コロナウイルスが語ること(6)  |   荒野に呼ばわる声

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                   南山 遥

コロナウイルスが語ること(6)

 

 人間のご都合主義は健在。

 

 オミクロン株は、そんなに強くはないという前評判であったが、今日にいたって第6波を引き起こし、亡くなる方も日増しに多くなっている。ご冥福を祈り、首を垂れるばかりである。また、若年層にも感染するという最悪な症状を示している。

 

 もともと株番はギリシア語の順番から言って「O オミクロン」ではなく、「ξ クシ」であったはずである。ところが、どこかの国の偉い方の名前の発音と似ていることから、パスされたという説がある。

 

 新約聖書の原文はギリシア語で書かれているので、慣れ親しんでいる文字である。「ξ クシ」は第14番目の文字。手元にあるギリシア語辞典をみると、「ξ クシ」で始まる言葉は極めて少なく、1頁そこそこである。しかし、意味の深い言葉が続く。「ξενια」=おもてなし。「ξυλον」=十字架。・・・

 

 むしろこのギリシア語が使われなくて良かったかもしれない。

 

 この数日、3回目接種のワクチンが効きすぎて、ひどい悪寒や関節痛、倦怠感で苦しめられている。実際に罹ってしまった人たちのことを思うと、弱音は言っておられない。

 

 このパンデミックの初め、大国が善意と国際信義を重んじていたら、世界はこのような悲しみに落とされてはいなかっただろう。

 これはギリシア語文字を一つ飛ばしたからと言って、歴史に刻まれた事実として残るのである。           南山 遥