日曜放送の「週刊さんまとマツコ」(TBS)で、永野プレゼンツ「テレビをもっと良くしよう討論会」という企画を2週にわたってやっていたのだが、それはさておき、そのなかの永野の提言のひとつに、業界おじさんの意識改革として「やたら鍛えるの禁止」というものがあった。すると、さんまが「コメディアンは筋肉隆々はあかんて、俺ら師匠たちはそういう教えなのよ。ズッコケが似合わないのよ。俺らはズッコケはよれよれで、細身がやるのが普通という」と話したのだが、筋骨隆々はあかんと言われれば、やはり、われわれは松本人志を思い浮かべないわけにはいかない。


細身でズッコケてみせるコメディアンといえば、さんま以前には萩本欽一と堺正章の存在が大きく、さんま以降の時代にはそもそもコメディアンが途絶えてしまったわけだが、強いてあげるならば、太田光は同じ道化像をおそらく共有しているだろう。テレビ司会者としてのさんまをお手本にするタレントはほかにもいるが、コメディアンとして考えれば、その系譜が見えるということである。

また別のときには、さんまはお笑いは腹式呼吸ではだめで、「アホ声」でなければいけないということもよく言っている。ここにもさんまが考える道化像が表れている。

「サンデージャポン」(TBS)に泉健太がリモート出演し、中道の分裂騒動について説明していたのを観たのだが、泉健太の肌感覚によると、中道に所属している議員たちには分裂と思っているひとはいないというので、私はちょっと驚いた。党をなくすという選択ではなく、統一会派を作り、1名残したのは「このプロジェクトは終わってませんよ」というメッセージを執行部は出したつもりだと泉健太は受け取っているようだ。つまり、あくまでも泉健太個人はそう思っているという話なのか。

 

太田光が小川淳也の説明(債務の支払いのために議員を1名残す)が正直なのではと訊くと、泉健太は正直なようで不充分かもしれないと答える。斎藤幸平が、今年の末には政党交付金がもらえるのだから、そのあとに解散のほうがよかったのではと訊くと、全員離党が今のタイミングなのかというのは党のなかでは今もくすぶっているというのだが、しかし、離党したから責任がなくなるわけではないということ、中道を残したことの意味を泉健太は訴える。

太田が「その説明、国民理解できると思いますか?」と訊くと、

泉「いやあ、正直もう、国会の会派は一緒だけど、党がばらばらっていうのは、これはほんとなかなか…、じゃあなんでやねんってみなさん思いますよ。」

この7か月の党の運営費はどうなっていたのかと杉村太蔵が質問すると、泉健太は、党員がいないからその管理費はいらない、党本部は立憲民主党の党本部を間借り、職員も公明党と立憲民主党から出向できてもらった、徐々に党を作るさなかにあったからほとんどは選挙の負債の返済だったということを説明した。それを聞いた杉村太蔵が「改めてよくそれで政権交代を目指せましたね。」と呆れ気味に言うと、政権交代を目指すことですごくジャンプをしたら大怪我をしたみたいなことだと例えていた。

 

しかし、泉健太は小川淳也と同じく、このやりとりを観るかぎりは正直な人物には感じられた。私はもしかしたら好意的に見すぎているかもしれないが、以前にもこのブログに書いたとおり、中道には(ちょっと疑いながらだけれども)それなりに期待していたのだ。ところが、初期の段階に立憲民主党がまるごと参加したことで、明らかにごりごりの左派もいるのにそれはおかしいだろうと思い始め、結果、大惨敗になったことでおかしいことだらけになってしまった。それを仕切りなおし、最初に期待した「中道」政党を改めて作りなおすというのならぜひやってもらいたいものだ。

「サンデージャポン」では、最後に今後のことを訊かれた泉健太は「選挙に勝てる政党を作るんじゃなく、国を運営できる政党を野党の側で作らなきゃいけないっていう思いが強いので、勝てばいいという考えかたにはやっぱり立たないわけですよね。」と話していた。これ自体は素晴らしい理念のように思えるが、逆にいえば、素晴らしい理念があるだけではどうにもならないということもわかったのだ。

 

「中道」はどうなるのか


中道の新代表が決まる

 

この情報をいったいどこで知ったのかは忘れてしまったが、「国際忍者学会大会」が小田原三の丸ホールで開催されることを知り、これは行ったほうがいいんじゃないかと、ぴんときた私は参加を申し込んだ。私は今まで特に忍者に関心があったわけではないが、私の関心の範疇である古典芸能や民俗芸能、映画や小説に関連するだろうとは思った。しかし、「忍者」はいいけれども、「国際」とはなんだろうか、「学会」とはなにか。


小田原三の丸ホールでは、この日は朝から総会があり、総会は会員のみが参加可なのだが、大会からは一般参加が可能だった。まずは当日のプログラムを記しておこう。

 

大会・開会の辞

自由発表「「神君伊賀越え」―忍者目線で見えてきた逃走作戦の全容―」 谷和幸(甲賀忍術研究会)

自由発表「甲賀流十四世 藤田西湖の晩年の門弟 斎藤聰伝」 早坂義文(古武道研究会明神館・甲賀武田忍法相伝家)

休憩(55分)

来賓挨拶

基調講演「小田原合戦―小田原城・石垣山城からみる戦国の終焉―」 諏訪間順(小田原城天守閣特別館長)

テーマ発表「風魔忍者の諸相と可能性―逸話・新資料の整理から「和のインテリジェンス」の発信へ―」 甚川浩志(野忍風魔忍術道場主宰・風魔一党指南役)

休憩(5分)

自由発表「初期忍びの概念とその後の変遷」 岩田明広(埼玉県平和資料館)

自由発表「間者の教訓―北条流兵学書を中心に」 中嶋英介(西安外国語大学・東北大学)

自由発表「『小説落第忍者乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』における忍者像」 香月仙空(二松学舎大学院)

引継ぎイベント 次回開催地のご案内

閉会の辞


細かい時刻を記しておくと、開会の辞は10時55分に始まり、閉会の辞は16時25分に終わった。5時間半にも及ぶ長丁場(1時間は休憩)を、私はただひたすら忍者の研究発表を聴いて過ごしていた。

それぞれの研究がいかなるものかを私が説明することは難しいが、歴史から地理から概念から、あるいは古武道から「忍たま乱太郎」の研究まで、ひとくちに忍者といってもさまざまな角度から語られる。今日一日で、忍者に対する私の解像度は飛躍的にあがったといっていい。「忍びの概念」について考える日が私にあるとは今まで思ってもみなかったが、喚起されるものは大いにあった。

持ち時間は基調講演のみが40分、ほかはそれぞれ30分だったが、質疑応答の時間も含まれていて、20分になると司会者が呼び鈴を鳴らし、急かすことになっていた。質疑応答になると、客席にも詳しいひとがごろごろいるという世界だ。私の知識では理解が難しい発表でも、質疑応答によって興味を惹かれるというものもあった。たとえば、最初の発表は「神君伊賀越え」がどのように行われたのかを細かく分析していくものだったが、質問者からは馬に乗って峠を超えることに疑問があがり、このひとは乗馬をするひとだったからその難しさは体験に基づいたものだったが、その時代にはじつは軽トラックが通れるくらいの道が整備されていたそうで、これなんかは質問がなければまるでイメージできなかった部分だ。


最後に、来年は熊本で開催されることが発表された。関東での開催はなかなかないだろうから、やはり、今年は貴重なチャンスだったのだ。





来賓挨拶 忍者議連の牧島かれん議員



このブログには何度も書いているとおり、私はエックスを見ないから彬子女王の炎上というのをあんまりよくわかっていなかったのだが、週刊誌を読む私は、「週刊文春」の青木るえかのテレビ評が「日曜美術館」について書いているのを読み、おおよそのことを把握した。

「今いちばん陰謀論が熱い皇室関連。「〇〇殿下は実は妃殿下の不義の子」みたいなのをまことしやかに語る大学教員とかいて他人事ながら心配になる。そこへもってきて先般の皇室典範改正で「麻生太郎が三笠宮がらみで暗躍して天皇の外戚になろうとしてる」説などが燃え盛り彬子女王に延焼して「伊藤穣一を通してエプスタイン氏の人脈!」とか言われ、「そんな彬子女王をゲストに出すNHK『日曜美術館』に抗議をする!」とかXで盛り上がっていた。」

 

その「日曜美術館」は東京都美術館で開催中の「大英博物館日本美術コレクション」を紹介する回だった。「週刊ポスト」にも 「彬子さまになぜ? 苛烈なバッシング」と題した記事があり、皇室記者なる人物が「あの番組で彬子さまが批判されるのは完全にとばっちりでしょう。彬子さまは英国留学中、大英博物館で5年間の学芸ボランティアを務め、同館の日本美術コレクションを研究した方です。その関係で番組に出演するのに何の違和感もない。マルチに活躍されているなか、改正皇室典範のタイミングが重なり目立ってしまったのでは」とコメントしている。

皇室史に詳しい小田部雄次という学者も「彬子さまは、改正を強く推進した麻生太郎・副総裁の姪であることなどから、改正皇室典範をめぐる批判に巻き込まれてしまったのでは」という見解だ。

いっぽう、彬子女王は「男系維持派の旗振り役」だとレッテル貼りもされていて、その根拠とされる過去の発言もあるようで、「週刊ポスト」の記事にはこの発言も書かれている。(とはいえ、彬子女王にとっては自身の将来に関わる前提が大きく変わってしまう問題なのだから、ひとりの人間として不安を感じるのは当たり前のことではないんだろうか。)

 

本田由紀の炎上もSNSでは大きく話題になっているようだが(「週刊新潮」には「「遺伝的要因…」彬子女王への投稿で大炎上「東大女性教授」のジキルとハイド」と題した記事もあった。)、左派の、しかも大学教員にこのような陰謀論が蔓延しているということなのだろうか。(だとしたら確かにアツい。)

陰謀論というのはマスコミ不信とセットであることが多く、エックスは見ないが週刊誌は読む私にはどちらに信頼できる情報が載っているかは一目瞭然だと思うのだが、エックスに溺れているみなさんには届かない話なのだろう。(アメブロに信頼できる情報があるかは知らないが。)

私の認識では週刊誌のなかでは「サンデー毎日」がもっともリベラル左派的なのだが、今週は発行がなかった(週刊誌と言いつつ、毎週発行されなくなっている。)。「サンデー毎日」は彬子女王がエッセイを不定期連載している雑誌でもあるのだが、来週以降、「サンデー毎日」がこの件を扱うのかどうかが私は気になっている。

「バカリゲム」(フジテレビ)というバカリズムがゲストとゲームをしながらトークをする番組があるのだが、狩野英孝がゲストの回を観ていたら、狩野英孝が子どもの頃の夏休みのある思い出を話していた。

狩野英孝の実家が宮城県では有名な神社であることはわりと知られているのではと思うが、やはり神社の子だから、お祭りの時期にはお囃子やお神楽の練習があったそうで、狩野はそれがすごくいやだったという。しかし、あるとき、狩野ら子どもたちがお囃子を演奏するその中心で踊っているお神楽を観て、子どもながらにその踊りがすごく華麗でかっこいいと思ったことがあったそうだ。どうやらそのお神楽は、毎年、誰かのお父さんがもちまわりで担当することになっているようなのだが、ところが、祭りのあとの打ち上げの場で話していてもそれが誰のお父さんだったのかわからない。不思議と、その本人は打ち上げの場にはいなかったそうなのである。じつは、その年は日本全体が米不足だった。五穀豊穣を祈るお神楽であるから、神様が米不足のために踊ってくれたのではということでみんなが納得したというエピソードだった。


この話を聴きながらちょっと余計な心配をしてしまったのだが、このブログにはよく書いているとおり、私は民俗芸能に興味があるからこの光景をイメージできるけれども、神楽を説明しないとわからない視聴者は多いんじゃないだろうか。お面をつけて踊っているから誰だかわからないのである。


民俗芸能をあちこち観てまわっていると、たしかに、小さい子どもがお囃子を演奏していたり、お面をつけて踊っていたりして、こっちは勝手にかわいらしいと思って観ているのだが、狩野英孝のように、彼ら子どもたちも本当はものすごくいやなのかもしれない。

そういえば、私はサッカーに興味がないからワールドカップの時期にも民俗芸能を観ていたのだが、そのとき、ひょっとこをやっていた男の子がどうも言うことを聞かないようで、最後は後ろを向いてしまったのだが、もしかしたらサッカーが観たかったのかもしれないと思ったことはあった。

「サッカーやってるのに、ぼく、なんでひょっとこなの?」

それがひょっとこの家に生まれた宿命だとしても、幼い子が理解するには長い時間がかかるに違いない。

最近の中島歩の異常な面白さはどうしたもんだろうか。「Tシャツが乾くまで」(TBS)がなにしろ大評判で、その番宣のためにあちこちに出演しているのだが、すべては7月12日放送の「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ)から始まったかのように思われる。私は中島歩が日芸出身であることを知っていたから、ついにきたかという感じで楽しみにしていたのだが、じつは中島歩は学生の頃から「爆笑問題カーボーイ」のリスナーで、爆笑問題の会話から日芸の存在を知ったということはここで初めて知った。

日芸の落研出身でもある中島歩は、ここでさらに「ラジオビバリー昼ズ」(ニッポン放送)について話し始める。中島歩は「花子とアン」に出演したときに松本明子と共演し、その縁もあって、その頃に「ビバリー昼ズ」に一度出演しているのだが、それからぜんぜん呼ばれなくなってしまった。その後、劇団ひとり監督の「浅草キッド」に出演した際に、さすがにここで呼ばれるだろうと思っていたら呼ばれず、自らニッポン放送にメールしたら番組で読まれたのだが、高田文夫先生に「知らねえよ、お前なんか!」と言われたという話だった(改めて説明しておくと、日芸の落研出身の中島歩は高田文夫の直属の後輩にあたる。)。この「日曜サンデー」でしゃべっていたことがニッポン放送にも届き、中島歩はついに、10年ぶりに「ビバリー昼ズ」に呼ばれるという展開になるのである。

私が普段からよく聴いているラジオ番組に立て続けに出演した中島歩は、私からすると、中島歩がこっちにきてくれたという感覚にさせられる。「ビバリー昼ズ」の出演は8月31日だったのだが、このときに新たにわかったことは、中島歩は「タイガー&ドラゴン」(TBS)を観て落語を知り、同時に高田文夫を認識したということだ。のちに「不適切にもほどがある!」に出演する中島歩は、同じく日芸の宮藤官九郎とも縁があったというわけで、これもまたパズルのピースがうまくはまっていくようだった。

その翌週には「中島歩のオールナイトニッポン0」が放送され、第一声は「もうトントン拍子ですよね」という言葉から始まった。


私は「ビバリー昼ズ」の熱心なリスナーだから、中島歩が10年前に出演したことを覚えていた。中島歩が日芸の落研出身だと私が認識したのはそのときだったと思うのだが、高田先生の記憶には残らなかったかもしれないが、いや、落語ファンならば、落研出身の俳優がいると知ったら記憶に残っても不思議はないだろう。おまけに、同時期に他大学の落研にいた若手落語家たちに中島歩の名前はときどき話題にされてもいたのである。だから、高田先生に「知らねえよ」と言われたメールが読まれたときも、私はそれを聴いていたことを記憶している。


もしかすると、私は中島歩が面白いことを先に知っていたのかもしれないが、それはそれとして、俳優としての中島歩は言うまでもなくインパクトを残す存在である。その後、ドラマや映画で観る中島歩のイメージとは、今まではどうもうまく重なっていなかったのだという気がしている。

私は「あんぱん」というドラマを特に熱心に観ていたのだが、あれは「土スタ」だったか、主演の今田美桜と北村匠海が出演していたところに中島歩のコメントがVTRで流れたのだが、とぼけた発言をする中島歩に役柄とのギャップを感じる空気に会場がなったときに、中島歩は落研出身なんだよと私は思っていた。(そして、今は「Tシャツが乾くまで」を Netflix で遅れて観ている私は、中島歩を追いかけているとネタバレを聞いてしまいそうなので困っている。)

一般的にはあまり知られていないことだろうが、近年は、グレート義太夫はボーイズ・バラエティー協会に所属し、浅草東洋館の舞台を中心にギター漫談をやっていた。たけし軍団の初期メンバー10人のなかでは、ただひとり演芸の舞台に立ち、演芸人をまっとうしたということになるだろう。

グレート義太夫のギター漫談は私は何度も観たことがあり、東洋館よりももっと狭い会場でも観ているのだが、しかし、私がグレート義太夫を観た記憶のなかでもっとも鮮烈に思い出されるのは、2015年の「したまちコメディ映画祭」で行われた「ビートたけしリスペクトライブ」である。会場は浅草公会堂だった。ホフディランが「四谷三丁目」を演奏する際にゲストにグレート義太夫を呼び入れ、登場したその瞬間に沸きあがった大歓声が忘れられないのだ。(このとき、サポートメンバーには熱烈なたけしファンであるサニーデイ・サービスの田中貴が参加していて、義太夫の登場も田中貴のアイデアだったようだ。もちろん、客席も熱烈なたけしファンだらけの会場だった。)


最初に「演芸人をまっとうした」と書いたが、グレート義太夫の根っこはやはりミュージシャンだったのではないだろうか。今回、「浅草キッド」の制作に義太夫が携わっていたことも報じられていたのだが、作曲がビートたけし名義の曲はほかにもいくつもあって、それらもおそらく義太夫のサポートなくしては産み出されなかったものだろう(「四谷三丁目」もビートたけし作曲の名曲のひとつだ。)。義太夫の音楽の仕事がなにかまとまったかたちで残されなかったことはやや残念に思う。


一般的に知られていない面といえば、蜷川幸雄の舞台にたくさん出演していたこともそうだろう。私はそれら蜷川作品はまったく観ていないのだが、山崎哲が演出した松尾伴内とのふたり芝居を紀伊國屋サザンシアターで観ていて、検索してみると1999年の上演だったから、蜷川作品に出るよりもこっちのほうが先だったのだろう。蜷川作品には井手らっきょもよく出ていて、井手らっきょは蜷川幸雄が監督した「蛇にピアス」にも出演しているのだが、義太夫は映像作品にはこれといったものに出演していない。唯一、義太夫が大活躍している映画があり、それは言うまでもなく「菊次郎の夏」である。「菊次郎の夏」も1999年公開だから、蜷川はこの映画を観たからなのか、俳優としてのグレート義太夫に(井手らっきょにも)ただひとり反応した演出家が蜷川幸雄だったということにもなるのかもしれない。


(もちろん、子どもの頃からテレビで観ていたグレート義太夫およびたけし軍団については語り尽くせないものがある。)

楽しみにしていた「MXグランプリ」が今年も開催された。去年も書いたが、「MXグランプリ」というのは TOKYO MX が主催する異端芸人を対象としたお笑いの賞レースで、去年から始まり、今年が2回目になる。決勝ラウンドがゴールデンタイムに2時間生放送されたのは去年と一緒だが、去年は4か月にわたって開催された予選大会が、今年は2か月だけになってしまった。

決勝進出者は5組、去年は各月の優勝者4組に敗者復活1組を加えたが、今年は各月の優勝者2組に追加合格3組を加えるというかたちだった。Aブロックの優勝はふとっちょ☆カウボーイ、Bブロックの優勝は虹の黄昏(この2組はどちらも2年連続の決勝進出となった。)、そこに追加合格として、歩子、大嶋の一番弟子、イチキップリンが選ばれた。去年は20組により予選が争われたが、今年は12組しか異端芸人を観られなかったのは少し寂しいところではあった。


今年の決勝ラウンドは司会がケンドーコバヤシと松田好花、審査員はハリウッドザコシショウ、くっきー!、藤本敏史、徳井義実、野田クリスタルという5名。マヂカルラブリー村上も応援席のリポーターとして出演していた。客席にはそれぞれの応援団と、この番組のエンディング曲を歌う「のむシリカ公式アイドル」のネクスタリアが座り、ネクスタリアの真ん中には初代チャンピオンの池城どんぐしが混じっている。

今年もまずはネタの順番を決める椅子取りゲームから始まるのだが、同じ椅子に全員が座ろうとしてしまい椅子取りゲームにならず、やりなおすと、今度は全員がセットから出て行ってしまい、ケンコバが「第2回MXグランプリ、中止します!」と叫んだ。


三度目の椅子取りゲームにより順番が決まり、トップは大嶋の一番弟子になった。決勝進出者5組のなかで、私は大嶋の一番弟子だけが今回の予選で初めて知ったひとだったが、さっそく、200点台の低得点を叩き出す。2組目のイチキップリンはアナゴさんのものまねで知られ、ここでもオープニングはアナゴさんで登場したが、ネタでは別のキャラクターになった。ネタをやっている最中にも審査員たちから「キャラはいいのにボケが弱い」という声が出る。3組目のふとっちょ☆カウボーイは前の2組に比べると初めて理解しやすいネタに思えたが、1位にはなったものの、そこまで差は開かなかった。くっきーは「全員、思ってたんとちゃうねんなあ」と本音を漏らす。大嶋の一番弟子はともかく、イチキップリンもふとっちょ☆カウボーイもなぜか期待されているネタをやらないのだ。

それに対し、期待どおりのネタをやってみせたのは4組目の虹の黄昏だった。コントにもなっていないようなめちゃくちゃなコントで暴れまくり、ここでようやく450点という高得点を出した。最後の歩子もおなじみのネタをやらないのだが、ネタのクオリティは高く、やはり、400点台の高得点を出す。


しかし、ネタだけでは決まらないのが「MXグランプリ」の特色だ。後半には「人間力ブロック」が用意され、昨年と同じく「異端芸人から感謝の手紙」のコーナーがあった。ここだけはまじめに手紙を読むことが要求され、大嶋の一番弟子は亡き父に、虹の黄昏の野沢ダイブ禁止は応援してくれる家族に宛てた手紙を読む。歩子はお世話になっているくっきーに宛てた手紙を読み、読んだ歩子も読まれたくっきーも涙ぐんでしまった。イチキップリンの応援席にはパンサー尾形ら「尾形軍団」が座っていたのだが、イチキップリンは尾形に宛てた手紙を読んだ。そのあと、コメントをふられた尾形がコロナの頃には安い珉珉に連れていったという話をすると、ケンコバが「お前、珉珉のことなんや思ってんねん!」となぜかいきなり激昂し、なかなか怒りがおさまらない場面もあった。

合計点により、決勝ステージは歩子と虹の黄昏の対決になった。歩子は2本目に強いネタを残していたのだが、場の勢いは虹の黄昏がつかんでいるように見えた。最後もネタだけでは決まらず、どれだけ優勝したいのかその思いを叫ぶコーナーがある。「インドの人口くらい!」と叫んだ歩子はそのまましゃがみこんでしまい、なにかと思えば、立ちくらみを起こしたのだった。みんなで歩子にのむシリカを飲ませ、のむシリカがスポンサーで本当によかったと思えた瞬間だった。優勝は合議により、虹の黄昏に決定した。


「MXグランプリ」


「MXグランプリ」決勝(1)


「MXグランプリ」決勝(2)

日曜早朝の「桂文珍の演芸図鑑」(NHK)を観ていたら、文珍がフィジカルAIのお坊さんが出てくる新作落語をやっていた。先鋭的な笑いをやるわけではなく、現代の最新の題材を大衆的な笑いにしていて、さすがは文珍だと思わされる。この種の笑いができる落語家は意外と少なく、東京では志の輔がそのタイプに思えるが、テーマ性を前面に出す志の輔に対し、文珍は単に好奇心で面白がっているような感じがする。要するに、流行に強いのである。


漫才ブームの頃にいちばん売れていた落語家はおそらく小朝で、「笑ってる場合ですよ!」や初期の「オレたちひょうきん族」にも出演していたのだが、私の年齢では小朝の人気はリアルタイムでは知らず、むしろその後は、さんまを別とすれば、文珍をテレビでよく観ていた印象がある。その時代、たけしや紳助とはどちらが早かっただろうか、芸人が情報番組の司会をする先駆けだった文珍は知的でポップな存在だった。


先日、「中川家 ザ・ラジオショー」(ニッポン放送)のゲストに粗品が出演し、吉本のベテランたちをクソミソに批評していたのだが、落語家では、小枝や八方の悪口は言っても、粗品は文珍の悪口は言わなかった。粗品は小枝や八方のことは馬鹿にしていても、文珍のことは馬鹿にしてないんだろう。

「週刊文春」の三宅香帆の連載コラムから私は「ミリしら」という言葉を初めて知ったのだが、たとえば、どう使うのかというと、「私、ちいかわはミリしらなんだけど」というふうに、1ミリも知らないことを「ミリしら」というのだそうである。

この夏はとにかく、映画「ちいかわ」が話題を席巻していた。興行収入百億を超えたというニュースも目にしたが、その評判を知り、まさに私も「ミリしら」な状態から映画館に駆けつけたクチであった。

 

私はエックスをほとんど見ないから「ちいかわ」がエックス発のマンガだということも知らず、エックスでどれだけ評判になっているかもわからなかったのだが、週刊誌を読む私は「サンデー毎日」の高橋源一郎の連載コラムが映画が公開されてすぐに「ちいかわ」について書いていたことを覚えていた。この時点ですでに、内容が大変な話題になっているということが書かれていて、その理由を「それもこれも、一見「かわいいだけ」に思われがちな「ちいかわ」なのに、映画が正反対の内容に見えたからだった。」といって、高橋源一郎はこの映画を大岡昇平の「野火」に似ていると書いていた。

 

週刊誌では次第にいろんなひとたちが「ちいかわ」について語るようになっていったのだが、高橋源一郎に比べると、「女性セブン」の斎藤幸平の連載コラムは辛辣なものだった。

「まずは、映画を見た結論から。正直、めちゃくちゃつまらなかった。娘は楽しんでいたが、私の時間を返してほしい。そうSNSでつぶやいたら、また炎上した。批判や異論を許さない最近のSNSの雰囲気はどうかしている。(略)結局、かわいいキャラクターが残酷なことをしたり、悩んだりしているというギャップのある描写が生み出す効果を、SNSの感想が誇張している印象を受けた。三宅香帆『考察する若者たち』で書いているように、世の中は考察ブームだ。批評とは違い、「作者の意図」という「正解」を見つけて、快感や承認といった「報酬」が与えられるゲームだ。映画『ちいかわ』はその典型だろう。」

 

では、三宅香帆は映画についてなんと書いていただろうか。以下、冒頭と同じ「週刊文春」のコラムから。

「映画ちいかわの何がすごいって、「ちいかわミリしら勢(=ちいかわについて何も知識がなかった人たち)」も、映画に没入できることだ。その証拠に……この映画、アニメのキャラクターの名前をまったく知らなくても問題ないように作られているのだ。(略)私たち観客は、とくにキャラクターの性格や名前や設定を知らなくても、ぼーっと見てるだけで作品世界に入ることができる。「ちいかわミリしら勢」にとっても、映画を見ればちいかわ世界に没入できるようになっている。」

 

「週刊文春」では、みうらじゅんの連載コラムでも「ちいかわ」のことが何週も連続して書かれていた。みうらじゅんのこの連載では人魚像ハンティングの旅がずっと書かれているのだが、今、みうらじゅんは人魚に関心があり、人魚への関心から「映画ちいかわ 人魚の島のひみつ」というタイトルに反応したレアなケースである。当然、映画を観ただけでは終わらず、みうらじゅんはグッズも集め出し、セブンイレブンとコラボした「赤魚の煮付」も食べていた。映画そのものについては「大変面白かったがセイレーンの身になると複雑な心境。」という短い感想が記されてあるだけだった。

みうらじゅんもおそらく「ちいかわミリしら勢」ということになるだろうが、ひょっとすると、多くの観客は意外とこれに近い反応をしてるんじゃないかと、同じく「ちいかわミリしら勢」の私は思った。グッズやコラボ商品の魅力、つまり、キャラクターに魅力があることが大前提だと思うのだが、物語の考察のほうが知的な行為に感じられるからといって、それをまず認めずに物語を考察してもなんだか画竜点睛を欠くことになるんじゃないか。