千原兄弟について今まであまり考えてこなかったからいろいろと忘れていることも多いのだが、爆笑問題と千原兄弟といえば、「お笑いダンクシュート」(NHK)という番組もあった。今でもNHKはその種の番組をときどきやるのだが、そのときの旬の若手芸人を集めたネタ番組を不定期で放送する。ウィキペディアを信用すると、「お笑いダンクシュート」の初回は1994年12月(爆笑問題と千原兄弟が出会った「GAHAHAキング」はこれより前ということになるか。)、初回には爆笑問題と千原兄弟のほか、キャイ〜ン、フォークダンスDE成子坂、ますだおかだ、ジャリズム、しましまんず、ピーピングトムが出演したようだ。おそらく、この時点でいちばん売れていたのはキャイ~ンだったのではないだろうか。「GAHAHAキング」のチャンピオン3組がそろっていること、そして、千原兄弟とともに東京で売り出されるジャリズムがここにいることにも注意したい。(しましまんず、ピーピングトムがいるのはよくわからない。)
ウィキペディアを見ると、爆笑問題と千原兄弟の共演は私の印象よりも少なかったことに気がつかされるが、「お笑いダンクシュート」は1997年12月まで放送され、1998年には「爆笑・千原の天然パラダイス」(NHK)という番組がこれも不定期に放送される。だからこの2組の印象が強くなっていたのだろうと思うが、この時期、若手芸人の東西のトップとして目されていたのが爆笑問題と千原兄弟だったことは間違いないだろう。1999年3月には「爆笑オンエアバトル」(NHK)が始まり、若手芸人の顔ぶれは様変わりしていく。
同時期に「ボキャブラ天国」(フジテレビ)のブームがあったことも忘れてはならないが、「お笑いダンクシュート」の出演者にはキャブラーたちもいることはいるのだけど、ブームの影響がそこまで反映されていたようにも見えない(むしろ、「NHK新人演芸大賞」の影響はあるだろう。)。「ボキャブラ天国」が完全に芸人番組に舵を切ったのが1996年10月のリニューアルだが、「お笑いダンクシュート」は1997年になると、バカリズムやふかわりょうといったそのあとの世代もピックアップしている。
「ボキャブラ天国」の時代に、ブームに乗れなかった吉本勢はどうしていたのか(吉本でもモリマンや幹てつやは出演していた。)、特に関西の動きは関東在住の私にはわからないことがかなり多いのだが、もっと大きな状況としては、1995年にはダウンタウンが社会現象的な大ブレイクを果たし、若手芸人のあいだには「ダウンタウン病」が蔓延していた。想像するに、関西ではさらにそうなのではなかっただろうか。笑いの先鋭化、なのに、東京ではダジャレが大当たりしていた。
笑いの先鋭化ともうひとつ、ダウンタウンがもたらしたものは関西の土着的な文化だった。松本人志にラジカル・ガジベリビンバ・システムやいがらしみきおからの影響があることは今では明らかだが、東京ではサブカルチャーだった先鋭的な笑いを、ダウンタウンは関西の土着的な笑いと融合させた。それはもしかすると、関西特有のヤンキー文化でもあるだろう。その延長に存在するのが千原兄弟だが、しかし、千原兄弟が選んだのは漫才ではなくコントなのである。関西にはやはりそのようなコントのグループがいくつも現れたのではと思うが、関東からはそこまで認識できていなかった。90年代後半、「M-1」の時代以前ということだが、その時代の関西のコントの状況が気になるものの、私にはわからないことばかりだ。














