30年以上前に送った父の日の贈り物を今だ持っていた父… | エホバの証人ぴぃ~たんのブログ...目覚めてしまった...

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父は…

大きくて、力が強くて、なんでも知ってて

そう、なんでも出来ちゃう!

一緒にいると安心できて頼れる…

まるで神様の様な存在だった。



今、私の目の前にいる父は



年を取り、病気を患い車椅子に座っている。

そして、車椅子を押している私がいる。

時とは残酷ですね。



体重だって、私の方が重いんだよ



楽園となった地上での死者の復活?若返る?そうねそれは魅力的な話だとは思う。



でもね、私は見た目も、性格も、記憶も、父と全く同じ人ではなく、今の父がいいのです。なんか変だよね。言葉ではうまく言い表せない

母親の分まで可愛がってくれた手家族の為に懸命に働いた手この手がいいの。変なこだわりかなぁ。



親しい親族が火葬する時

炉に入れる前には姿があったのに

出された時には骨と灰になってしまう。姿がなくなってしまう。それを体験してしまうとね。

私は喪主として炉のボタンを押す事が出来るのかな…ボタンを押すと焼かれ姿がなくなっちゃう。大切な人、失いたくない人の姿が…



ものみの塔の独自聖書解釈による教理、最後まで組織と青いエホバ神に忠節を尽くして尽くして尽くしたエホバの証人だけが生き残り、その他は子どもだろうが赤ちゃんだろうが皆殺しにされる。



その後に楽園となった地上での復活の時は新たに形成される事になる。

いくら何から何までそっくりだったとしても……



人によっては、気にしない。同じならいいんじゃない?って思う方もいらっしゃるだろうし



記憶、性格、容姿、好み、全て同じであれば同一人物だと思える!と思う方もいらっしゃるでしょうし



人それぞれ、いろんな考えや答えがあると思う。



だって、愛するペットのクローンを作るお金持ちもいるとか

きっと同じように心から愛でるのでしょう。



創造者の技術なら、もっとすごいもの

記憶までもうりふたつの人間を造ることもできるのでしょう。



私は死んだ事ない…たぶん。

輪廻転生があるとしても死後の世界の記憶もないだから、死んだら無になるとか、死後の世界があるとかそんなのはわからない。



ひとつ言えるのは

正解なんてわからない今

大切な人を亡くして生きていくのは、あまりにさみしい。残されても生きていかないといけない。だから、残された人の心が楽になるものを信じればいいんじゃないかなって思うようになったんです。



都合がいいようにも思うけど



神様がいるとかいないとかすらもわかんない。

あったことも声を聞いた事もない。ここにいるよ…と頬を撫でられた事もない。



ものみの塔は、神が本当にいる事の例えで、風の例を出すけど…なるほど、風は目には見えないけど風が吹いていることは感じる。神もその様だと言うけど…



でも、風は頬に当たれば、実際に頬を撫でられるわけだし、髪が揺れたり、カーテンが揺れたり、風が吹いている事を見る事が出来る。



だからなんか風と神をいっしょにされても、なんか違うと思うんだよね。



でも、いるとしたら

少なくとも、青い神エホバの様に、どれか一つだけの宗教が正しくて、その信者以外は産まれたての赤ちゃんでさえ皆殺しにする様な残酷で器のちっさな神様ではないと思う。



人を実験台の様に利用して利用して利用する様な人生を求める様な、ちっぽけな神さんではないと思う。



大事な人の残された時が短いとわかると、なんかいろんな事を考えちゃう…



父の靴を履かせようと下駄箱を開けてると、底がわからなくなってるほど足が埋まるんじゃない?って言うほどボロボロに磨り減った靴が下駄箱の中にあるのが見えました。



なんで捨てんの?

と出してみると見覚えがびっくり



30年も前に父の日にプレゼントした靴だった。



今だに私がエホバの証人になる前、父の日にプレゼントした物を大事にしている。

もう汚れてるし、捨てたら?新しいの買うてあげるから と言っても、これが気に入ってるんだと



ごめんねお父さん。

何十年も、父の日にプレゼントできなくて。

来年の父の日には何かプレゼントするよおねがい



特別な日って大切。



世の人は父の日や母の日にプレゼントするけど、父や母に感謝するのは特定の日だけではないはず、毎日が父の日であり母の日、だから父の日などに贈り物をするのはおかしいと聖書レッスン(研究司会者)は言ってたけど



違うよ

決して、父の日、母の日にプレゼントするからと言って、その日だけ感謝するのではなく、ただの機会。日頃の “ありがとう” をたくさん込めてプレゼントをする機会にすぎない。



エホバの証人となって、父の日に贈り物をしなくなり、普通の日に何かしら買って行ったりはあっても、特別感は全くなく



だからかな?

普通の日に普通に渡したプレゼントではなく、30年以上も前に父の日に贈った物をボロボロになって、底がなくなりそうなほど擦りきれても、持ってくれてたんだよね。



ごめんね



きっと、周りの友達から、これ子どもから父の日にもらった〜なんて言って見せられた事もあったでしょう。



長い間、寂しい思いをさせちゃったね。

次の父の日には、うんと奮発するよ!

だから、少しでも長く生きていてね。

長生きしないと損しちゃうぞニヤリ



特別な日のプレゼントは、もらった方も特別な物なのかもしれないね。



きっと誕生日にも言える事だよね。



残された時、私には私の生活があり、いつも一緒にはいられないけど、その中で一緒にいられる時を大切にしようと思う。



限りある時間、限りある命だからこそ、時間や人との関わりを大切に

大切に生きていこうと思うようになった。

命は貴重で尊い。

命はあったかい。



心の準備、覚悟する時間を与えてくれた事を感謝します。( ̄十 ̄)アーメン・・・