海外の零戦所有者ポールアレンいついての記事
内藤親子が零戦に乗った同時刻
元ゼロ戦パイロットの遺志引き継ぐ。
「最後の零戦飛行士」原田さんの生涯を描いた映画が29日公開しました。
「最後の零戦飛行士」原田要さんの伝えたかったことは…
50歳での幼稚園設立、75歳から戦争体験語り
映画監督の宮尾哲雄さんがドキュメンタリー映画制作です。
この映画は、私にたくさんのことを教えてくれた原田さんへのレクイエムです。
私もいまを生きる人間の一人として、原田さんの「平和な社会を何とか築いてほしい」という遺志を、どうしたら実現できるのか。原田さんが残した宿題に向き合っていこうと思います。
映画を見て、どう捉えたり感じたりするかは、それぞれの考えや感性、知識、生き方によって違う。ただ、戦争と平和について考える一つのきっかけとなれば、うれしい。
映画は29日から8月12日までの15日間、長野市の長野相生座・ロキシー(電)
026・232・3016で特別上映されます。(太田浩信)様より抜粋。
旧日本海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に搭乗して真珠湾攻撃などに参加し、
戦後は戦争体験を語り継いだ故原田要さん(一九一六~二〇一六)のドキュメンタリー映画「原田要 平和への祈り-元ゼロ戦パイロットの100年」が七月二十九日から、
長野市の映画館「長野相生座・ロキシー」で上映されます。八月十二日まで。
旧浅川村(現長野市)出身の原田さんは四一年十二月の真珠湾攻撃や四二年六月のミッドウェー海戦に参加。
同年十月にガダルカナル島の戦いで米軍機の攻撃を受け、ジャングルに不時着し重傷を負いながらも生還しました。
終戦後は長野市内に幼稚園を開設し、子どもたちの育成に尽力。
九一年の湾岸戦争を契機に「戦争の罪悪を知ってほしい」と体験を講演するようになったそうです。
監督を務めたのは、元長野放送報道局長の宮尾哲雄さん(67)=須坂市。
定年退職後の一四年、原田さんの講演会に参加し、当時九十八歳の原田さんが二時間立ちっ放しで戦争体験を熱く語り、講演直後に燃え尽きるように倒れた場面に遭遇したそうです。
「生死を懸けた最前線での戦争体験を記録したい」と撮影を始めたそうです。
取材の成果はテレビ放送され、宮尾さんは「一部しか伝えられなかった」との思いが残り、映画にすることにしたそうです。
原田さんは昨年五月に九十九歳で死去し、生前の完成は果たせなかったが
「戦争体験を若い人に伝えたいという原田さんの遺志を引き継ぎたい」と製作を続けたそうです。
ドキュメンタリーは十数回に及んだ生前のインタビューを中心に、写真や当時の映像などを交えながら原田さんの生涯を描いています。
原田さんが軍人の道を歩んだ時代背景も描くよう心掛けたそうです。
ナレーションは女優の檀ふみさんが務めました。
宮尾さんは「平和な世の中では戦争を考えにくいが、興味を持つことで平和を考えるきっかけにしてもえれば」と話しています。
上映は、午前と午後の一日二回。
二十九日と八月十一日午前は、宮尾さんの舞台挨拶があります。
(問)相生座・ロキシー=026(232)3016
(中島咲樹、今井智文)記者から抜粋。
国内唯一の零戦所有者 石塚様