ロシアで新造された零戦22型が3機、いまも飛行可能な状態で存在しています。
かつて日本軍が占領していたニューギニア島の飛行場跡地で、
1991年に発見された22型の残骸がその原型です。
※第1号機 [X-133]
他の2機と同様オリジナルの栄発動機ではなく、
米国製P&W R-1830エンジンを搭載しています。
1998年、初飛行に成功し、現在は世界最大の大戦機保存組織“コメモラティブ・エアフォース(CAF)”南カリフォルニア支部に所属して、全米のエアショーで精力的に飛び回っています。
※第2号機 [UI-161]
マイクロソフトの共同創業者のひとりポール・アレン氏が所有。
この機体はなんと複座型に改造され、2012年に進空しています。
※第3号機 [AI-112]2000年に初飛行に成功。
現在は日本人オーナー石塚様所有であり、2016年には日本へ移送され、鹿児島上空や2017年。レッドブルエアレースなどで飛行しています。
戦闘機同士の空戦は、格闘技のような『1対1の接近戦』を想像しがちです。
実際には、複数機が連携して闘う球技にも似た『チーム・プレイ』なのです。
そのため第二次大戦中の米英独など列国空軍は、指揮や攻撃に当たるリーダー(編隊長)と、援護に回るウイングマン(僚機)の2機を最小単位とし、
そのペアが2組、合計4機で1個小隊を編成して闘ったのです。
藤森篤様の尽力により零戦を保有・運用する米プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館や、
大戦機保存組織コメモラティブ・エアフォース南カリフォルニア支部と粘り強く交渉を重ね、また国内では予算獲得に奔走した結果、
ついに零戦3機1個小隊の空撮が実現しています。
2012年4月、米カリフォルニア州チノ空港に集結した零戦52型1機と2機の零戦22型には、それぞれベテランパイロットが搭乗して、往年の零戦小隊が見事に再現されています。
ちなみに戦中、戦後を通じて、米本土上空で零戦3機が編隊を組むのは史上初の快挙です。
敵国であったアメリカが、こんなにも零戦を愛して下さっているんです。
反転降下で編隊を解く。
先頭は後期の主力機52型、
続く2機は中期に少数が生産された22型
写真 1.2
写真3
写真4
石塚様と内藤晃太朗
(photo:内藤 飛鳥 (Naitoh Asuka))
❇︎空飛ぶZERO❇︎
戦闘での消耗に加え特攻に使用されたこともあり、終戦時点では完全な形で残っていた機体は少なく、廃棄された機体や残骸から復元した機体が展示品として国内に複数存在しています。
飛行可能な復元機は世界に4機存在します。
またオリジナルの栄を搭載するのは1機のみで、
多くはP&WのR-1830などサイズが近く入手性の良いエンジンで代用しています。
アメリカ国内での操縦には飛行機の操縦士(単発ピストン)の他、
連邦航空局が定めた零式艦上戦闘機の機種限定ライセンス『MI-A6M』が必要となる為です。
ポール・アレンは個人で3機(飛行可能1機)を所有しており、
全てフライング・ヘリテージ・コレクションで公開し、飛行可能な1機は定期的にデモ飛行を行っています。
2016年(平成28年)1月27日、ゼロエンタープライズ・ジャパンが
「零戦里帰りプロジェクト」で復元しアメリカで登録した機体(N553TT)を海上自衛隊の鹿屋航空基地で試験飛行させています。
戦後の日本国内で、日本人所有の零戦が飛行するのは初。
また2017年にはレッドブル・エアレース・ワールドシリーズの千葉大会でデモ飛行を行っています。
今回の機体が、石塚様所有のこの(N553TT)です。
日本は敗戦国です。
トルーマンやGHQが
洗脳した今の日本の劣性思考は本当に罪です。
世界中でZEROが愛されていなければ、
アメリカ、しかも因縁のパールハーバー上空でこんな光景はあり得ません。
石塚さんは、日本一勇気がある