フジテレビのものまね番組は長らく今田耕司・東野幸治が司会を務めていたが、2年前に東野幸治が司会を卒業し、現在は今田耕司のほかにスペシャルMCを迎えるスタイルになっている。今まで、剛力彩芽、中山秀征らが登場し、先日放送された「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」では若槻千夏がスペシャルMCを務めた。ほかに霜降り明星がコーナー司会を担当するのだが、なぜか霜降り明星だけがこの番組伝統の赤いジャケットを着ている。


今回、冒頭を飾った「ドリームカバー」という新企画は往年の「ものまね王座決定戦」を感じさせる好ましい企画ではあった。誰もが知る名曲をもしあのひとがカバーしたらというものなのだが、松浦航大の平井堅「倍倍FIGHT!」(CANDY TUNE)、藤川なお美の工藤静香「Tiger」(HANA)、よよよちゃんのAdo「俺ら東京さいぐだ」(吉幾三)、ダブルネームのBOØWY「UFO」(ピンク・レディー)、Mr.シャチホコの和田アキ子「好きすぎて滅!」(M!LK)、レッツゴーよしまさの美川憲一「睡蓮花」(湘南乃風)など、いずれも秀作が連発された(藤川なお美が出演したのはかなりひさしぶりだったのではないだろうか。かつては、くりぃむしちゅーと3人でよく出演していた。)。このコーナーの最後はミラクルひかるが高市早苗のものまねで「Rusty Nail」(X JAPAN)を歌ったのだが、この曲はじつは高市早苗本人が2016年のフジテレビの正月番組で実際に歌っていて、ものまねの前にその映像も少し流された。今田耕司が指摘していたとおり、本人が歌っていない曲をカバーするというこのコーナーの趣旨からはひとりだけ外れているのだが、そこを軽々と超えていくのがミラクルひかるの芸の迫力だ。

落差を笑うものまねだが、しかし、かつての「ものまね王座決定戦」ならば、このくらいのものまねは当たり前に行われていたことはオールドものまねファンには説明するまでもないだろう(たとえば、栗田貫一がマイケル・ジャクソンに扮し、五木ひろし、森進一、細川たかしのものまねで「BAD」を歌ったものなどがすぐに思い出される。)。かつての「ものまね王座決定戦」はトーナメント形式の対戦があるだけで、そのなかでさまざまなイノベーションが行われた。いわば、自由形だったのだが、いつの頃からかわざわざこのようなコーナーが設けられる種目別になっている。これではやはり不自由なのである。



あいかわらずの民俗芸能通いを続けているのだが、今回は鶴見の田祭りである。横浜市内に住んでいながら、横浜市内の民俗芸能を訪ねるのはこれが初めてになる。田祭りが行われる鶴見神社の近くを歩くことはあったのだが(近くの図書館に行くことがある。)、鶴見神社の境内には一歩も入ったことはなく、横浜最古の神社であることも今回調べるまで知らなかった。鶴見神社のホームページを見てみると、2月に観た徳丸の田遊びは鶴見から伝えられたということが書いてあり、だったらなおさらこれは観ておかなければならないと思った。

田祭り祭典が始まると告知されていた16時半に鶴見神社に到着すると、境内にはすでに舞台が作られていて、徳丸の田遊びのものよりもかなり大きい。そういえば、ホームページには田遊びが始まる前にさまざまな催し、吹奏楽部やダンス、バンドやラップのグループが出たりもしていたようだが、この舞台でやっていたってことなのか。それだけでも徳丸の田遊びの厳粛な雰囲気とはだいぶ違うようだ。舞台の前後にはパイプ椅子が並べられ、観覧席が作られている。
奥にある拝殿のほうにも行ってみると、外からは気がつかなかったが、この神社はけっこう広いのだ。境内には貝塚が見つかり、横浜市の史跡に指定されている。拝殿の脇には小ぶりの鳥居がいくつも並んでいて、そこには三島由紀夫と森田必勝が祀られていた。

一応、16時半から田祭り祭典が始まると告知されていたが、徳丸と同様、演者のお祓いなどがあり、なかなか始まらない。寒くもなってきて、かなり待たされることを覚悟し始めるが、意外と待たされず、17時を過ぎたら舞台に動きが出る。まずは来賓のあいさつから始まり、それから行われるのは「蟇目の儀」というもので、舞台角に取り付けられた的に矢を放つ。悪魔祓いの儀式だそうだが、矢が外れて飛んでくるかもしれないというので、的の後ろのほうに立って観ていたわれわれは安全な位置に移動することになった。まあ、結果、矢はしっかりと的に命中したのだけれども、反対側の角にある的にも同じように矢が放たれ、こちらの矢を放つ役のおじさんはだいぶ緊張していたようだった。
それが終わると、今度は白装束の演者たちがぞろぞろとやってきて、舞台にあがっていく。いよいよ「神寿歌」が始まる。徳丸の田遊びは拝殿に向かって演じていたから、ここでも拝殿の側が正面だろうと予想していたら、拝殿からは横向きを正面にして演じられた。よく見ると、取材のカメラがそちらに陣取っていたから注意していればわかったはずで、まだ混んでもいなかったから、そちらに移動し、正面から観ることにする。
徳丸の田遊びと同じように、歌を歌いながら鍬を模した道具などを使って稲作の作業を演じていくのだが、しかし、鶴見は徳丸よりもどうも格調に欠けるというか、率直に、徳丸のほうが歌も芸もしっかりしていた感じがする。ホームページによると、徳丸の田遊びは鶴見から伝えられたようだが、鶴見の田祭りは明治維新後にいったん途絶え、その後、研究が重ねられ、昭和62年に復活させたものだというから、復活させてからはまだ歴史が浅い(そうはいっても40年弱だが)。途絶えていたものを復活させた民俗芸能はおそらくほかにもたくさんあるのだろうが、そのとき、なにをもってして伝承とするのだろうかというのは不思議に思うところではある。

先に書いたとおり、私はこの神社に早い時間から待っていたわけだが、そのあいだ、小学生の子らが多く出入りしていて、18時から金が撒かれるらしいとかなんとか変な噂話をしているのが聞こえてきた。いやな予感はしたのだが、やはり、その時間になると馬鹿な子が集まってきてしまい、子どもらが舞台の正面を埋め尽くした。私は少し後ろから観ていたからなにが起きていたのかよくわからなかったが、紙吹雪かなにかを撒いているように見えたが、それを連中は奪い合うようにして群がる。金は撒いてないんじゃないかと思うのだが、こういう祭りのことだから、私は半信半疑になった。そのあともずっと、正面は意地汚い子どもらに占領されてしまい、うるせえのなんの。今回、都市部で民俗芸能を観ることが初めてだったが、都会のガキにはこういう場では厳粛にするもんだという前提がもう通じないんだなと思った。
「神寿歌」のあとには「豊年祝」というのがあり、最後はおかめとひょっとこが現れ、いつの間に装着したのか、気がつくと、ひょっとこは大きな男性器をつけて踊っている。このおかめとひょっとこもなにかを撒き始め、意地汚い子どもらが争って手を伸ばしていた。それが終わると「直会」というのか、演者たちが舞台の上で料理を食べるという儀式があった。そのあとには餅撒きがあり、やけにいろんなものを撒く祭りなのだが、ここの餅撒きは餅だけでなく、市販のお菓子を箱ごと投げたりしている。どの段階でそうなったのか、かなり現代化しているのだ。

この田祭りが行われている同じ時間に、街では神輿パレードも行われていた。それが始まる前に商店街に神輿とその担ぎ手たちが集まっているのを目にしたが、田祭りが終わって、神社から通りのほうに出ていくと、神輿が神社に戻ってくるところに出くわすことになった。4基の神輿が連続してやってくる通りはひとでごった返し、威勢のいい掛け声が響き、じつに活気がある。2番目にやってきた神輿は民謡に合わせて担ぎ、神輿の先頭にはマイクを持った男がいて、民謡はこの場で歌われていた。これら神輿は鶴見神社の境内に向かっていくのだろうか、そこまでは見届けず、私はこの道路にとどまり、力強く踊るように揺れる4基の神輿を見送った。
















ザ・ぼんちが「うたコン」(NHK)に出演するというので楽しみにしていたのだが、これが想像以上にとてもよかった。この日は昭和歌謡特集ということで、野口五郎とISSAが歌う「ブルー・シャトウ」から始まったのだが、この番組は歌っている歌手の後ろに席が作られ、ほかの出演者たちはそこに座るようになっている。出演者たちが昭和歌謡の名曲(自身の持ち歌の場合もある)を入れ替わり立ち替わり歌うのだが、そのあいだ、歌わない出演者たちもずっとステージ上にいて、画面に映り続けている。歌手たちのなかにぼんちのふたりが混じっているすがたがもう可笑しいのだが、手拍子をしたり、からだを揺らしたり、くちずさんだり、この出演を満喫している感じがすごくいい。そして、ぼんちの出番になると、歌うのはもちろん「恋のぼんちシート」だ。生放送でもあり、どうもおぼつかない箇所もあったが(イヤモニはつけていないようだった。)、漫才のネタをもとにしている部分はさすがにばっちり決めてみせる。ほかの歌い手には絶対に出せない魅力という意味では、おさむが「ポチ!」と叫ぶところはもう最高としか言いようがないのだ。


「恋のぼんちシート」は1981年のヒット曲。作詞作曲は近田春夫。タイトルは同じく近田春夫が作詞したジューシィ・フルーツの「恋はベンチシート」をもじったもので、もじったほうが本家よりも売れてしまった。この当時、「ビートたけしのオールナイトニッポン」が「恋のぼんちシート」は Darts の「Daddy Cool」の盗作だと指摘し、近田春夫がそれをあっさりと認めてしまうという事件もあった。(以上のことを、私は小林信彦「笑学百科」を読んで知った。)

「恋のぼんちシート」がヒットしたときには私は幼かったから、はっきりとした記憶はないのだが、この曲は子どもの頃から知ってはいた気がする。しかし、当時のぼんちは「ザ・ベストテン」などにも出演していたのだが、ぼんちが歌っているすがたは懐かしの映像のようなかたちで観ることはあるものの、リアルタイムではもしかすると私は観ていないのかもしれない(だから、この「うたコン」で初めて観た可能性が高く、その興奮もあった。)。


ザ・ぼんちの漫才も、漫才ブームの当時に私はリアルタイムで観たことがあるのかはわからない。はっきりと認識するようになったのは、漫才コンビが解体されたあとの「オレたちひょうきん族」である。「ひょうきん族」では、ぼんちおさむは西川のりおとコンビのようにして、狩人の「あずさ2号」を歌うというお決まりのギャグをやっていた(いや、歌うようで歌わないのだが、これは説明のしようがない。)。「おさむちゃんで〜す!」という自己紹介ギャグもどの時点で生まれたものなのか、「ひょうきん族」ではさかんにやっていた記憶があるが、いっぽう、里見まさとは「ひょうきん族」は初期の頃に出ていただけで、うなずきトリオですらなく、子どもだった私にとっては極めて影が薄かった。(「ひょうきんベストテン」で、ぼんちのふたりでピンク・レディーをやったことがなかっただろうか?)

コンビ解散後、ぼんちおさむは「はぐれ刑事純情派」など俳優としての活動も増えることになるのだが、「ものまね王座決定戦」にも出ていたことを私はよく覚えている。じつは洋モノのものまねが上手く、歌が上手いのだ(伊達にヒット曲を出したわけではない。)。その頃、里見まさとは亀山房代と新たなコンビを組み、私はそれをテレビの演芸番組で何度か観たことがある程度だが、ザ・ぼんちとは違って派手なところがまったくない、とても品のいい漫才をやっていた記憶がある。

昨年の「THE SECOND」ファイナリストに残る活躍から、今年、ザ・ぼんちは「上方漫才大賞」の大賞を45年ぶりに受賞することとなった。二度目の大賞受賞自体はけして珍しくはないようだが、45年ぶりというこのブランクは簡単に破られるものではないだろう。さらに、里見まさとは亀山房代とのコンビでも大賞を受賞している。別のコンビで大賞に選ばれるというのも、データを見るかぎりでは前代未聞の快挙だ。



東戸塚のブックオフもついに閉店することになってしまった。閉店の知らせはやはりブックオフからのメールで知ったのだが、ここはわりとよく利用していた店だったから困ったなという気持ちにはなった。閉店するのは東口にある店だが、東戸塚にはもう1店、駅から南側に位置するオリンピック内に大きい店舗(スーパーバザー)があって、近い距離にブックオフが2店あることに東戸塚の価値があったのだが、1店だけになるのならば、私にとってはもう東戸塚は用のない街になってしまうだろう。

東戸塚店は5月17日に閉店する。例のごとく、閉店セールが始まり、この日の段階では、本、CD、DVDが半額になっていた。しかし、このブログに以前書いたとおり、平沼店、日吉本町店が閉店するときにはこのくらいの時期にはもう70パーセントオフのセールをやっていたから、半額程度ではまだまだしみったれの閉店セールであることを私は知っているのだが、平沼店は閉店の日が近づくと1点50円にまで値下げしていたから、東戸塚店もおそらくこれからさらに値下げされていくのだろう。近所に住んでいればいくらでも通いたいのだが、はたして、わざわざ電車に乗って再訪するほどの価値がある本が売れ残っているものかどうか。
この店はアナログレコードもたくさん扱っていたのだが、アナログレコードは半額にはなっていなかった(これから閉店までに安くなるのかはわからない。)。これらのレコードは金になるから無理に売らずによその店に持っていこうという腹づもりなのか。そして、この店はトレーディングカードを多く扱っていた店でもある。ある時期から店内にはカードの遊び場が設けられ、そのような店舗はほかにいくつもあるのだが、子どもの溜まり場になってしまい、私のように本しか買わない客にとってはじつにうっとうしい店に成り下がったものだと思っていた。私はあるとき、幼い子どもがトレーディングカードを買っていく場面を目撃したことがあるが、なけなしの小遣いを握りしめ、本当はただの紙切れでしかないカードの束をレジに持っていくのである。本当はただの紙切れでしかないよ、紙切れでしかないんだよと、私が念じても幼子はそのカードに目を輝かせている。私は涙が止まらなくなった。
本を売ることをあきらめた時点で、本屋は終わりである。本を売ることをあきらめたブックオフがつぶれていくのはしかたがないが、ブックオフのせいでつぶれていった本屋たちはそれでは報われないだろう。



先週の土曜日に「野毛大道芸」に行ってきたばかりだが、今度は「高円寺びっくり大道芸」に行ってきた。私は横浜市に住んでいるから、「野毛大道芸」や、あるいは同じ神奈川県内の「あつぎ国際大道芸」にはよく行っているのだが、「高円寺びっくり大道芸」には今まで行ったことがなかった。出演するパフォーマーはだいたいどこも似たような顔ぶれではあるのだが、先週もちょっと書いたが、「野毛大道芸」はかつての時代よりもおとなしくなってしまっているような印象を私は受けていて、それよりもはるかに活気がある「あつぎ国際大道芸」のほうをここ数年は楽しみにするようになっていた。ところが、去年は雨降りになったから(開催はしていたようなのだが)行くのをやめてしまい、ならば、どこかで埋め合わせをしなければというわけでもないのだが、高円寺に行ってみようかと初めて思った。


音楽フェスと同じように、タイムテーブルを見ながらどこをどうまわって誰を観るかという計画をいつも立てるのだが、高円寺は私にとってはなじみのない街だから、移動する際の距離感がどうもうまくつかめない。会場はかなり広範囲にわたっているようだ。考えてわかるものではなし、まずは北口広場の FUNNY BONES を観たかったから、その時間に合わせて高円寺に向かうことにした。もうだいぶベテランになるのではと思う FUNNY BONES を私が初めて観たのは「野毛大道芸」(あるいは「ヨコハマ大道芸」)だったはずだが、それ以前に「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京)に出演しているのを観たことがある。イギリス人と日本人のコンビ。ジャグリングやパントマイム、マジックなど、いろんなネタを持ってるのだが、すべてにおいてイギリス式のいたずら精神とでもいうべきか、その名のとおり、ファニーが溢れている好きなパフォーマーだ。出演者の持ち時間は普通は30分なのだが、FUNNY BONES には1時間が与えられていて、運営側からの信頼度だろうか。しかし、私は別のパフォーマーも観たいと思っていたから、FUNNY BONES は前半30分だけしか観なかった。前半は小ネタの連発、あとに大ネタを用意していることはわかっているから惜しかったのだが、FUNNY BONES はよそでもまた観る機会はあるだろう。

南口に移動すると、大通りを封鎖して会場にしてある。GABEZというパントマイムのコンビに興味があったのだが、東京オリンピックの開会式でが〜まるちょばらと一緒にピクトグラムを演じていたのがこのコンビ。吉本興業に所属。サイレントコメディを演じる。


続いて、そのすぐ隣りの会場ではチャラン・ポ・ランタンのパフォーマンスが始まった。チャラン・ポ・ランタンはいったいいつから大道芸をやっているのだろうか、私がチャラン・ポ・ランタンを大道芸として初めて観たのは「あつぎ国際大道芸」だったが、すでに名の知れたミュージシャンが普通に大道芸に出ていること自体にまずびっくりしてしまった。都内の大道芸はノーチェックだったから、高円寺や三軒茶屋の大道芸に出ていることをそれまで知らなかったのだが、去年は厚木に出なかったチャラン・ポ・ランタンを観ておきたいと思ったのも高円寺に行ってみたくなった動機のひとつだ。大道芸では小春のアコーディオンとももの歌、たったふたりだけでステージをこなす。持ち歌だけでなく、「お祭りマンボ」などの歌謡曲も歌い、歌の合間にはボーイズ芸的な掛け合いもありつつ、ちょっと今日はぼやきが多いとも思ったが、最後は「愛の讃歌」を歌いながら、ももが虫取り網をもって投げ銭を集めてまわるのが恒例になっている。


GABEZがやっていた会場では、今度は大駱駝艦のパフォーマンスが始まった。大駱駝艦は厚木でもよく観ているのだが、今日は少人数のこじんまりした編成のようだ。まずは前身に金粉を塗った女性2名の踊りから始まる。中盤になると全身が煤で汚れたような男の踊り手が現れ、あたまからはぷすぷすと煙が出ている。全身銀粉の男も登場し、最後は火吹きの芸の連発に歓声があがった。こういう炎を使った芸は、大道芸のイベントによっては禁止しているところもあるはずだ。野毛にも過去には暗黒舞踏のパフォーマーが出演していたのだが、最近は出なくなってしまった。大駱駝艦のギャラリーには外国人のすがたも目立った。

この大通りにある会場を行ったりきたりするだけになったが、チャラン・ポ・ランタンが出ていた会場に戻ると、今度はソランポ・ソランのパフォーマンスが始まる。初めて観るこのパフォーマーは男女コンビ、男性はジャグラー、赤いワンピースの小柄の女性はエアリアルという空中演技をやってみせる。チャラン・ポ・ランタンのときにも人間を吊りあげるための大仕掛けが設置されたままになっていた。


最後は北口広場で、チャラン・ポ・ランタンのパフォーマンスをもう一度観て、とても満足したのだが、しかし、「高円寺びっくり大道芸」の全貌はまだつかめず、今日一回だけではほんの一部分しか体験できなかったのではという感じではなった。大道芸を観ることの重要性も私には確信のようにしてあるのだが、もしかすると、私は高円寺にも毎年通わなければならないのかもしれない。


チャラン・ポ・ランタン




大駱駝艦

FUNNY BONES

GABEZ

ソランポ・ソラン


フレディーノ

セクシーDAVINCI

大駱駝艦

チャラン・ポ・ランタン





伊勢原の比々多神社の例大祭に行ってきた。この比々多神社には2月の節分追儺祭に行って以来、その日はバスに乗り間違えるという大失敗をして、どこだかわからないバス停から歩いてなんとかたどり着いたのだが、今度は二度目だから迷うことなくたどり着く。12時50分から始まる神幸祭には少し遅れてしまったのだが、向かっていると神社の方角からはすでにお囃子が聴こえ、到着したときにはちょうど神輿の担ぎ手たちが威勢のいい声をあげながら境内に飛び込んでいくところだった。
比々多神社はけして大きな神社ではなく、狭い境内には露店が並びにぎやかだ。見物客もすでにたくさんいて、活気がある。神輿の巡行が始まるのだが、その行列に参加するひとたちが順番に紹介され、名前が呼ばれるたびにみんなが歓声があげて盛りあげてみせると、自治会の役職についているみなさんなのかスーツ姿の老紳士もテンションがあがり、雄叫びをあげながら飛び出してくる。そしていよいよ、社殿から神輿が運び出され、これがひとつの儀式になっている。迫力のある場面だが、神輿が現れるとさっそく激しい掛け声が始まり、もうそのまま、止まらずに神社を出発するのだ。

13時半からは垣澤社中による奉納里神楽が始まる。これを観たかったから神輿は追いかけず、私は境内に残った。節分のときは豆まき用の特設舞台に隠れていてよくわからなかったが、境内には立派な舞台がもとからあった。舞台の前にはプログラムが置かれていて、一枚もらってみると、比々多神社のホームページには13時半から15時と書いてあったが、上演は二幕に分かれていた。第一幕は30分ほど、「寿式三番叟付三人囃子」という演目だが、プログラムには丁寧な解説も書かれてあった。三番叟といえば狂言や歌舞伎で上演されるものがよく知られているが(私は狂言や歌舞伎に詳しいわけではないが)、里神楽における三番叟は初めて観るものだ。妙にふわっとした踊りに感じられたのだが、演じ手は79歳だとあとで紹介されて合点がいく。仮面をつけているとまさか老人が演じているとは想像ができない。それから、ひょっとこたち3人のお囃子が現れ、ひとりは子どもが演じている。垣澤社中は2年前に海老名で開催された「カナガワ リ・古典プロジェクト」で一度観ていて、そのときにも子どものおかめが出てきてかわいかったのだが、同じ子だったんだろうか。
第二幕まで少し間が空くので、周辺を少し探索してみると、裏にある遺跡のほうまで露店が続いていた。誰もいない道路のほうに出て、壁にもたれて休んでいると、お囃子のトラック、神輿の担ぎ手たちがぞろぞろと帰ってくる。神輿も休憩の時間だったのか。14時半から第二幕が始まり、「八幡山黒尉」という演目が40分ほど。神功皇后が朝鮮半島の三韓に出陣していくというストーリー(里神楽は古事記や日本書紀を題材にしている。)。弓や扇子を使った舞などがあったのだが、それにしてもそれらが舞われている最中、子どもがじっとしてなくて、あっち見たりこっち見たり、自由にふるまっているのが面白かった。誰かがなにかを落っことしたのか、上演中にそれを指差して教えようとしているのも可笑しかった。終演後には全員素顔を出し、集合写真の時間になった。垣澤社中はSNSにも積極的なようだ。

もうひとつ、この例大祭は人形山車が名物なのだが、その巡行が何時からなのかが比々多神社のホームページを見てもわからなかった。ところがさっき、第一幕と第二幕のあいだにうろついていたら、掲示板に貼ってあったチラシに16時5分からと書いてあるのを発見した。時間が判明しなければ、あきらめて帰るところだった。しかし、里神楽を観終わってからまた1時間ぐらい空いてしまうことになる。
人形山車はじつはこの神社まで歩いてくる途中に準備されているのをすでに目撃していて、どっちにしろ神社からはもう離れることになるから、この時間に昼食にしようかとも考えたが、飲食店がある大通りまでは往復するにはちょっとした労力のいる距離だ。結局、手前の高速道路の脇にあった小さい公園のベンチで休むことにした。歩き疲れてもいて、もしかすると時間があっという間に経ってしまったのかもしれないが、気がつくと、にぎやかな音がだんだん遠くから聴こえてくる。神輿の行列は大通りのほうまで練り歩いていたのだろうか。公園の付近はもう住宅街だったが、公園の外に出てみると、住宅街を天狗が横切っていく。天狗のあとを追うようにして、山車が並ぶ場まで戻ることになる。そろそろ巡行の時間だ。見上げるような高さの人形山車が3基、それぞれ、神戸、栗原、三ノ宮という3地区が所有しているようで、各山車の頂点には武者人形が立っている。神戸は「加羅先代萩」の男之介、栗原は「一谷嫩軍記」の熊谷次郎直実、三ノ宮は加藤清正。山車には太鼓囃子が乗り、もうずいずん前からずっとお囃子が鳴り続けていた。人形山車がいよいよ動き始める。大勢のひとに引っぱられ、3基の人形山車はゆっくりと、山々に囲まれた風景のなかに溶け込んでいった。


比々多神社の節分追儺祭























千原兄弟について今まであまり考えてこなかったからいろいろと忘れていることも多いのだが、爆笑問題と千原兄弟といえば、「お笑いダンクシュート」(NHK)という番組もあった。今でもNHKはその種の番組をときどきやるのだが、そのときの旬の若手芸人を集めたネタ番組を不定期で放送する。ウィキペディアを信用すると、「お笑いダンクシュート」の初回は1994年12月(爆笑問題と千原兄弟が出会った「GAHAHAキング」はこれより前ということになるか。)、初回には爆笑問題と千原兄弟のほか、キャイ〜ン、フォークダンスDE成子坂、ますだおかだ、ジャリズム、しましまんず、ピーピングトムが出演したようだ。おそらく、この時点でいちばん売れていたのはキャイ~ンだったのではないだろうか。「GAHAHAキング」のチャンピオン3組がそろっていること、そして、千原兄弟とともに東京で売り出されるジャリズムがここにいることにも注意したい。(しましまんず、ピーピングトムがいるのはよくわからない。)

ウィキペディアを見ると、爆笑問題と千原兄弟の共演は私の印象よりも少なかったことに気がつかされるが、「お笑いダンクシュート」は1997年12月まで放送され、1998年には「爆笑・千原の天然パラダイス」(NHK)という番組がこれも不定期に放送される。だからこの2組の印象が強くなっていたのだろうと思うが、この時期、若手芸人の東西のトップとして目されていたのが爆笑問題と千原兄弟だったことは間違いないだろう。1999年3月には「爆笑オンエアバトル」(NHK)が始まり、若手芸人の顔ぶれは様変わりしていく。


同時期に「ボキャブラ天国」(フジテレビ)のブームがあったことも忘れてはならないが、「お笑いダンクシュート」の出演者にはキャブラーたちもいることはいるのだけど、ブームの影響がそこまで反映されていたようにも見えない(むしろ、「NHK新人演芸大賞」の影響はあるだろう。)。「ボキャブラ天国」が完全に芸人番組に舵を切ったのが1996年10月のリニューアルだが、「お笑いダンクシュート」は1997年になると、バカリズムやふかわりょうといったそのあとの世代もピックアップしている。

「ボキャブラ天国」の時代に、ブームに乗れなかった吉本勢はどうしていたのか(吉本でもモリマンや幹てつやは出演していた。)、特に関西の動きは関東在住の私にはわからないことがかなり多いのだが、もっと大きな状況としては、1995年にはダウンタウンが社会現象的な大ブレイクを果たし、若手芸人のあいだには「ダウンタウン病」が蔓延していた。想像するに、関西ではさらにそうなのではなかっただろうか。笑いの先鋭化、なのに、東京ではダジャレが大当たりしていた。


笑いの先鋭化ともうひとつ、ダウンタウンがもたらしたものは関西の土着的な文化だった。松本人志にラジカル・ガジベリビンバ・システムやいがらしみきおからの影響があることは今では明らかだが、東京ではサブカルチャーだった先鋭的な笑いを、ダウンタウンは関西の土着的な笑いと融合させた。それはもしかすると、関西特有のヤンキー文化でもあるだろう。その延長に存在するのが千原兄弟だが、しかし、千原兄弟が選んだのは漫才ではなくコントなのである。関西にはやはりそのようなコントのグループがいくつも現れたのではと思うが、関東からはそこまで認識できていなかった。90年代後半、「M-1」の時代以前ということだが、その時代の関西のコントの状況が気になるものの、私にはわからないことばかりだ。

「爆笑問題カーボーイ」(TBSラジオ)に千原兄弟がゲスト出演し、この番組の出演は28年ぶりだそうだが(1998年以来か)、なかなか興味深い話がいくつもされていた。太田は千原兄弟との初対面を記憶していて、その情景を語るのだが、それは「GAHAHAキング」(テレビ朝日)の楽屋だったそうだ。社交的なせいじが東京の若手たちとにぎやかに話していたのとは対照的に、ジュニアは楽屋の奥でひざを抱えていた。太田はジュニアに話しかけ、「お前、なんかナイフ持ってんだって? お前さ、俺、ナイナイ気に入らないからさ、そのナイフで岡村刺してくんないか?」と言ったのが最初の会話。ジュニアはナイフを持ち歩いているという噂があったからだが、ナインティナインと千原兄弟の関係も察してのことだ。

当時の太田がさかんにナインティナインを攻撃し、ナイナイに対する東京勢の風当たりが強かったことなどは、太田が岡村隆史と対談した「太田光と15人のしゃべり手」でも語られていたが、同じ吉本内でもある種の緊張関係はあったのだろう。ナイナイが主演した「岸和田少年愚連隊」(井筒和幸監督)の続編、「岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇」(三池崇史監督)の主演を千原兄弟が務めたときには、ジュニアはたしか、ナイナイに挑発的な発言をしていなかっただろうか。


「GAHAHAキング」は私は欠かさず観ていたはずなのだが、後継番組の「GAHAHA王国」を含めたとしてもこの千原兄弟が出演した回をなぜか私は覚えていない(トータル、1993年10月から1995年9月まで放送。)。しかし、勝ち抜きの挑戦者ではないことはたしかで、おそらくなにかの特別企画だったのだろうと思うが、千原兄弟の出演に特に驚きもなかったということだろうか。

私が千原兄弟を初めてテレビで観た番組ははっきりと覚えていて、「M10」というテレビ朝日の深夜番組だったはずだが(やしきたかじんが降板した事件でも知られる番組。1992年10月から1993年10月まで放送。)、平日の深夜に生放送されていたその何曜日だったか、若手芸人が特集された回があり、千原兄弟のほかには、大人計画の阿部サダヲや宮藤官九郎らによる「四天王」というユニットが出演していたことを覚えている。なぜかその2組を覚えているのは、その2組だけが関東のこの種の番組では珍しかったからだろう。それから間もなく、千原兄弟はポストダウンタウンの筆頭のようにして頭角を現していく。


ウィキペディアにあたってみると、千原兄弟の東京での最初のレギュラー番組は「エンタメゆうえんち 東京移住計画」(フジテレビ。1995年10月から1996年3月。)ということになるのだろうか。土曜深夜に放送されていたこの番組(つまり、「殿様のフェロモン」と同じ枠。)も私は記憶しているが、千原兄弟とともにジャリズムも出演し、メインの司会者は関根勤だったが、「東京移住計画」と題するからにはもちろん、千原兄弟とジャリズムを売り出すための番組だったのだろう。同時に、1995年10月から千原兄弟はTBSラジオでも番組を始める。これが「爆笑問題カーボーイ」のなかでも触れられていた「UP'S 千原兄弟の!」という番組で、この番組は約1年で終了するが、同じ火曜の「UP'S」の枠を1997年4月から担当し、今も続くのが「爆笑問題カーボーイ」である。いっぽうのジュニアが記憶していた、TBSの廊下で会った太田が「今、本書いてんだよ。」と言っていたという会話は、どうやら、千原兄弟が「UP'S」を担当していた時期のことのようだ。その本こそが、1997年初頭に刊行されベストセラーとなった「爆笑問題の日本原論」だった。


太田光と岡村隆史の会話から

夏目漱石「坊っちゃん」の新潮文庫の解説を江藤淳が書いているのだが、何年か前に読みなおしたときに、今の時代にとても参考になるのではないかと思うことが書いてあった。(執筆されたのは昭和54年9月と書かれている。)

江戸から明治へと価値観が大きく変わる時代に、当時の作家たちがどんな態度を示したか。今はこういう時代なんだからアップデートしなきゃだめなんだということは近年よく言われることだが、明治の作家たちもそう思ったのだろう。彼らの近代小説は江戸的な感受性と倫理観を否定するところから出発する。それは坪内逍遥が「小説神髄」で唱導した路線だが、ところが、漱石文学の核となっているのはまさにそのような江戸的な感受性である。


「漱石文学の核に潜んでいるのは、おそらくこの寄席趣味に象徴される江戸的な感受性である。それは感性的なあらわれかたをすれば長唄に「恍惚」するような感覚になるが、倫理的に表現されれば儒教的な正邪曲直の観念となる。そしてこの美意識と倫理観は、実はわかちがたくまざりあっていて、彼の文学を特徴づけているのである。」

「ところで、漱石以外の近代作家は、その多くが漱石が自らの血肉にしていた江戸的な感受性と倫理観を否定するところから出発していた。それは、とりも直さず坪内逍遥が『小説神髄』で唱導したいわゆる近代小説の路線である。」

「この新文学とは、一言にしていえば「真」の文学である。つまり、十九世紀のリアリズム文学観を支える「真」の原理によって貫かれた文学である。しかし、漱石の文学、特に初期の『吾輩は猫である』『坊っちゃん』などに一貫している原理は、決して「真」の原理ではない。『坊っちゃん』は、「真」の原理からいえばかつて正宗白鳥が評したように、「型の如き人間」ばかりが登場する「通俗小説」で「卑近な正義観」を振りまわしているだけということになるが、これを逆転させてみれば、「型の如き人間」とは現実には存在し得ない人間であり、「卑近な正義観」」とは決して実生活では実現できぬ正義観だということになる。したがって〝坊っちゃん〟とは、あたかも人語を語る猫と同様に、現実には存在し得ない原理によって生きている人物にほかならず、その原理とは「善」と「美」の原理以外のなにものでもないということになるのである。漱石の文学が今日に生きつづけている一つの理由は、まさにそのなかにこの「善」と「美」の原理が切り捨てられることなく脈々と生きているからにほかならない。」

「排他的で、リズミカルで、やや軽佻浮薄な趣がなくもない江戸っ子弁。そういう言葉でしか語らない坊っちゃんという一人称の主人公を登場させたとき、漱石はそれと同時に、ためらうことなく堂々と勧善懲悪の伝統を復活させてみせた。これはいうまでもなく、二十年前に坪内逍遥が『小説神髄』で説いた近代小説理論への反逆であり、近代以前の小説がその上に基礎を置いていた価値観への復帰である。」


ここで改めて気がつかされるのは、新しい価値観にアップデートしてみせた近代作家たちの誰よりも、漱石の文学のほうが今でも広く読まれ続けているということである。そして、ここからがさらに重要だ。


「しかし、作者漱石は、同時にこのような立場が、無限に敗れつづけなければならぬ立場であることを熟知していた。「これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ」という坊っちゃんは旧幕臣の出であり、彼の盟友山嵐は朝敵の汚名を着せられた「会津っぽ」である。二人は二人とも時流に取り残された敗者の裔にほかならない。」

「このように、一見勝者と見える坊っちゃんと山嵐が、実は敗者にほかならないという一点において、一見ユーモアにみち溢れているように見える『坊っちゃん』全編の行間には、実は限りない寂しさが漂っている。そしてこの寂しさの存在によって、『坊っちゃん』はその勧善懲悪の天衣無縫さにもかかわらず、やはり近代小説になり得ているのである。」

新しく始まったカンテレのドラマ「銀河の一票」が初回からとても面白かった。ワンクールごとにたくさん始まるドラマのなかからどれを観ようかと決めるのはなかなか難しい判断なのだが(判断に失敗して、名作をいくつも観損ねている。)、「エルピス」の佐野亜裕美がプロデューサーだと知ったときにこれは観てみようと思った。


主演は黒木華。黒木華が演じるまつりの父(坂東彌十郎)は政治家、民政党の幹事長を務めているという人物で、まつりは父の秘書をしている。車椅子の母(小雪)は後妻なのだが、インフルエンサーでもあり、バリアフリーではないところに行って悲しむ投稿をしたりもする。まつりの実母(本上まなみ)は亡くなっている。「道に迷ったら明るいほうへ行くの」「暗いほうに行っちゃだめ」というのが母の教えだったが、幼いまつりが「どっちが明るいかわからなかったら?」と訊くと、母はまつりのために電球のペンダントを作ってくれた。まつりは目指すなにかを見つけるとそれに向かって一直線になる子で、迷子になると、なぜか暗いほうに行ってしまうのだった。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という宮沢賢治の言葉を父は理想にしていた。ところが、父は政治の世界で変わってしまったのだろうか、まつりは父の疑惑を確かめようとする行動に、それこそ一直線に向かっていく。まつりは点字ブロックの上に荷物を置く男を注意するような正義感の持ち主だが、しかし、自分はうっかり置いてしまうこともあった(濱田祐太郎が一瞬登場)。


もうひとりの主役、野呂佳代が演じるあかりはスナックで働いている。まつりとあかりの出会いの場面、自己嫌悪に陥るまつりはあかりにかけられたなにげない言葉に救われる。この野呂佳代の威力はなんだろうか。まつりがスナックを訪れてからの場面は第1話最大の見せ場だが、黒木華にしても野呂佳代にしても、まっすぐなメッセージがこのふたりから発せられるとなぜだか心揺さぶられてしまう。そして、スナックに集まるひとびとがまたいいのだが(岩松了が最高)、ここに描かれる政治家と庶民はかなりわかりやすすぎる構図にも思えるものの、政治やさまざまな差別構造といった骨太なテーマを描きながら、このわかりやすい構図が娯楽作品としての面白さを担保している。素晴らしいテーマを掲げているだけではドラマにはならないだろう。初回から大いに惹き込まれたが、物語が本格的に転がっていくのはこれからだ。はたして、明るいほうに向かっていくのかどうか。今季は「風、薫る」と「銀河の一票」、2本の女性バディドラマを楽しみに観ていくことにする。