(かえ)るを思いと為す。

径路(けいろ)未だ知らずして、岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く。「造二部大曼荼羅願文」

訳 仏弟子である私、空海は、生まれついての性格、生まれてから受けた薫陶あいまって、「源に還る」ということを考えつづけてきました。

その源に至るための道筋がわからないで、岐路に立ちすくんでは泣くということを何度もくり返してきました。 『空海言葉の輝き』竹内信夫

大師の還源の思いというのは、私どもの世間的な思いとはまったく違うものですが、人生の岐路に立ったときは、大師でさえ繰り返し涙を垂れて思惟されたのです。

いま時勢は立ち止まっていますが、私たちにできるのは、これまでの道を想い、この先の道程を深く思案していきましょう。南無大師遍照金剛