早起き2032日目
おはようさまです。
生命の使命は、生まれること、生きること、死ぬること。
この3つがセットになって、生命の使命である。
だから、生まれることは喜びであり、死ぬることもまた喜びなのである。
そして、生きることは歓喜なのである。
無意識で生まれ、意識を持って自我を生き、無我の境地に死ぬること。
自我は、他人との比較で成り立つ。
自分と他人を別けて意識することから始まる。
それ故に、自分というものを優先するようになる。
それが我儘である。
自分さえ良ければ良いという価値観。
それが間違いなのは大自然が教えてくれている。
色んな種が、この地球上に生きているのは、それぞれが存在意義があるからである。
つまり、自分さえ良ければ良いという価値は、そこには成り立たない。
逆に、皆が良ければそれが良いという位の感じである。
弱肉強食と言われる自然界だが、強いものが弱いもの全部食べてしまったら、その先には強弱どちらも滅ぶ未来しかない。
食べたいだけ食べると滅ぶのである。
満足という感性によって、このバランスは保たれている。
人は、この満足という感性が我儘な心によって歪んだ存在であり、それを一生掛けて正していくのではないだろうか。
精神性から種を見た時、ヒトは最低に位置する存在なのではないかな。
植物はシンブルだ。
種が落ちた場所で根を張り葉を伸ばし花を咲かせ実を作る。
自分の身体は次世代の養分となる。
この繰り返しの結果が、この緑豊かな大地である。
原始の地上には、草木一本も生えていなかったのである。
与えられた環境、条件の中で精一杯生きる雑草の姿が繁栄の秘訣である。
ずるをしての繁栄は、一時の栄華であり、バランスを崩した帳尻合わせがちゃんと来る。
幾多の文明が滅んだのは帳尻が合わされた結果である。
生命の循環というバランスを崩さないことが、繁栄の法則である。
無意識で生まれ、自我に目覚めて、無我に死ぬる。
生命の循環の輪の中に自分はいる。
歯車ではなく、続いているのである。
生命の使命は、生まれること、生きること、死ぬること。
この3つがセットになって、生命の使命である。
だから、生まれることは喜びであり、死ぬることもまた喜びなのである。
そして、生きることは歓喜なのである。
無意識で生まれ、意識を持って自我を生き、無我の境地に死ぬること。
自我は、他人との比較で成り立つ。
自分と他人を別けて意識することから始まる。
それ故に、自分というものを優先するようになる。
それが我儘である。
自分さえ良ければ良いという価値観。
それが間違いなのは大自然が教えてくれている。
色んな種が、この地球上に生きているのは、それぞれが存在意義があるからである。
つまり、自分さえ良ければ良いという価値は、そこには成り立たない。
逆に、皆が良ければそれが良いという位の感じである。
弱肉強食と言われる自然界だが、強いものが弱いもの全部食べてしまったら、その先には強弱どちらも滅ぶ未来しかない。
食べたいだけ食べると滅ぶのである。
満足という感性によって、このバランスは保たれている。
人は、この満足という感性が我儘な心によって歪んだ存在であり、それを一生掛けて正していくのではないだろうか。
精神性から種を見た時、ヒトは最低に位置する存在なのではないかな。
植物はシンブルだ。
種が落ちた場所で根を張り葉を伸ばし花を咲かせ実を作る。
自分の身体は次世代の養分となる。
この繰り返しの結果が、この緑豊かな大地である。
原始の地上には、草木一本も生えていなかったのである。
与えられた環境、条件の中で精一杯生きる雑草の姿が繁栄の秘訣である。
ずるをしての繁栄は、一時の栄華であり、バランスを崩した帳尻合わせがちゃんと来る。
幾多の文明が滅んだのは帳尻が合わされた結果である。
生命の循環というバランスを崩さないことが、繁栄の法則である。
無意識で生まれ、自我に目覚めて、無我に死ぬる。
生命の循環の輪の中に自分はいる。
歯車ではなく、続いているのである。
早起き2031日目
おはようさまです。
雨が降るのは、色んな地上の汚れを洗い流すため。
時には大量に降って、川を溢れさせて地上の何もかも流してしまったり、山肌を削って地形が変わってしまうこともある。
地球はそうやって、自らをキレイに整えてきた。
美しい地球は、自然に出来たのである。
何十億年と繰り返し繰り返し、浄化を繰り返しながら今に至る。
そんな自然の営みに、干渉しようとするのが人である。
人と自然は、調和の精神に則って生きることが大切だと思う。
互いの意見を調節しようという、思いやりの気持ちが足し合わされた答が、和である。
よくよく考えて確認しよう。
自分の都合を優先していないか。
自分だけ得をしようとしていないか。
雨が降るのは、色んな地上の汚れを洗い流すため。
時には大量に降って、川を溢れさせて地上の何もかも流してしまったり、山肌を削って地形が変わってしまうこともある。
地球はそうやって、自らをキレイに整えてきた。
美しい地球は、自然に出来たのである。
何十億年と繰り返し繰り返し、浄化を繰り返しながら今に至る。
そんな自然の営みに、干渉しようとするのが人である。
人と自然は、調和の精神に則って生きることが大切だと思う。
互いの意見を調節しようという、思いやりの気持ちが足し合わされた答が、和である。
よくよく考えて確認しよう。
自分の都合を優先していないか。
自分だけ得をしようとしていないか。
早起き2030日目
おはようさまです。
余り知られておりませんが、福井県はコシヒカリ発祥の地なのです。
昭和31年、福井の農業試験場で誕生しました。
当時の福井県では栽培技術が未熟で色々問題があって、栽培条件の良い新潟県で作られ始めて今に至っています。
僕が小さい頃から福井県でも作られるようになったとか。
それからは、ずっとコシヒカリで育ちました。
コシヒカリと言えば新潟県魚沼産が有名ですが、近年ではそれに負けないくらい美味しいお米が福井県でも作られています。
その中でも東郷地区のお米は美味しいと評判なんです。
昨夜は、そんな東郷地区をPRする会に参加しました。
その名も、『東郷を満喫する会~飲食編』
東郷で採れたお野菜を使った料理を東郷で作られた地酒で頂く。
正に文字通り東郷を満喫出来る会です(笑)
そして、僕は、昨年参加した時に出された“おつくね”に感動したのでした。
東郷米の新米で握ったおにぎりが出たのです。
ここ東郷ではおにぎりのことを“おつくね”と呼びます。
なんというか、食べ慣れたコシヒカリですが、違うんです。モチモチで食感が良く、旨みも良く、ビックリしました。
一口で“おつくね”のファンになりました。
そして、今年も新米の季節ですから、メニューには“おつくね”が入ってます。
これを楽しみに一年待ちました♪
メニューはコチラ

これが我が愛しの“おつくね”さん

メニューをご覧頂くと、“毘沙門米の新米おつくね”とあります。
東郷でも毘沙門と呼ばれる土地が特に美味しいコシヒカリが出来るということで、毘沙門米というブランドを作って売り出しているそうです。
そう、一番旨い米で作ったおにぎりなんですね~♪
旨い訳です(笑)
やっぱり旨い!
ごちそうさまでした(。-人-。)
余り知られておりませんが、福井県はコシヒカリ発祥の地なのです。
昭和31年、福井の農業試験場で誕生しました。
当時の福井県では栽培技術が未熟で色々問題があって、栽培条件の良い新潟県で作られ始めて今に至っています。
僕が小さい頃から福井県でも作られるようになったとか。
それからは、ずっとコシヒカリで育ちました。
コシヒカリと言えば新潟県魚沼産が有名ですが、近年ではそれに負けないくらい美味しいお米が福井県でも作られています。
その中でも東郷地区のお米は美味しいと評判なんです。
昨夜は、そんな東郷地区をPRする会に参加しました。
その名も、『東郷を満喫する会~飲食編』
東郷で採れたお野菜を使った料理を東郷で作られた地酒で頂く。
正に文字通り東郷を満喫出来る会です(笑)
そして、僕は、昨年参加した時に出された“おつくね”に感動したのでした。
東郷米の新米で握ったおにぎりが出たのです。
ここ東郷ではおにぎりのことを“おつくね”と呼びます。
なんというか、食べ慣れたコシヒカリですが、違うんです。モチモチで食感が良く、旨みも良く、ビックリしました。
一口で“おつくね”のファンになりました。
そして、今年も新米の季節ですから、メニューには“おつくね”が入ってます。
これを楽しみに一年待ちました♪
メニューはコチラ

これが我が愛しの“おつくね”さん

メニューをご覧頂くと、“毘沙門米の新米おつくね”とあります。
東郷でも毘沙門と呼ばれる土地が特に美味しいコシヒカリが出来るということで、毘沙門米というブランドを作って売り出しているそうです。
そう、一番旨い米で作ったおにぎりなんですね~♪
旨い訳です(笑)
やっぱり旨い!
ごちそうさまでした(。-人-。)