江戸時代の九州の呼び方から解説。


肥前国 佐賀県 長崎県
肥後国 熊本県

併せて火の国、肥の国ですね。
ところで肥、火の意味がわかりますか?

ヒント:熊本=熊という文字に隠されています。

ム→台→臺→高い→女王
月→水→水神→サラスバッティ
ヒ→山の女王
ヒ→河の女王
""→烈火→溶岩流→マグマ
肥国は女王様中心の国だったのです。

熊は黒い煙や火を吐く火山を表しています。
その山の神様は女神なのです。

熊襲と呼ばれて蔑まれた人々がいます。

深い山に住んでいる真っ黒な大きい獣が熊襲のように恐いので「熊」と呼ばれたのだと思います。
アイヌでは、熊は山の神の使いです。

熊襲→楚の国の人のことです。

(楚はスとも読みスの神とは太陽、向日葵の事である。スサノオはスサの女王のスザンナ)
鼻→花🌼🌸だと言うことです。
古事記ではスサノオは鼻から生まれる

右目から月読み  月は女王
左目はアマテラス 太陽は花
鼻からスサノオ  鼻は花
結局女神を三人に分身させただけの話

楚国は紀元前11世紀〜223年頃まで古代中国に存在した国です。
姓は"熊氏(ゆう)"で国の名前が"楚"でクマソ。

楚の国の子孫が九州肥の国にいました。
そこには素晴らしい貝が採れる海が近くにあったからです。

沖縄、台湾、済州島の近海です。

熊→結(機織りの意味)
貝紫で染めた高級布と宝貝をギリシャ、ローマ、エジプト、インド、などの国際都市で交易していました。

楚→蘇→蘇芳(スオウ)→染料
アルカリで染めれば赤
酸で染めれば紫


信じられないでしょうからその名前が残った地名をご紹介しましょう。

佐世保
佐世保の一般的な由来。

(1)佐世保には「サセブ」と呼ばれる木が繁茂していたから。
(2)佐世保は「佐世」と「保」の結合地名で、佐世保の「世」は古訓で「シ」である。佐世は「サシ」で「瀬」をさし、「サシ」から「サセ」に転訛したもの。「保」は地団が地名化したもの。
(3)大宝令で「五家を以て保となす」と定めた当時、ここらあたりに、5、6軒の家があったので、近くの佐世の名をつけて「佐世保」となった。
(4)アイヌ語で「サ」は広いという意味、「セブ」は谷という意味で「サセブ」から「サセボ」に転訛したもの。
(5)神功皇后の三韓征伐のとき、途中で風のために船の帆が裂けたので修理のため佐世保港に寄られた。それが「サケホ」と呼ぶようになり、それが「サセボ」に転訛した。
とある。


どれも正しくないですが(2)だけが少し近いですね。

サセボ
サセ→キリギリス(コオロギ)の古名
キリギリス(コオロギ)は「綴れさせ」と鳴く
キリギリス→機織り

ボ→ポイニケ紫色の染料
(ポイニケはこちら参照)
サセボは紫色の反物と言う意味です。
紫色は高貴な身分の人達が身につける色。
刺国とは機織りの国。

糸が紡ぎあって結んだものだからツムギと言います。
結=紡は同じ意味。
それをユウキツムギと呼びます。
ユウキツムギがツムギの正式な名称なのです。
結城紬は茨城県結城市が発祥です。



大村湾

村→ム
紫→武(ぶ、む)の国

村→ラ
ロマ、ルマ、ローマ民族
紫には国の名前と民族の名前が合わせて入っています。

彼杵(そのぎ)
その=宛=楚の=フェルガナ=ハラナ

杵=許氏=アーンドラ王国のサータヴァーハナ王朝

ハラナ国とアーンドラ王国
    ↓              ↓
彼杵は金首露と許黄玉の子孫の住む土地と言う意味。

許黄玉はインドのアーンドラ国より絹と木綿を持ってきました。
金首露は紫の染色で王女を迎えました。

筑波山の麓の蚕影神社
インドのお姫様「金色姫」が舟に乗ってやってきて、養蚕を広めた伝説。

筑波と日立、会津の蚕養神社(こかい)にはこの伝説が残っています。

肥国で紫染めをしていたアルメニアの紫一族は西暦100 年代には九州を去りました。

地球的規模の気候変動(氷河期)によって貝が採れなくなったからです。

その後は四国、出雲から長野に入って故郷である下野国、武蔵国、常陸国に帰ってきました。

豊前国
豊後石

豊→女王
女王制の国だったと言う意味。

日向国
イヨの名前を日向と呼びます。
日向にいたのは高木氏出身邪馬壱国の卑弥呼(日御子)の名前は
ヒメタタライスズ姫。
西都原古墳は卑弥呼ヒメタタライスズ姫の墓です。
薩摩国、大隈国は日向国だった。

筑前国
筑後国
筑紫とは筑波山のこと。
筑波山→紫峰(しほう)
万葉集の筑波峰とは茨城県の筑波山の事である。
なぜ?
茨城の筑波山が九州の名前になっているのだろうか?

ま、九州の人は九州から文化が西から東へ流れたと信じているだろうから何を言っても理解したくないと思う。

しかし東日本の文化は九州からではなく日本海を越えて中国やロシアからやってきました。
なぜなら近いからです。

武の国のローマ民族については次回にします。