今となっては記憶はあいまいなのだが、私が初めて読んだ小林信彦の本は「笑学百科」(新潮文庫版・1985年刊)だったのではないかと思う。のちにバイブルのようにくり返し読んだ「日本の喜劇人」(新潮文庫版・1982年)よりも、新聞の連載コラムをまとめた「笑学百科」のほうがずっと簡単に読めたはずだし、時代的にも理解がしやすかった。文庫版のあとがきでは、この本を「日本の喜劇人」の別冊のように位置づけているのだが、しかし、「笑学百科」のほうは落語からアメリカのコメディアンまで、広く笑いについて書かれている。掲載紙は「夕刊フジ」だから堅い評論ではまったくない。連載期間は1981年2月から6月まで(4か月のあいだに101本のコラムを書いている。)、あとがきによると漫才ブームの退潮期にあたり、だから、ビートたけしの話が多くなる。

「ラジオビバリー昼ズ」(ニッポン放送)を聴くと、やはり、高田文夫が小林信彦について話していた。この番組では何度か語られていることだが、「ビートたけしのオールナイトニッポン」について、小林信彦が「夕刊フジ」のコラムに「笑いの革命が起きている」と書いてくれた、そのおかげで、3か月で終わるはずの番組が10年続くことになったという話である。(コラム3回分にわたって大絶賛されたのだが、ところが、「笑学百科」を読みなおしてみると「笑いの革命」というような表現は見つけられない。)
「だから、そういう意味で恩義はねえ、俺はほんとに感じてんのよ。(略)そのひとが褒めなかったらたけしさん今日ないし、俺も今日ないから、日本の文化って変わってんだよね。こんなふうになってないよ。それが先見の明っつうかさ、やっぱり、見巧者っていうかね、やっぱり、いろんなこと知ってるひとだなあと思って。それで、影響を与えたからね、日本の文化に。なんせ、ニッポン放送は180度変わったんだから、一気に。その1行、2行で。」
(小林信彦は人間関係のもつれの多いひとでもあったのかもしれないが、高田文夫が最終的に「恩義」だけを語ったのはとても美しかった。)

テレビでは小林信彦の訃報はどのくらい流れていたのだろうか。私が目にしたところでは、「サンデージャポン」(TBS)の太田光が熱をこめて語っていた。この番組では村上龍の訃報と一緒に扱われ、村上龍を紹介するVTRがしっかりと作られていたのに対し、小林信彦のほうは用意が乏しいように感じられたが、これは私の推測だが、もしかすると、太田が(あるいは誰かが)小林信彦も扱うように急遽要望したのではないか。
同日の「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ)のニュースのコーナーでも短い時間だがやはり語っていて、小林信彦は単なる批評ではなく、自身も小説を書き、喜劇の作り手だったことを太田はきちんと指摘していた。

今日は東京などではもっとも遅い真夏日になったそうだが、全国的にも暑かったようで、「NHKニュース7」(19時のニュース)では各地の様子を伝えていた。それをなにげなく観ていると、三重県の女性のレポーターが「長袖を着てきたことを悔やんでいます! 暑いです!」と叫び、ハンカチかなにかで顔をぬぐうと、カメラ目線になり、はあはあとただ息を切らしているだけの謎の時間が数秒あった。

そのあとに登場した奈良県の男性レポーターは、奈良公園の鹿に囲まれ、「やっぱり暑いですよねえ。どうですか?」といって、鹿にマイクを向ける。それからカメラ目線になり、「しかたないそうです。」と言ってみせると、ご丁寧に、画面には「仕方ない」というテロップを出し、「シカた」とふりがながしてあった。


以前から感じていることだが、NHKの地方局のレポーターというのはなぜこうなのだろうか、変にはりきってしまい、余計なことをしている場面をときどき目にする。いや、まじめにやれと言いたいわけではなく、ユーモアをまじえてレポートするのはいいのだが、ユーモアが失敗している場面を観たくはないのである。(それよりも不思議なのはこれを良しとしているディレクターなのだが。)

かつてのお堅いNHKはもはや過去で、バラエティ番組などは今やとてもセンスがいいのだが、おそらく、民放で経験を積んだ外部のスタッフたちが多く関わっているせいだろう。その点、ニュースは昔ながらの堅物のままだ。ニュース番組はもちろんニュースを知りたくて観るものだが、そこに不意打ちのように、堅物ががんばっておどけてみせているすがたに、私は胸を掻きむしられる思いにさせられる。

今年の「キングオブコント」はジェラードンが優勝した。この結果をいささか単純化してしまえば、「道化の笑い」が「作家の笑い」を制したということになるだろう(このブログでは以前に「作家の笑い」と「俳優の笑い」という書きかたもした。)。敗者復活を含め、決勝に出場した全11組のうち、ジェラードンのみが圧倒的にコメディアンであった。直後に放送された「情報7daysニュースキャスター」では、三谷幸喜がチャップリンや志村けんの名を出していたが、ある世代以上ならば、ジェラードンの1本目のコント(泥酔したサラリーマンふたりが、契約のためにじつは互いに酔ったふりをしていた。)には志村けんと加藤茶のコンビを思い浮かべるのではないか。簡単な設定があるだけで、あとはコメディアンの力量のみで笑わせるのだ。

「作家の笑い」が優位な状況は、おおまかにいえば、70年代にはもう始まっていて、90年代になればそれが当たり前になっている。今回の審査員たち7名にしても、その状況を前提にスタートし、頭角を現していった面々だ。だから、まずは脚本や構成が評価の対象になるだろう(しかし、7名は演者だから、理屈より直観的につかむ部分も多いだろう。)。審査のなかには「演技が上手い」という褒め言葉もよく出てくるのだが、「上手い」というのもマジックワードで、たとえば、歌であれば、カラオケの点数が高いような上手さもあるが、単にカラオケの点数が高い以上に魅力ある歌があることは誰もが知っている。「演技が上手い」とはなんだろうか。脚本を忠実に表現できればそれは「上手い」ことにはなるだろうが、本来、コメディアンとはそれを超える演技をするものなのだ。(その意味では、ジェラードンに演技で迫っていたのが蛙亭であるし、敗者復活で勝ちあがったスパイシーガーリックも演技を超え、コントにパントマイムの技を取り入れている。)

 

それに対し、ダウ90000 が「作家の笑い」だといえば、単純に受け取られすぎるかもしれないが、先に書いたように現在は「作家の笑い」が主流である(ジェラードンの優勝により、流れが大きく変わるということもないだろう。)。「お笑いは流行ってない」というのは蓮見翔の名言だが、お笑いは流行りきり、浸透したからこそ、演劇とお笑いの世界をまたぐことが可能になっているとも考えられる。リアリズムの演劇をやるにしても、お笑いが日常に浸透しているのだから、お笑いの価値観からは逃れがたいのが現在だ。そして、「作家の笑い」が主流であるから、(別に悪い意味ではなく、そんな芸人は今や多いということだが、)芸人の実態がなくとも、お笑いの世界に身を置けるということになる。

ダウ90000 のコントをテレビでしか観たことがない私は、今回のコントでは男性陣それぞれのキャラクターが際立っていたことに新鮮味を感じたが、女性陣にはそこまでの描きわけがなかった。8名という人数が、長所でもあり、短所でもあるというのはたしかにそうで、登場人物が8人いたとしても、コンビやトリオならば、残りは透明人間でもいいのである。

 

今回、私がいちばん期待していたのはじつはヤッホイだった。幸い、2本のコントを披露はできたが、しかし、2本とも音楽を使ったネタであったことは期待どおりではないとも思った。ロングコートダディ堂前が、ザ・マミィのコント(撃たれた刑事が死ぬ前にシーシャを吸いたがる。)に「シーシャに点が入ってる」という表現をしていたが、それと似たように、音楽を使ったために、音楽の面白さの前にヤッホイの本来の面白さが霞んでしまったような気がした。(それでも、上位3組に残ったのだからたいしたものだ。)

 

今回は敗者復活戦が新たに導入された。「M-1」のように芸人にチャンスが増えたことは喜ばしいが、漫才のようにとんとんとは進行せず、10組分のセットを余計に用意しなければならないということでもあるから、これがコントの限界とも思える。初期の「キングオブコント」のような芸人審査が復活したのも、審査側の芸人にチャンスができたとも捉えられ、番組としては楽しいが、出場者たちにとっては謎の低得点が生まれたりもして、なんだかすっきりしないものも同時にある(初年度にバナナマンがバッファロー吾郎に負けたあの苦い感触をみんなよく思い出してもらいたい。)。敗者復活戦では、私は破壊ありがとうとしずるが面白かったが、残念ながらいずれも低得点だった。


雑感「キングオブコント2025」


作家の笑いと俳優の笑い


「喜劇人」と「お笑い芸人」


2000年以降の笑いの俳優たち


蓮見翔の「クレヨンしんちゃん」

伊東四朗が来年、90歳の誕生日に芸能界を引退することが発表され、ああ…、という声にならない思いである。つい先日、伊東四朗が出演した「伊東四朗一座」の舞台を撮影した映像を上映するイベントが浅草公会堂で開催され、行きたいとは思ったのだが、チケットが高額だったから少し迷っていたら、そのあいだにあっさりと売り切れてしまっていた。引退まで、あと8か月半。伊東四朗がなにか大々的な引退セレモニーをやるとも思えないし、生の伊東四朗に触れる機会はもうないか、あったとしてもチケットが買えるかはわからない、ああ…、という思いなのである。


伊東四朗のテレビでの全盛期を70年代後半だとすると、私はそれをリアルタイムでは知らない世代である。だから、変な言いかたかもしれないが、私が伊東四朗を喜劇人として意識的に観るようになったときにはすでに、伊東四朗を観るべきときを観逃してしまっていたような気がしていた。

芸能はジャンルを問わず、なるべくなら生の舞台を味わうべきだというのが私の考えだが、私が伊東四朗の生の舞台を観たのは一度きり、2008年に本多劇場で上演された「学おじさん」だけということになった。水谷龍二が演出した人情喜劇だったが、これはこれでとてもいい作品だったのだが、伊東四朗ならばやはり、からっとした乾いた喜劇を観ておかなければならなかった。いや、観るチャンスは何度もあったのだ。

三宅裕司らとともに「伊東四朗一座」が旗揚げされたのは2004年のこと、伊東四朗は60代の終わりだから遅いといえば遅いのだが、考えてみれば、今のさんまよりも若いのである。2007年には三谷幸喜が脚本を手掛けた「社長放浪記」が上演された。2008年の「学おじさん」だけ私が観ているのは、おそらく、シブい公演だからチケットを獲りやすかったのだろう。


舞台以外に、私が伊東四朗を生で観た記憶はほかに3回、そのひとつは高田文夫のトークイベントだが、あとのふたつは「したまちコメディ映画祭」だった。2011年に第4回コメディ栄誉賞を伊東四朗が受賞し、その特集上映の際にトークショーがあった。このときも高田文夫が登壇し、映画祭のプロデューサーだったいとうせいこうと3人のトークだったが、あれはサプライズだったのか、途中から小松政夫が加わったことを覚えていた(検索して確かめようとしたら、そのときのトークがまるまる YouTube に残っているのを見つけた。)。2017年には第10回コメディ栄誉賞を小松政夫が受賞し、今度はそのお祝いに伊東四朗がサプライズで駆けつけたのだった(その動画も残っていた。)。



正直な感想を書くが、私は「風、薫る」をずっと傑作だと思って観ていたのだが、ところが、終盤はなんだか小さいドラマになってしまったなという感じがしていた。具体的には、りん(見上愛)が新潟から東京に戻って以降だが、前半ではこのドラマはもっと大きく(卯三郎のセリフにもあった)「社会」を描くのではと思っていた。「看護」というテーマも終盤になるとたいした葛藤もなく、なにかほかのことを描くほうに熱心になってないかという気にさせられた。


宮藤官九郎が「週刊文春」の連載コラムで、爆笑問題の太田の出演がラジオで盛りあがっていたから「風、薫る」は観ていると書いていて、じゃあ、それ以前は観ていなかったのだと思うが、クドカンには同じ大人計画の伊勢志摩や猫背椿の活躍こそ観てもらいたかった(特に、猫背椿にとっては「風、薫る」は代表作のひとつになるだろう。)。たしかに、太田の出演はいくつかのラジオで話題になっていたが、しかし、それが「風、薫る」というドラマそのものを評価する声にならないことに私は歯痒さも感じていた。いや、ここに至るまでがとても面白かったのだ。太田以前に、原田泰造には感動させられたし、飯尾和樹も、シソンヌじろうもいい演技をしていたのだ。


「首都圏いちオシ!」という番組で放送された小林虎之介(虎太郎役)のトークショー(栃木県益子町で行われた「のど自慢」の予選会の合間にサプライズで小林虎之介が登場した。)を観たらちょっと気になる話をしていた。栃木で撮影していた頃のスタッフは東京の撮影のときには半分ぐらいいなくなっていて、虎太郎にとっては(シマケンに対し)アウェイのような雰囲気になっていたそうだ。1年の撮影期間にそれほどスタッフが入れ替わるものなのか、これがほかの朝ドラでもそうなのかはこの話だけではわからない。まあ、シロウト考えだが、入れ替えないほうがいいんじゃないのか。

終盤には前半の登場人物たち、セツ(村上穂乃佳)やツヤ(東野絢香)が再登場し、特に、しのぶ役の木越明は強い存在感を残したと思うが(そのわりにはほかの派出看護婦たちの人物像が掘り下げられることはまったくなかった。)、養成所の同窓生たちでは、トメ(原嶋凛)はかろうじて再登場したが、喜代(菊池亜希子)とゆき(中井友望)のその後はわからないまま終わった。こういうのは案外、俳優のスケジュールの都合のようなつまらない理由によるものである可能性もある。


ここまでの「風、薫る」


「風、薫る」がとてもいい

ダウ90000 の蓮見翔が「クレヨンしんちゃん」の脚本を書いたというので、ものすごくひさしぶりに「クレヨンしんちゃん」を観たのだが、しかし、考えてみたら、テレビアニメの「クレヨンしんちゃん」をちゃんと観るのは私は初めてだったかもしれない。「クレヨンしんちゃん」のアニメが始まったときには私はもう高校生だったから、あえて観るようなこともなく、原作は「漫画アクション」だから読んでもおかしくないのだが、原作を読むこともなかった。私が観たことのある「クレヨンしんちゃん」は劇場版の「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」(2001年公開)だけで、この作品は「映画秘宝」のその年の年間ベストワンに選ばれ、その意外性に驚かされたのである。

だから、クレヨンしんちゃんらしさのようなものは私にはわからないし、とはいえ、そもそも解像度高く観るようなものでもないだろうと思うのだが、ぼんやり観ている子どもたちが、今日の回はなんだったんだろうという違和感を残し、もう少し成長したときに「(もっと大物になっている)蓮見翔が脚本を書いてたのか!」と驚かされるという意味では充分にこの企画はうまくいったとみなせるのではないか。


ダウ90000 については、現代口語演劇とお笑いが接近した今の状況なくしては成功はありえないだろう(ジョビジョバの時代はまだその状況がなかった。)。なにしろ、2000年代以降は、それ以前からすると比べものにならないくらいお笑いが流行っているので、平田オリザらが現代口語演劇を始めた90年代よりも、普通の若者たちの日常会話がお笑いの影響を受けている。

今回の「クレヨンしんちゃん」も「静かな演劇」の延長にあると考えられ、平田オリザや岩松了が観たらどんな感想をもつだろうかとも思いたくなった。あるいは、宮沢章夫が生きていたらなんて言うだろうか。

 

今年1月に横浜シネマリンで観た野田真吉のドキュメンタリー(「異形異類の面掛行列」という18分の作品)に出てきた面掛行列の実物を観てみたいと思い、大仏でおなじみの街、江ノ電の長谷駅まで行ってきた。連休前の平日だからまだ空いていたのだと思うが、それでもやはり、鎌倉高校前には写真を撮ろうとしている観光客のすがたが多くあった。面掛行列が行われる御霊神社(ごりょうじんじゃ)は鳥居のすぐ前に踏切があり、江ノ電が横切っていく。

 

私は少し早く到着してしまい、13時から始まる鎌倉神楽を観ようと、それまでいったん海のほうに散歩に行ってから戻ってきたら、どうやら、13時よりも前にもう始まっていたようだ。境内にはギャラリーがたくさんいて、みんな写真や動画を撮っている。じつはこの境内には撮影禁止という注意書きがあるのを私は先に見つけていたのだが、そういえば、神奈川県民俗芸能保存協会のホームページにもそう書いてあった。なのに、別に注意される様子もなく、黙認してるのかと思えば、私が到着する前になにか説明があったのかわからないが、マイクをもって解説する神主さんが動画を撮ってるかたはあとで観なおしてくださいとかなんとか言っているので、今日は撮影してかまわないんだと判断するしかない。(私も写真や動画を撮ったが、一応、境内で撮ったものをこのブログに載せるのは控えておきます。)

解説する神主さんはかなり冗談をまじえるひとでもあった。神楽は湯立があり、弓矢を四方に放つ射祓や、最後は天狗ともどきが出てきて飴を撒く。5月に三浦の真名瀬で観た神楽とかなり似ていて、手のひらにじかに赤飯を配るのも同じだった(それらの演目の正式な名称を私はまだ知らない。)。神楽は45分ほどで終わった。

 

面掛行列は14時半から始まり、また時間が空くから周辺を散策して戻ってくると、わかりきっていたことだが、もう見物人で混んでしまっていた。面掛行列のスタート地点は神社からではなく、少し手前の道端から始まる。お面をつけた人物が10人、前から順に、爺、鬼、異形、鼻長、烏天狗、翁、火吹男、福禄寿、阿亀、取上という構成になっている(掲示されていたものを記録したからこれが正式だろうと思う。)。40年近く前の映画に登場したお面と同じお面をおそらくかぶっているのだろう。その前には獅子頭を担いだひとがふたり、さらに前には天狗がいる。

お囃子が始まり、行列が出発すると、狭い道に見物人がたくさんいるから移動も難しく、始まったらもう行列を追いかけられなくなった。ルートが掲示されているのも先に確認していたのが役に立ったが、まわり道をして、広い通りに出ると、面をつけたひとたちはもう行ってしまって間に合わなかったが、あとから神社を出発した神輿をここで観ることができた。行列は折り返してくることも把握していたから、のんびり追いかけていくと、折り返してきたところを写真に撮れたからとりあえず安心する。見物人はみんな写真を撮っているのだが、ジジイ同士が写真のマナーでケンカしていて、じつに見苦しかった。ジジイはなぜジジイに強く出るのだろうか。

あとはまた先まわりし、行列のあたまからおしまいまで、ひととおり見物することができた。行列には子どもたちも参加していて、パウチ入りの麦茶を飲みながら歩いていてかわいかった。交差点までやってくると交通誘導が忙しい。外国人の見物人もとても多かった。

スタート地点に戻ってくると、お囃子や子どもたちはここがゴール。お面のひとびとや神輿は神社まで進んでいった。事前に調べた情報では16時までの予定になっていたが、1時間ほど、15時半には終わった。私はついでに鎌倉の大仏を見物してから帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福岡県議会のドンと呼ばれる藏内勇夫が「ふんどし姿」の写真集を作っていたというスクープが先週の「FRIDAY」に掲載されていて(「〝県議会のドン〟藏内勇夫の「ふんどし姿」写真集を入手した」)、「ふんどし姿」というのは祭りに参加する藏内勇夫の写真なのだが、その写真には「真っ白なふんどしを締め、ポーズをキメる藏内氏。」というキャプションがつけられている。なんだこのどうでもいいスクープはと思いながら私はこの記事を読んだのだが、NHKのニュースを観ていたら福岡県議会の問題が扱われていて、第三者委員会が設置されたというニュースだったが、NHKの取材によると、藏内が所長を務めるFOF(アジア獣医師会連合ワンヘルス福岡オフィス)を支援する集いにてどうやらその写真集は配られたようだ。どうでもいいスクープかと思ったら、金の流れに関わる写真集なのだ。(NHKのニュースではふんどし姿の写真は使われていなかった。)

カンニング竹山がある番組で、福岡のテレビではずっとこの県議会の問題をやってると言っていたのだが、全国区のニュースではわからないことが地方の政治ではかなり起きている。(沖縄県知事選のニュースを関東のテレビではあまり目にしないことにもちょっと驚いている。)

 

先週の「FRIDAY」にはスクープがもうひとつ、「石丸伸二 ロングヘア美女との「お泊まり現場」撮った」というこれまたどうでもよさそうな記事があったのだが、記事の最後には福岡市長選に向けた水面下での動きも書かれていて、これも福岡の政治に関わる記事だった。福岡市長選は11月に行われる。

 



横浜のムービルが今月いっぱいで閉館することになり、最後になんの映画を観るのがいいだろうかと考えていたのだが、グランドフィナーレの特集上映のラインナップを眺め、やはり横浜らしく、私はこの劇場で「あぶない刑事」を観てみたくなった。
朝いちばんの上映だった劇場版「あぶない刑事」第1作を私は初めて観たのだが、映画にはまさにこのムービル周辺の横浜西口の風景が登場する。第1作は1987年公開、ムービルは37年間の歴史を終えるということなので、ムービルと「あぶない刑事」の時代はほぼ重なるということにも気がついた(「帰ってきたあぶない刑事」の公開が2年前だったから、今後、新作が作られなければ本当にそうなる。)。いや、単に横浜らしい映画をと私は思っただけだったが、想像以上にこの劇場で最後に観る意味があったように思えた。

とはいえ、正直にいえば、私はそこまでムービルに強い思い入れがあるわけでもなかった(だから、最終日を待たずにやってきたのである。)。それには都内の大学に通うようになり、行動範囲が都内に広がったという個人的な事情もあるが(でも、横浜市民あるあるですよね?)、横浜で映画を観るにしても、関内周辺にはまだまだ映画館が多かったし、その後の時代になるとシネコンもどんどん充実してくる。ムービルものちにシネコン化したが、レイトショーがないからなかなか利用しにくかったような気がする。
タランティーノの「イングロリアス・バスターズ」(2009年公開)を観たときに、私はひさしぶりにムービルを利用したような記憶があるのだが、確認してみると、そのときにはもうシネコン化していたのだ。それ以前は「相鉄ムービル」の名称でなじんでいたのが、ただの「ムービル」になったのもシネコン化したからだった。

建物内には今、壁や床にイラストがたくさん描かれていて、6月にここで「友近サスペンス劇場」を観たときにも描き始められていて、これはなんだろうと思ったのだが、「壁面マンガ」ということらしく、その後もどんどん描き足されていったようだ。「あぶない刑事」を観たあとにはせっかくだからそれらイラストを眺めてまわった。1階のトイレの手前に作画者たちの名前がこっそり描かれていて、これらはプロのイラストレーターばかりではなく、漫画研究会の学生たちの作品でもあった。(壁面マンガとは別に、燃え殻と大橋裕之による文とイラストが描かれているのも見つけた。)
閉館直前でも、特集上映以外にも新作映画もまだ上映していて、今年を象徴する映画である「ちいかわ」のポスターに挟まれた壁にイラストが描かれているのも現在が感じられてよかった。「あぶない刑事」から「ちいかわ」までの37年という年月に私は感じ入らざるをえない。














「風、薫る」に複雑な感想を抱くようになってきたことは以前に書いたが、今は俳優たちが誰も老けようとしないことが気になっている。時間経過は研ナオコの語りで示されるだけで、画面をぱっと観て、主人公が何歳ぐらいかとわかるようなことはない。ただひとり、りん(見上愛)の母を演じていた水野美紀だけがしっかりと老けづくりをし、老けた演技をしていたのだが、もしかしたら、水野美紀が自主的に工夫しているだけなのではないかと思った。もうひとり、老けづくりではないが、内田慈も病気になって痩せ細っていくすがたを壮絶に演じていた。今の時代、痩せることなんてなおさら俳優に要求はできないはずだから、これも内田慈が自主的に役作りしたことだろう。

 

「あんぱん」は終盤では若い俳優たちが老けづくりをして演技に臨み、半年をかけて壮大な時間経過を描いていった。若い俳優たちが老けたメイクをしていると、そこだけを見ればウソに見えるが、半年をかけてそれぞれの人生を追いかけていくと、そのウソに不思議なリアリティが感じられるものだ。

考えてもみてほしいが、実人生においても、歳を重ねていくと、外見は老けても自己イメージは若い頃のままだったりしないだろうか。若い自分が老けたメイクをしているような、高齢者の自画像は意外とそんなものかもしれないということを「あんぱん」によって私は気がつかされた。


ここまでの「風、薫る」


「あんぱん」が終わった