「ダウンタウンプラス」が始まり、およそ1ヶ月が経とうとしているが、以前、このブログに書いた当初の予想どおり、最初の月はやっぱりコンテンツが少なく、そのコンテンツも、松本が活動休止していなければそのまま地上波でやっていたであろう域を出ない番組ばかりのように感じられる。その域に留まるのであれば、先にテレビからフェイドアウトし、YouTube や ABEMA に活動の場を移し、テレビの外でテレビをやっている石橋貴明と変わらない(無論、そうであれば、石橋貴明のほうが先駆者として高く評価されなければならない。)。しかし、松本に期待されているのはそういうことなのだろうか。

今のところ、もっとも面白かったのは初日の生配信であり、月に一度の生配信だけは期待できそうな気もするのだけど、私はとりあえず、「ダウンタウンプラス」は1ヶ月で解約することに決めた。もし、これから先、魅力あるコンテンツが誕生し、それらが増えていくようだったら、そのときにはまた改めて再契約しようと思う。


本日配信された「7:3トーク」という番組のゲストが山田邦子だったのだが、これはなかなか面白い話をしていた。この番組は松本とゲストがふたりで餃子を作りながらトークをするというもので、意識の3割は餃子に、7割はトークに向けられるという狙いなのだが、それが普通にトークをすることよりもよい効果をもたらしているのかはよくわからない。初回がシソンヌ長谷川、2回目は小峠英二と続き、山田邦子は3回目のゲストである。

山田邦子は松本よりも3歳上、芸歴も少し古く、山田邦子はダウンタウンやウッチャンナンチャンがあとから出てきて抜いていったという言いかたをしていた。有料配信の番組の内容をここに詳しく書くことは控えるが、松本は山田邦子にリスペクトを示してみせる。

山田邦子の話に音声が消されている箇所があったが、しかし、その話は地上波のテレビ番組でもしたことがあるようで、検索するとすぐにその人名がわかる。地上波テレビ以上に地上波テレビ的なコードを守る態度がこの場面からは感じられた。

「大竹まこと ゴールデンラジオ!」(文化放送)を聴いていたら、政治学者の中島岳志が高市早苗を愛読書から読み解く話をしていたのがとても面白かった。高市早苗の5冊の愛読書が公表されているというのを知らなかったが、検索してみると、日経新聞に載ったものだろうか。その5冊とは、マーガレット・サッチャー「サッチャー回顧録」、山本七平「「空気」の研究」、司馬遼太郎「坂の上の雲」、松下幸之助「松下幸之助発言集」、G.キングス&レイ・ウォード「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」である。中島岳志はこのなかで「「空気」の研究」と「坂の上の雲」に注目する。


中島は、高市は自分が空気を突破するというような感覚をもってしまっているのではないかと指摘し、台湾有事に対する発言などをあげるのだが、だとすると、高市は「「空気」の研究」を大きく誤読しているのではと考える。エックスでの「外交交渉でマウント取れる服」発言についても、総理としてはコードを踏み外していると指摘し、しかし、それは高市にとっては空気を突破するという感覚なのではという分析だった。

なるほど、私は単に高市は軽率なのではと考えていたが、中島岳志の指摘のとおりだとすれば、じつは確信犯的に、空気を突破しようという意図でその発言をしているということか。

高市が総理になる以前にバラエティ番組に出演したのを観たことがあるが、あるいは、総裁選のときの討論番組などでもいいが、高市はずんぶんはしゃぎやすいひとだなという印象を私はもっていた。トランプに媚びを売っていると批判された場面にしても、あれはつまり、高市は大いにはしゃいでいるだけだ。それが高市の好感度にもなっているのだとは思うが、しかし、はしゃぐ総理はやっぱりかなり心配である。はしゃぐというのはむしろ、空気に飲まれやすいということだろうから、もしかすると、だからこそ、「空気」というテーマが自身のなかにあるということになるのだろうか。


もうひとつ、「坂の上の雲」については、高市はこの作品の時代と今の時代を勘違いしていないかと、その時代認識のズレを中島は指摘していた。幕末から日露戦争まで、日本が一等国になろうという時代を描いているこの小説が書かれた背景には戦後日本の高度成長期がある。「働いて働いて…」というあの発言も、高度成長期のモデルではないかというわけだ。


そこで思い出したが、今年のあたまに石破茂は「楽しい日本」というテーマを掲げていた。演説のなかに出てきたその言葉を、私は週刊誌の石破のインタビューを読んでいたからそれが堺屋太一の著書からの引用であることがすぐにわかったのだが、「三度目の日本」(祥伝社新書)という本のなかにそれは書かれている。明治から昭和にかけては「強い日本」を目標にし、戦後は「豊かな日本」を目指してきた。しかし、今の日本は強くもないし、豊かでもない。これから目指すべきは「楽しい日本」なのではということを石破はそのインタビューのなかで説明していた。

私は石破が年内に辞めるとも知らずに、石破の年始のインタビューにとても共感していたのだが、「楽しい日本」よりも「強い日本」や「豊かな日本」を目指すほうが支持されるのがどうやら現実ということか。たとえ、時代認識がズレていようとも、それがこの国の空気のようだ。



横浜の放送ライブラリーにて、小泉八雲に関する番組はなにかないかと探してみたら、1984年にNHKで放送された「日本の面影」というドラマを見つけた。脚本は山田太一。小泉八雲に同名の著書があるが、それが原作というわけではないようだ。小泉八雲を主人公にした全4回の連続ドラマの1回目だけが放送ライブラリーに収蔵されている。

ドラマは1884年(明治17年)のニューオーリンズから始まる。ニューオーリンズでは万国博覧会が開かれていた。新聞記者だったハーン(ジョージ・チャキリス)は幽霊や迷信に関心があったが、アメリカは万博が開かれるような科学と合理主義の時代になっていた。この科学と合理主義に対する疑いが、ハーンを日本への興味に向かわせるのだが、しかし、この時代背景が「ばけばけ」ではわからなかった。いっぽう、万博に日本から派遣された文部省の官僚たちは西洋化を目指している。
ハーンは白人よりも有色人種の文化に心を惹かれるという描きかたがされてもいるのだが、ハーンは日本の官僚たちと知り合い、服部一三(津川雅彦)に教わった古事記に感銘を受ける。その6年後、1890年にハーンは横浜にやってくる。旅行記を書くための1ヶ月の滞在の予定だったが、ハーンはその契約を破棄し、日本で暮らしたいと考えた。そのため、教師のクチを探し、松江に向かうことになる。古事記に関心があったハーンは出雲の国に惹かれたのだ。
松江に向かう途中に泊まる旅館では、見るものすべてにいちいち反応するハーンに、世話役の青年(三ツ木清隆)が、当たり前のものなのにおかしいと言ってみせる場面がある。ここにも西洋化を目指す日本人とのすれ違いがある。ハーンが松江で初めて迎えた朝の描写は「ばけばけ」にもあったが、これはどうやら「日本の面影」に書かれている描写のようだ。(私は小泉八雲に関しては無知だから、ドラマで描かれている以上のことはまったくわからない。)

松江のひとびとは第1話の終盤になってようやく登場するのだが、小泉セツを演じるのは檀ふみ、松江中学校の教頭先生を小林薫が演じている。旅館の女将は加藤治子、旅館の女中は杉田かおるだ(もちろん、全員41年前のすがたをしている。)。第1話しか観られないのが惜しいが、ウィキペディアによると、このあとには柴田恭兵や伊丹十三やケント・ギルバートが出てくるみたいだ。

「日本の面影」は1話を観ただけでも小泉八雲への関心が私は深まったのだが、しかし、「ばけばけ」はどうだろうか。ある面ではとても面白いドラマだと思って観ているのだけど、あのドラマを観ていて小泉八雲に関心が向かう視聴者がいるのだろうか。そこは致命的な欠陥という気がしている。小泉八雲サイドはどう思っているのだろうかということも心配になってくる。(いや、放送はまだ先が長いからそう決めつけるのは早いのだけれども。)

(展示ホールの「秋の人気番組展」も観てきた。)



先日、「さんまのまんま」(関西テレビ)の特番を観ていたら、世界陸上の選手たちがゲストだったのだが、そのうちのひとり、中島佑気ジョセフ選手は読書が好きなんだそうで、三島由紀夫の本を取り出し、さんまに手渡すという場面があった。

「お前、三島由紀夫さん、俺らが小学校中学校やぞ。(観覧客に向かって)もう知らんやろ、三島由紀夫さんて。楯の会という…。知らないよなあ。」

「三島さんの本て文硬いけど、なんで好きになった?」

「ちょっと別格な世界やからな。」

「あのひともハードな人生送られたかたやからな。」

さんまが三島由紀夫に反応することが珍しいと思って観ていたが、これらの発言からすると、さんまもどうやら三島由紀夫を読んでいるのだろう。さんまは小学校中学校のころに三島を読み、若いひとは知らない作家だと思っているのか。だから、中島佑気ジョセフが三島由紀夫が好きだということに驚くような感心するようなリアクションをしていた。


さんまは特に三島が好きとかというよりも、過去の発言からしても、さんまは普通に(普通以上に?)読書家なのではという気がしている。

「世界まる見え!テレビ特捜部」(日本テレビ)という番組に、さんまは年に一度、ゲスト出演するのだが、ある年、その番組内のクイズで、メキシコの住宅街にたくさん落ちてきた意外なものはなにかという問題があった。解答者のひとりが「魚」と答えたのだったと思うが、そのときにさんまがすかさず、村上春樹の小説のなかに出てくるといって補足してみせたことがあった。これもまた、さんまから村上春樹という名が出た意外性を記憶しているのだが、さんまは「海辺のカフカ」を読んでいるのだろう。


また、別の番組では、さんま自身が「俺はかなり本屋に通っている」と発言していたことがあった。あるときの「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ)では、声優の潘めぐみが過去にバイトしていた本屋にさんまがきたことがあるという話をしていて、これはさんまの発言を裏付けるような証言だと思った。

西加奈子の「漁港の肉子ちゃん」をアニメ化したさんまでもあるから、そこはなにかプロデューサー的な眼で作品を探しているということでもあるのだろうか。あるいは、「ONE PIECE」のようなマンガも読んでいるさんまは、ドラマや映画も驚くほど観ているし、流行はすべて知っておかなければならないという考えもおそらくある。

本屋にどんな本が並んでいるかが世間を知るバロメーターになるというのは、本屋をよく利用する人間ならば体験的にわかることだが、さんまがそれをすることで現役ばりばりのバランス感覚を維持しているのだとすれば、本屋が好きな人間としてはこんなに心強いことはない。セレクトショップではない本屋の良き利用法である。



座間のイオンシネマまで、春風亭一之輔の落語会のライブビューイングを観に行ってきた。落語会のライブビューイングというのは初体験だったのだが、毎回通っている「タイタンシネマライブ」では、談志、鶴瓶、たけしの落語を観たことがある。18時開演、5分前に場内に入っていくと、もう一之輔の声が聴こえる。開演前の影マイクのアナウンスを一之輔自らやっていて、そのアナウンスがされている会場の様子がもうスクリーンに映されていた。アナウンスが終わると間もなく、一之輔が私服で登場する。まずは私服で少しおしゃべりするというスタイルにこの会はなっている。

一之輔からライブビューイングの集客状況が伝えられたが、板橋は満員、新百合ヶ丘もよく埋まっているようだが、地方はさすがに客が少ないところもある。地方ならまだしも、大宮がひと桁しか入っていないというのには驚いた。なにか特別な原因でもあるんだろうか。座間は3分の1ぐらいは埋まっていたと思う。神奈川県は座間と新百合ヶ丘の2館しか上映がなく、うちからは座間が近かったのだが、ここは交通の便がすこぶる悪い。一之輔は地元の劇場の上映がないとぼやいていたが、その劇場はライブビューイングの設備がないんだそうだ。神奈川県にももっと行きやすい劇場はあるのに、設備がないという事情もあるのか。


前方には妹弟子の一花が登場した。「NHK新人落語大賞」で優勝した一花だが、オファーはその前にしていたそうだ。同じ一門だから一花にとってもホームのような会だろうと思うが、中井貴一に似ているというのは常連客にはおなじみなのだろうか、なぜ中井貴恵ではないんだということを誰かに教えてもらいたかった。落語は「洒落小町」。

一之輔は二席、「青菜」と「らくだ」。特に「らくだ」の後半、屑屋が酔い始めてからは一之輔の真骨頂だった。マクラでは「ばけばけ」と「国宝」の話をしていた。終演したのは20時50分頃だった。


しかし、それにしても、スクリーンいっぱいの落語家というのはなかなか奇妙な視覚体験である。なにもそんなに大きく映さなくてもと思うのだが、座布団に座った状態の座高がちょうどスクリーンの縦のサイズに収まるくらいだ。落語家を見上げるように落語を聴くという経験も今までなく、生きた大仏がいたとしたらこんなものだろうかという感じがする。

「タイタンシネマライブ」ではカメラを漫才の立ちすがたに合わせているせいか、違和感のないサイズに映されていたと思う。

山田洋次監督の「TOKYOタクシー」を観たいと思っているのだが、その公開を控えているため、主演している木村拓哉をテレビで観る機会がここのところ立て続けにあった。特に「秋山ロケの地図」(テレビ東京)に木村拓哉が出演したことはひとつの事件だ。ロケの最中、移動するタクシーのなかで、秋山が木村に「あすなろ白書」や「若者のすべて」などを観ていたことを話している様子を少し意外な気がして観たのだが、もうひとつ、「有働Times」(テレビ朝日)では有働由美子による木村拓哉のインタビューをたっぷりと放送していたが、そこでは「ロングバケーション」について訊き続ける有働に、木村が話が古くないかと心配してみせる場面もあった。


ロバート秋山は木村拓哉よりも少し歳下、有働由美子は木村拓哉よりも少し歳上にあたり、秋山と有働には1世代の差があるといっていいだろう。世代差だけでなく、男女差もあれば、キャラクターもまったく違うふたりが同じように木村拓哉のドラマを観ている。誰もがドラマを観ていた時代だとも言いたくなるが、しかし、私はそのふたりのあいだに挟まる年齢だが、どういうわけだか木村拓哉のドラマを今に至るまでまったく観たことがない。ウィキペディアの出演作を眺めてみると、木村拓哉の出演作のなかで私が観たことがあるものはどうやら山田洋次監督の映画「武士の一分」だけだが、これも山田洋次監督だから観たのである。

こんなに観たことがなかったかなと思うくらいに私は木村拓哉を観ていない。いや、そんなことはない。バラエティに出演する木村拓哉はそれなりに観ているはずだ。そう思ったが、しかし、私は「SMAP×SMAP」もじつはろくに観たことがない。もしかすると、SMAPのほかのメンバーたちを観ていたから木村拓哉も観ていたような気になっていたのだろうか。落ち着いて考えてみれば、ほかのメンバーの仕事は不思議とけっこう観ていることに思い当たる。

SMAPとは極めて優れたタレントのチームだという認識に私はいつしかなっていたのだが、それはおそらく、芸能界内での評価がそうなっていったからだろう。だから、優れた映画や優れたテレビ番組を追いかけていれば、SMAPのメンバーというのは自ずと視界に入ってくるものだったのだが、木村拓哉がそこに入ってきにくいというのはなんなんだろうか、やっぱり、木村拓哉が特異な存在である証ということになるのではないだろうか。


山田洋次作品というのもひとつの特異点である。もうひとつ思い出したが、私は「ハウルの動く城」も観ている。宮崎駿作品というのも特異点としか言いようがない。

特異点に現れる木村拓哉。これを課題として、あとは「TOKYOタクシー」を観てから改めて考えたい。



平沼のブックオフが閉店することになった。それに気がついたのは今月の8日だったが、いつものように寄ってみると、棚がすかすかになっている。もしやと思い、入り口に戻ってみたら、24日に閉店するとの貼り紙が出ていた。それにつき、70パーセントオフのセールだという。閉店時刻30分前だったが、目を皿のようにして棚を物色し、とりあえず、ぱっと4冊ほど選んで買っていく。


この店にはいつも横浜駅東口から歩いていくのだが、地図で見ると相鉄線の平沼橋駅のほうがやや近いようだ。しかし、平沼橋はあまり利用しない駅である。横浜駅からはちょっと距離があるが、慣れてしまえばどうってことはなく、寄ることの多かった店だが、棚の新陳代謝はかなり悪い店という気はしていた。

はるか昔の話だが、ブックオフができる前には東口にはぽんぽん船という新古書店があった。横浜のひとにしかわからないだろうが、モスバーガーの隣りにあるセブンイレブンがぽんぽん船だったはずだ。私の学生時代には通学の途中に横浜駅があったから、このぽんぽん船はとてもよく利用していた。いくらか買うごとにスタンプカードを捺してもらえるので、スタンプ欲しさに、金額の調整に余計な本を買ったりするようなことをしていたのだが、その余計な本がどれだけ自分の血肉になったかわからない。わが人生の少年期から青年期に限れば、いちばん本を買っていた店ということになると思うのだが、平沼にブックオフがオープンするとその影響を受けたのは明らかだろう。しばらくするとぽんぽん船はつぶれてしまった。


利用した年月でいうと、ぽんぽん船よりもはるかに長い付き合いになったのではとも思うのだが、平沼のブックオフの閉店には感傷のかけらもない(ブックオフがつぶれて感傷的になる人間がいるだろうか?)。閉店を知ってからさらにもう2回行くことができたが、つぎに行ったときには、5点以上買うと1点80円になっていた。日を改めてもう一度行くと、それが1点50円になっていた。せどりでもなさそうな客がカゴいっぱいに本を入れて列を作っている。最後はもう袋詰めはセルフにしていて、レジのそばにはそのための空のワゴンがあったのだが、私もついつい買う量が多くなり、カバンがぱんぱんになるまで本を詰めて帰るはめになった。ここから横浜駅に戻るだけでも苦行のようだったが、こちらのほうにやってくることもこれからはほぼなくなるのだろう。感傷とは違うのだけど、行動範囲の一部が消えるという奇妙な感じはある。



三宅唱監督の映画の評判はよく目にするものの、自分にとってはどうも今まで観るきっかけを作れずにいた監督だったのだが、しかし、つげ義春作品の映画化だとあればこれは観てみたくなる。

つげ義春は今では超有名大物漫画家なのだが、私がつげ義春を知ったときにはまだ知るひとぞ知る漫画家という感じではなかったか。自分の思春期、つまり90年代だが、ちょうどつげ義春が注目されるタイミングがあり、私はそのときに読み始めた読者ということになる。そのきっかけのひとつはやはり、竹中直人が監督した「無能の人」(1991年)だったはずだが、その2年後には筑摩書房から全集が刊行される。(余談になるが、その当時、「電気グルーヴのオールナイトニッポン」を聴いていたら、石野卓球がつげ義春全集のサイン本をたしか新宿の紀伊國屋で買ったという話をしていて、ピエール瀧に、お前でもサインを欲しがるのかというようなことを言われていたような記憶がある。)

しかし、私が初めてつげ義春のマンガを読んだのは、小学館叢書として刊行されたハードカバーの「ねじ式・紅い花」という本である(調べてみると、1988年刊のようだ。)。同時か少しあとに、同じく小学館叢書の「ヨシボーの犯罪」(1992年刊)も買っていて、手塚治虫が亡くなる前後の時代でもあるのだが、マンガを文芸書のような装丁で出すのがその当時は流行っていたのだろう。おとなが堂々とマンガを読むにはまだまだハードルが高い時代のことだ。


「旅と日々」というつげ義春作品はないのだけど、この映画は「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」が原作ということになっている。河合優実で「海辺の叙景」を撮ろうと考えたことからして名案としか言いようがないのだが、単に原作の再現ではないのにこれが素晴らしく「海辺の叙景」になっている。この「海辺の叙景」をいつまでも観ていたいくらいだったが、映画はメタ構造になっていて、ここで冷めさせられるところがある。はいここまでといったような、アイドルの現場なんかでは剥がしとかいう言葉があるが、なんだかそんな目に遭ったような気分になった。

映画の主人公はシム・ウンギョンが演じる脚本家だが、主人公をなぜ韓国人にしたのだろうかと思うと、「李さん一家」を反転させたのかとはまず思ったが、しかし、三宅唱監督の映画を観るのが初めてだったから、つかみきれていない意図がどうもあるような気がする。さらに、「ほんやら洞のべんさん」になると、暗い画面がえんえんと続くから、これは劇場の問題とおのれの視力の問題だけれども、なにが起きているのかわからない場面がたびたびあった。配信でもされたら必ず観なおさなければならないと思う。


90年代は「無能の人」のほかに石井輝男監督の2作品「ゲンセンカン主人」(1993年)と「ねじ式」(1998年)もあったが、いずれも原作の再現という方向性のものであった。しかし、「旅と日々」を観ると、今はもう原作から解放された時代になったのだなという思いにさせられる。いつのころからか、つげ義春は熱烈なファンだけの所有物ではなくなっていたのだろう。

そういう意味では、「旅と日々」に出演していた佐野史郎は熱烈なつげ義春ファンであり、石井輝男監督の「ゲンセンカン主人」では主演を務めているのだが、「旅と日々」のホームページを見てみると、主要キャストのコメントが載っているのに、佐野史郎のコメントだけがなぜか載っていない。別に深い意味はないのかもしれないが、せっかく佐野史郎がいるのに、「国宝」の感想を歌舞伎役者から聴きたいのと同じように、つげ作品の感想は佐野史郎から聴きたいではないか。佐野史郎の感想はいったいどこで聴けるんですか?

ラジオを聴いていたらある有名なパーソナリティーが「女性俳優」という珍妙な言葉を使っていて、さすがにそれは神経質すぎるだろうと思った。

「女優」という性別が含まれる言葉が肩書として使用されるのはおかしい。オフィシャルな肩書としては「俳優」であるべきである。しかし、別に「女優」という言葉が禁止語になっているわけではなく、「女性俳優」なんてまどろっこしい言いかたをわざわざするのなら、単に「女優」と言えばいい。ましてや、砕けた媒体であるならなおさらだ。


「女芸人」のことを「女性芸人」と言うのは、「女芸人」は「女」に蔑称的なニュアンスが出るから、これは「女性芸人」のほうが好ましい。しかし、「女」という言葉自体が蔑称なわけではなく、乱暴な言いかただから避けたほうがいいというほうがこれは理由になる気がする。「女芸人」は「女優」という言葉とは性質が違い、肩書に使われているケースはほぼ見ないが、これはただ、女性の芸人が増えてきたころに使われ出した流行り言葉のようなものだろう。(ついでに言うと、「芸人」という肩書にも違和感がある。だったら「俳優」は「役者」だ。)


これはほかの言葉についても思うことだが、フォーマルな言葉とカジュアルな言葉を一緒くたに考えているひとがかなり多くいるようにも感じられる。そんなものは統一する必要がないことで、フォーマルな場では折り目正しい言葉が求められるべきだが、カジュアルな場では多少は乱暴な言葉も許されるというのが私は常識だと思う。



「全日本獅子舞フェスティバル」の終演後には、このフェスティバルを主催する獅子博物館にも行ってみようと思っていた。会場である白岡市中央公民館から歩いて数分のところにその博物館はあるのだが、行ってみると、まるっきり普通の住宅の敷地のようなところを進んでいった奥に「獅子博物館」という看板が出されている。手前にあったお宅はおそらく館長のお住まいではないかと思うのだが、私設博物館にはよくあるように、住居を改造するところからこの博物館はどうやらスタートしている(注:推測です。)。受付にいらした高齢のご婦人がたはご家族だろうか。普段は一般700円だが、このフェスの日にかぎり、今日は500円で入場することができた。


博物館は2階建てになっているのだが、1階はもう獅子で埋めつくされている。展示というよりもとにかく置けるだけ置いてあるというふうで、一応、解説のようなパネルがあったりもするのだが、それを読める態勢を作るのは困難だ。人間が通れるスペースもわずかで、カバンをぶつけないように注意する必要がある。これは博物館というよりも、獅子のなかに埋もれる喜びを感じるための施設だと思ったほうがよさそうだ。いや、実際、とても楽しい気分になる。中華街の獅子舞や、川崎のイベントで観た韓国の獅子舞やインドネシアの獅子舞にも再会できたのだが、それぞれ、ただ置いてあるだけであっても、愛嬌があったり、奇妙な魅力、あるいは魔力を感じる。獅子舞はアジアの文化だ。

2階にあがってみると、こちらはすっきりとしていて、獅子は台の上に並べられ、小さいものなどはショーケースに陳列されていた。たぶん2階のように展示したいのだろうけど、1階はもう整理のしようがないのかもしれない。つぎつぎに増える獅子は1階に置かれていく(注:推測です。)。しかし、くり返すようだけれども、獅子に埋めつくされている1階には魅力がある。私設博物館というものは個人の異常な情熱の賜物だが、その情熱を視覚化したらこうなるという感じがする。

とはいえ、この管理は大変なものだろうと想像もできよう。余計な心配かもしれないが、私設博物館の限界に到達するのではということもいずれはあるだろうから、だとすれば、もしかすると、いいタイミングにここに訪れたのかもしれない。「獅子舞フェスティバル」が盛りあがることがそのときこそ切実に必要になってくるのではないかな。