マンダラの考え方  | ♫ラジオ寺子屋・高野山♫ 南山坊のブログ

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下記の文章は先述のツイートに加筆したものです。

今朝は金堂で庭儀大曼荼羅供を厳修しました。
水原堯榮前官『金剛峯寺年中行事』によると、この法会は天長年間に大師自ら始行され、後に建久7年の後白河法皇御国忌以降は御願会(勅会)となりました。数多ある高野山の年中行事でも古い歴史があります。

しかしながら、いつしか当会は断絶し南方熊楠と交流があったことで有名な金剛峯寺前座主 土宜法龍前官(安政元年〜大正12年)が自身の菩提を永世に廻向されることを発願して施主となり復興しました。
爾来、4月10日に金堂に於いて庭儀大曼荼羅供を執行する事と定められました。
この時の永代回向料は金五千七百五十円也と記録されます。故に法会の間、金堂の須弥壇には法龍前官の位牌を奉安しているのです。

そうすると、狭義には法龍前官へ唯一無二の供養になりますが、広義には曼荼羅の諸尊を供養して一切衆生へ廻向するというのが法会の眼目であるといっても良いでしょう。

ここからは余談になりますが、祈る対象である曼荼羅の諸尊とは諸仏諸菩薩だけでなく、天部の神々などの外金剛部や鬼神、さらには「当年行疫流行神」すなわち疫病を流行らせる悪神も含まれます。

修法における神分や廻向でもその名(行疫流行神)をとなえて法楽を捧げ祈願するのは、禍を及ぼすものを撲滅退治するのではなく、仲間に取り入れて共生させる曼荼羅の考え方。
疫神といえどもそこに仏性を観じて供養するのは、なんと密教的でしょうか。

このような考え方はまったく非科学的と思われがちですが、ウィルス(疫病)などは所詮自然界の一部であり、いくら人類が科学で追求しようとも、いたちごっこで完全に退治することは到底難しいのではいかと、ど素人ながら思うわけです。
そうすると、やはり将来は共存していくしか方向性はないですよね。

粘菌学者の南方熊楠と土法龍前官も往復書簡の中でそんなことも話していたのでないかと勝手に想像します。
ちなみに、かの南方マンダラは「世界は因果関係が交錯し、更にそれがお互いに連鎖して世界の現象になって現れる」と説明するのであります。

以上、少しだけ大曼荼羅供のことを書こうと思ったら、長文になり失礼しました。


宜法龍前官 明治39年 52歳 仁和寺門跡の頃の写真『木母堂全集』より