人生色々・・・あなた色に塗りましょう -1433ページ目

早起き1189日目

おはようさまです。


春なのに寒いねと言うのは、常識に冒されている。


常識とは、往々にして思い込みや大いなる勘違いのことが多い。


春だけど寒い日もあるんだね。


来週は健康診断。


健康診断が近づくと食事の量を気にする人がいる。


全然気にしないのよりは良いのだけれど、どうせなら毎回気にして食べ過ぎないようにしたらより良いですね。


昔犬を飼っていました。


貪るようにエサを食べる姿を見て、いくらでも食べられそうだと思いました。


試したこと無いので分かりませんが、きっと腹一杯まで食べるのでしょうね。


逆にいつもと同じ量なのに、残すこともありました。


物が喉を通らないくらい身体が辛かったのか、体調に合わせて自制していたのか、どうなのでしょう。


食欲は生存本能だから、食欲が無くなったら死が近いのかも知れません。


それは、死期が近づいたから食欲が無くなるのではなくて、食べれないから弱っていくのだと思う。


それくらい大切な食欲を我慢してダイエットだなんて、修行僧は何を見付けたいのだろう。


死にかけて、天国の扉を覗いてくることが悟りというものだろうか。


人は人を救えないのではないか。


しかし、助け合うことは出来る。


重い荷車を汗だくで引いている人がいたら、後ろから押してあげたくなる。


それが、人間だと思うのです。


重い荷車を汗だくで引いている人を、ただじっと見つめているだけでは、無言で祈っているだけでは、その人は救われない。


助けを呼んできたり、声援を送ったり、何かしらの行動があって初めて、その人は救われるのではないかな。


ただ、祈りが無力だとは思わない。


我が身を削るような想いが無ければ、祈りは力を持たないと思う。


何かを我慢した分だけ手に入る。


出せば入るの世界だな。


自分の器以上には受け取れない。


先ずは、自分の器を知ることだ。


それは、人と比較するしかない。


基準が無ければ計りようが無い。


器が小さいくせに、沢山欲しいのなら話は簡単なこと。


沢山自分から出すことだ。


出すものが何も思い浮かばなかったら、取り合えずは汗を出せばいい。


人のために、汗をかけばいい。


誰でも出来る簡単なこと。


器以上の物が欲しいのならば、器の大きい人から学べば良い。


ん?、そうか、勉強が嫌いか。


それなら、器の大きい人を真似ればいい。


同じように行動するから、結果も今までとは違ってくるだろう。


結果が今までと違ってきたなら、それは成長の証。


良い方に変わっていないなら、それを人は猿真似と言う。


精神を志を真似てこそ本物となる。

早起き1188日目

おはようさまです。


僕の夢は『世界平和』


ずっとモヤモヤしていましたが、今はそれが明るくなりました。


どうしたら、この世界から貧困が無くなるのだろう。


どうしたら、この世界から争いが無くなるのだろう。


どうしたら、悲しみの連鎖から解き放たれ、慈しみ、愛し合えるのだろう。


どうしたら、とずっと考えてきました。


小さい頃は皆が仲良くいる状態が心地よかった。その関係がある限りは、イジメは無かったように思う。


成長し自分の社会が広がると、沢山のマイナスイメージに晒されて、心が痛むことが増えた。


もう、感情を遮断するしか無かった。


それは、自分を守るため。傷付かないようにするための盾みたいなものだった。


その盾の防御力は強力だったから、しっかりと痛みを遮断してくれたが、一方で周りから沢山の愛情をかけられながらも受け取ろうとしなかった。盾があったから受け取れ無かった。


そんな薄情な人間です。


世界平和。


人類は、もともとその様な愛し合えるものでは無いのかも知れないと絶望を覚えることもある一方で、微かな希望の光に未来をハッキリと見ることも出来る。


僕は人を信じる。人を信じたい。


僕の思いをイメージで現すと分かりやすいかな。


みんな大好きだよって、地球を両腕でぎゅうっと抱き締めている感じ。




世の中には攻撃的な人がいる。


攻撃は最大の防御なり、なのです。


自分を心の痛みから守るための行動です。僕の盾と目的は同じ。


みんな守るのに必死なのです。


それは、物の見方考え方の違いからくるように思う。


育った環境や過程が違うから、食い違いが起こっている。


何かしらの一本の背骨みたいなもの。
それが確立されないと、人類は分かり合えないのかも知れない。


まさに、信じるものが違うだけなんだ。


たったそれだけで、こんなにも分かり合えなくなっているんだ。


と、今は世界平和に向けての課題が明確になってきています。


共通言語(教え)が必要だなって思います。


その候補の一つが、倫理法人会での学びです。


随分前にブログに書きましたが、一人一人の考え方が良いものに変われば、それこそ一瞬で世界は変わります。


ハッと気づく、あの感覚です。


その瞬間、戦争は終わってしまいます。


信じるものが違うと、何が正しいかの基準も微妙にずれる。


そんなに違わないのだけれども、人は自分を守るために、戦うのです。


ただの勘違いだとしても、生きることに全力を尽くすのです。必死で戦うのです。


その微妙な差が埋められないことは歴史が証明しています。


必要なのは、共通の考え方がなのです。


宗教はその部分では相応しく無かった。却って争いを激化させ、今に至っています。


宗教を超えるものが必要なのだと思います。

早起き1187日目

おはようさまです。


この世に生を受けたのには何かしらの理由がある。


そこに気づくために人生の苦難はあるように感じる。


だから、ちょっと嫌だなと思うことからは逃げてはいけない。


苦手なことの中に成長の種はあるのだから。


成長の過程を見てみれば、そのことは明らかである。


成長するとは、出来なかったことが出来るようになることと言い換えてみよう。


赤ん坊は、手当たり次第に何でも口に入れる。


親は堪ったものではない。


変な物を口に入れないか、心配で常に監視している。


しかし、それは成長するための通過儀式のようなもの。


酸いも甘いも嗅ぎ分けているのです。


色々な経験を積んでいるのであり、何でも口に入れることは、その子の人生経験の大切な土台になる。


口に入れて苦かったら、ぺっと吐き出して、これは食べない方がよいと記憶する。


そうやって、味覚を成長させていく。


口に入れた物が毒か薬か嗅ぎ分けることは、生き延びるために必要な能力の一つであるから。


毒のある食物を腹一杯食べてしまったら腹を壊して生命の危機に陥ってしまうだろう。


大人になって苦いものが食べられるように味覚が変化するのは、子供には毒でも大人には毒では無くなるから。


良薬は口に苦しで、中には苦くても食べた方が良いものもある。


苦いからと言って食べず嫌いでいると栄養が偏ってしまい、極端な場合には身体の成熟に影響が出ることもある。


出来なかったことが出来るようになることは人生の成長過程。


そこを通らないといつまでも成長出来ない。足踏み状態みたいなもの。


だから、何度でも同じような困難が訪れる。人生は成長しなければならないから。


その場は逃れようとも、将来再び苦難はやってくる。成長しないと人生は次の段階に移行できない。


この世に生を受けた理由に近づくために、苦手なことを出来るようになる努力をしよう。


そうすると、世界が広がる。


自転車に最初乗った時、転んで痛い思いをしたけれど、その痛みをこらえて恐怖心を克服したからこそ、自転車に乗れるようになった。


そうしたら、行動範囲が広がった。


見える世界が違って感じた。


一つ成長すると、新たな刺激により感性が活性化する。


感じ方に幅が出来る。


新たな苦難に気がつく。


その苦難を乗り越える。


すると、次の新たな苦難がやってくる。


人生はその繰り返し。


いつまでも、命のある限り人は成長出来る。


だから昔の人は長老を敬った。


若造では及ばない経験を知恵を積み重ねていたから。


でも、今は楽に生きる人が増えて、尊敬出来る長老が少なくなった。


人に敬意を払うことを教えなくなったから、ゼロから経験を積まなくてはならず、精神的な成長が遅い。


人は経験(失敗の記憶)しなければ、上手く物事を出来ない。


最初から上手に出来るのなら、それはその分野の才能がある。


ぜひ伸ばして欲しい。


人が苦労して身につけることを、いとも簡単にやってのけてしまうのなら、その分野をより高度に味わえるだろう。


他人では到達が困難な領域にも、比較的簡単に近づけるだろう。


人生の意味とは使命に気づくこと。


自分の得意分野は、色んな体験の中でこそ見えてくる。


ちょっと苦手なことは、霧みたいなもの。


人生は、苦手意識という霧により、先が見えにくくなっている。


霧の中に一歩を踏み出す。苦手なことから逃げないことが、霧を晴らす力になる。新しい視界が開ける。


食べず嫌いは損ですよ。


こんなに美味かったのか!


という経験は誰もがお持ちだと思います。


思った通り不味いことも多いですが、思い込みもあります。


思いきって挑戦することで、新たな人生の扉を押し開こう。