万葉集 1−13
中大兄皇子の歌が初めて出ました。
高山与 雲根火雄男志等 耳梨与 相諍競伎 神代從 如此尒有良之
古昔母 然尒有許曾 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
香具山は 畝傍雄々しと 耳梨と 相あらそいき 神代より かくにあるらし
古昔(いにしえ)も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき
<大意>
香具山は畝火山を男らしく立派だと感じてその愛を得ようと耳梨山と競走した。
神代からこうであるらしい。昔もこうであったからこそ、現世でも1人の愛を2人で争うことがあるらしい。
三角関係の歌です。
中大兄皇子=天智天皇が額田王を弟の天武天皇と取り合ったからこの歌を詠んだような印象を受けます。
古事記のストーリーを演出しています。
天智天皇は古代から三角関係はよくあることなんだなぁと溜息をつきながら諦めたみたいな情景が浮かんで来ますね。
しかし、違いました。
それでは訳してみます。
高山与 雲根火雄男志等 耳梨与 相諍競伎 神代從 如此尒有良之
古昔母 然尒有許曾 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
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高山与=高山は
高いを香具山と読ませていますが、少し無理を感じるのでそのまま高山です。
雲根火雄男志等(くもねおおしと)=雲根(岩石が多い)
雲根=高山=雲は石より生じるの意味、または岩山
耳梨与=(じゃりよ)闍梨(阿闍梨)よ=僧よ
相諍競伎=そそけき=身震いしてたじろぐ
神代從=みのたけじゅ
如此尒有良之=じょここにありの
古昔母=古い石も
身の丈十畳の古い石があっても
然尒有許曾=(ぜんじょう)禅定こそ
心穏やかに
虚蝉毛=古禅も
古い禅の教え
嬬乎=にも
相挌良思吉=そうかくらしき
高い山には石がたくさんある。高山は雲根、石より雲が生まれる。
僧よ、身震いしてたじろぐほどの身の丈が十畳の古い石を目の当たりにたしても禅定に入れと古い禅の教えにもそう書いてある。
禅は霞たなびく高山で修行します。
有名な達磨太子は深山幽谷で修行しました。
と、一旦は終わったのですが、
前ブログの茜社(あこねさん)と箱根神社(はこねさん)について考察しながら箱根町近辺の地図を見ていました。
箱根地名の根拠も不明。
強羅もわからないと主人と話していたところ「川崎さんの本に強羅が載っていた」と言うので早速読み返していたら、
高山
石から生まれる
昔=洪水を表す水の象形文字からできている
川崎真治著 p89を見つけてしまったのです。
台湾ヤミ島の船には洪水マークが付いていることが書いてあります。
ヤミ島の言葉はインドネシア語の影響が大きくインドネシアから渡ってきた一族がいたのでしょう。
もっと驚いたことはそのキーワードが
僧よ、身震いしてたじろぐほどの身の丈が十畳の津波を目の当たりにしても禅定に入れと古い禅の教えにもそう書いてある。
なぜ禅の歌なのか?
雲根は『中華若木詩抄』から引用されたのです。
『中華若木詩抄』とは室町時代の禅の学問書。
<室町期の京都五山禅林は、当時の学問研究の総本山であり、仏典や漢籍に詳細な注釈を施した口語体の「抄物」が盛んに著された。五山高僧の該博な漢学の教養を遺憾なく今日に伝える>
1-13 中大兄皇子の歌は室町時代以降に作られた歌ということになります。
やはり中大兄皇子の歌ではありませんでした。
それと強羅はどうやら洪水のことのようです。
主人が「方舟(箱舟)を早口で言えば箱根になるね」といい、それもありかなと少し思いました。
今後の探検によってあきらかにしたいです。
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万葉集1-14 反歌
高山与 耳梨山与 相之時 立見尒來之
伊奈美國波良
香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に來し印南國原
<大意>
香具山と耳梨山が争った時に、阿菩の大神が立って見に来た印南国原はここなのだなあ
標南國原は兵庫県印南郡高砂市から明石市にかけての平野。
播磨風土記に三山相闘の伝説がある。
妻争いについての反歌です。
播磨風土記に書いてあるらしいです。
結論
1-14の妻争いの反歌は成立しません。
播磨風土記のこの内容だけで風土記の成立年代がそんなに古くはないと言えるでしょう。
記紀もそうかも。
江戸時代に記紀、万葉集、風土記をリンクさせるために作為的に作られた内容と推測できます。
おそらく水戸藩がやっていると思います。
大日本史を編纂している水戸藩には膨大な資料が集められていました。
それが有名な水戸黄門という時代劇になったのは光圀を英雄にしたかったからです。
しかし実は歴史捏造の大親分だった??
光圀の出自は家康の孫意外判然としてません。
なぜだか光圀兄弟は家康の十一男頼房の子供としばらく認められませんでした。
はじめての本です。よろしくお願いします。