エホバの証人になると失うものはなに?
そう聞かれたとしたら、私は何と答えるのだろう?と考えた。
真っ先に頭に浮かんだのは…
家族よりも何よりも宗教を最優先
宗教を第一にすることや、信者をやめた人に対する忌避…
昨日まで友だった人を…我が子や親ですら、まるで無き者のように避けることができる
親子であっても、まともに話もできない
普通の感覚ではないですよね
それに、愛や助け合いが信者限定…無償の愛を説きながら、彼らの愛は条件付き
だから、私の中でJWになると失うものといえば…やはり“自然の情愛を失う“ こと
自由の民とか言うけど…
実際は恐ろしいほどの
相応しくない、エホバが悲しむ、自由の誤用、などの表現で行動を制限するよう誘導
禁止と言う言葉を使わないだけ。
なので、JWになって失うものの2番目は “可能性と自由” だと思う
それから、最近思うようになったのは
“相手をリスペクトする心“ も失ってしまうんじゃないかと思う。
自分にとって絶対に譲れないところ、そうでもないところはあると思う。
そうでもないところは、相手をリスペクトする事が大切なんだと思うけど…
JWは絶対に譲れないものが多すぎる
JWではない配偶者にも、子どもにも…
100%の譲歩を迫る事が多い
人にはそれぞれ大切に思ってることがあるはずなのに、自分の信じてる事しか頭にないJW
なんてったって、白か黒かで全部決着をつけなきゃならない。
エホバ以外はサタンだもの
JW以外は偽りの宗教の人という考えだもの
常に別の可能性があるってことを、頭のどこかに置いておかないといけないんじゃないかな
冷静に考えれば…
どんな情報も偏りがありバイアスがかかっているものだよね。
もちろん、ものみの塔の情報も、例外なくバイアスはかかってる。
だから丸呑みしないで
どれを信じるのか、取り入れるのか、考えていくものだし
自分のバイアスの傾向はどんなところにあるのかな?って…
自分の傾向を把握するもの必要だと思うけど
JWになるとそれができなくなる。
統治大明神様のお言葉は青いエホバのお言葉みたいなものだもの。
相応しくない、エホバが悲しむ、自由の誤用、
できない事がたくさんある。
それを未信者に対しても押し通す
奥さんがJWになって…
集会があるから、なかなか旅行や家族でどこかに出かける事ができなくなった
集会をたまには休むんでどこかへ行こうと言っても聞いてくれない…なんて方もいたな。
未信者の我慢で結婚生活継続が成り立ってる…って感じをうけました。
ものみの塔の教えは…
人を自分中心、自分勝手、にしてしまう教えなのかもしれない。
親子での忌避はあるし
青いエホバは離婚を憎まれてる…なんて言うけど、未信者との離婚が多いと言われてるみたいだし
幸福な家族生活を送る秘訣なんて語れる身分じゃないよねぇ〜
……(o_ _)oパタッ