砂上の大国の行く末 |   荒野に呼ばわる声

  荒野に呼ばわる声

      耳を澄ませば聞こえてくる
                 
                   南山 遥

砂上の大国の行く末

 

 私たちは世界の歴史を教科書で学ぶ必要はない。

 目を見開くと、今というこの時代に学ぶことができる。

 それは古い、かび臭い知識ではない。

 今後も明らかに貫きつづけるもの、義であり、愛である。

 

 その反対が嘘、ごまかしである。

 嘘は、砂のように一つひとつは小さいが、

 そんな砂上の国、体制は必ずと言って、崩れ去る。

 この3年だけを見てもわかるように、

 明らかに嘘で固めた(固めることはできないのだ)ことが、

 ぞろぞろと世界に明らかになりつつある。

 (とっくに見え見えだったのだが)。

 その国民が悪いわけではない。

 むしろ、その国民は賢いのだ。

 じっと耐え忍べば、やがて春がくる、

 為政者は変わるという希望だけで

 何千年も生きてきた民。したたかな民族の魂である。

 

 その民の上に立つ為政者、体制の責任は

 同国民によって必ず問われるであろう。

 かの国の歴史がそれを示している。

 世界もその目撃者になる日が来る。

 

 嘘ではなく、真実と愛に溢れた政治(まつりごと)。

 己や、一部の体制者のための政治でなく、

 国民一人ひとりのためのまつりごとが、

 いつの時代にも、

 いずれの国にも、神から求められている。  南山 遥

 

 「主(神)は悪い者のつえと、

 つかさびとの笏(しゃく。支配の象徴)を折られた」

                旧約聖書 イザヤ書14章