今年の「THE W」はニッチェが優勝した。最終決戦に残ったのは3組、Aブロックを勝ち抜いた紺野ぶるま、Bブロックを勝ち抜いたニッチェ、そこに視聴者投票で勝ちあがったエルフが加わった。今年は放送時間が短くなり、ファイナリストが8組に減らされてもいるのだが、そのなかでも、すでに知名度のある3組がちょうど残ったかたちになる。


しかし、それ以上に、今年は粗品が主役になってしまった回だった。初めて審査に加わった粗品の寸評がいちいち面白く、具体的な指摘とアドバイスを不足なく話そうとする。粗品が誰をどう評価するか。粗品が票を入れた、電気ジュース、とんでもあや、ヤメピは報われたのではと思うが、粗品が大会の空気を支配することにもなっている。その空気を初めて視聴者にもわかるように言葉にしたのはエルフ荒川だ。4年連続の決勝進出となったエルフだが、漫才を終えた荒川は「今年がいちばんなんか調子狂った!」と言った。「だって荒れてんだもん、いろいろ」「全体的になんか雰囲気がいつもと違うなっていう」

粗品に寸評されたあとには、荒川は「粗品さん!」と呼びかける。「粗品さん、すいません、ほんとにありがたいんですけど、W(ダブリュー)から出て行ってくれませんか?」 このセリフには観客から拍手と笑いが起こった。「お前もすかしたな。」と返す粗品も強いのだが、この場では、エルフ荒川が誰よりも優れたバランサーに感じられた。


今回、粗品がこの大会を面白いものにしていたことは否定しようがないのだが、出場者よりも審査員が注目されるのはあまりいい状態ではないだろう。それは初期の「M-1」の空気も思い出させる。そういえば、「THE W」の最初の2回には副音声に松本人志が出演していたのだった。

「THE W」は歴代優勝者を並べてみればじつに申し分のない大会なのだが、独自の色が出てきたと思えるのは第3回以降、つまり、無名だった3時のヒロインが優勝してからで、その後は「THE W」発の人気者をかなりの高確率で輩出している。これは「THE W」が「M-1」とは別の価値基準を作ることに成功してきた証だろうと思うのだが、粗品の審査に心配するのは、それをまた「M-1」の基準にそろえることになりやしないかということだ。そうなれば、いとも簡単に大会がしぼんでいくということにならないだろうか。



今日の話は昨日の続きだが、昨日はライブの前に原宿まで足を延ばしてきた。渋谷から原宿までは歩いて10分ぐらいで着くのである。先月創刊された「セントラルアパート」という雑誌が、ハラカドというところで売っているというので、渋谷に出るこの機会についでに買っておこうと思った。ほかの店でも売っているところはいくつかあるようだけど、せっかくだから、ハラカドというところにちょっと行ってみたいとも思ったのだ。


「セントラルアパート」創刊号はタモリが表紙、タモリのインタビューも載っていて、これを読みたかった。タモリが原宿について語っているのだが、なぜタモリが原宿なのかというと、タモリは1975年に上京し、原宿セントラルアパートにあった浅井慎平の事務所に入り浸るようになった。(このあたりのことは浅井慎平の小説「原宿セントラルアパート物語」(幻冬舎文庫)にも書かれているのだが、小説だから、事実と違うっぽいことも書いてある。)

だからこの雑誌の名前も「セントラルアパート」なのだが、インタビューによると、原宿に若者たちが集まるようになるのはラフォーレ原宿ができてからで、その頃にはタモリは原宿を離れていたという。ラフォーレ原宿の開業は1978年のことだ。「セントラルアパート」にはスチャダラパーのBose のインタビューも載っていて、Bose は「ラフォーレミュージアムではかっこいいことがよく行われていたので、そういうカルチャーを浴びた場所でした」ということを語っている。(よく知られるように、そのラフォーレで公演されたラジカル・ガジベリビンバ・システムの「スチャダラ」からスチャダラパーの名前はとられた。)

90年代もそのイメージだったような気がするのだが、そのような若者向けの公演に私も何度か足を運んだことがあるが、気がつけば、ラフォーレ原宿はめっきり足を踏み入れない建物になってしまっている。(本屋がなくなったことが私にとっては大きい。)


横浜に住む私が初めて原宿を訪れたときだったのか、原宿駅前に「AKIRA」の6巻を読む若者がいたことを妙に覚えているのだが、そのときだったような気がするが、ラフォーレ原宿のすぐ近くの交差点にたしか梅宮辰夫の漬物屋があった記憶がある。漬物屋を見たというよりも、梅宮辰夫の等身大の人形を目視したのだ。今にして思えば、あの梅宮辰夫の人形があった場所こそが原宿セントラルアパートだったのではないだろうか。

(その交差点に現在あるのが東急プラザで、原宿セントラルアパートの跡地にあるのが「オモカド」、斜め向かいに建ったのが「ハラカド」だ。)



渋谷のさくらホールまで、「赤塚不二夫祭」を観に行ってきた。赤塚不二夫生誕90周年記念のフェスティバルなのだが、先週は2日に渡り「ミュージックフェスティバル」というのをやっていた。今日は「バラエティフェスティバル」で、午前の部、昼の部、夜の部と3公演あったのだが、チケットを買ったのは夜の部のみ。夜の部にはタモリが出演するのだ。私にとってはけして安いチケット代ではないのだが、この先、タモリを観る機会があとどれだけあるかと思うと、これは奮発せざるをえなかった。(ちなみに、私にとっては人生5度目の生タモリ、有料のタモリを3回、無料のタモリを2回観ている。)


およそ10分遅れで開演すると、司会の松田洋治が登場した(どういうわけか司会が松田洋治なのだ。)。まずはいきなり山下洋輔トリオのライブから始まる。中村誠一、森山威男、山下洋輔が順に紹介されて位置につく。3人が順に現れてから演奏を始めるまでが笑ってしまうくらいにかっこいい。いったいなぜ笑ってしまうのだろうか。私はジャズのライブは経験が少ないのだが、数少ないひとつがこれというのはなんという贅沢かと思った。圧巻の演奏。何分ぐらいやっていたんだろう、「木喰」「ミナのセカンド・テーマ」「グガン」という3曲だったようだが(私は詳しくないから曲名はわからない。)、考えてみれば、この3人だってタモリと同年代なのである。今日のライブはすさまじいなとさっそく興奮させられてしまう。

つぎにトークのコーナーになるのだが、その準備のあいだ、松田洋治と小堺一機が出てきてつないだ。小堺はバカボンのパパのメイクをしていた。そこにセーラー服姿のROLLYも加わる。この3人は今日は午前の部からずっと出ているのだ。通して観ている観客はどのくらいいたんだろうか、小堺が出てきてもあんまり反応がないようだった。

トークコーナーは山下洋輔トリオに加え、スペシャルゲストのタモリがここに登場する。この4人で、進行役をなぜか中村誠一が務める。タモリとの出会いの話を整理しようということになったのだが、この山下洋輔たちとの出会いがタモリのデビューのきっかけとなっていく、よく知られる話でもあるのだが、本に書かれているものは私もひととおり読んではいるものの、細部の記憶はあやふやになっていた。記憶違いもあるかもしれないが、たとえば、ウィキペディアに書かれていることとも今日の話には若干の誤差があった。まあ、本人たちの記憶もそれぞれあやしくなっているから真実にも揺れがあるのだけど、そのひとつは、山下洋輔たちの部屋のドアが開いていたわけではなく、どうやらタモリがドアを開けて入ってきたらしいということだ。中村誠一がゴミ箱をかぶって虚無僧の真似をしていたというのはよく知られるとおりだが、じつは中村誠一は知らない男が入ってきたのを見て、一瞬、黙ってしまった。そこをすかさずタモリが続けたという新たに知れたディテールも面白かった。(私もメモをとって聴いていたわけではないから、不正確なところがあるかもしれない。)

その後、山下洋輔たちはその晩に現れた「モリタ」という男を見つけ出し、東京に呼ぶことになる。そこから赤塚不二夫との出会いになっていくのだが、なんと、ここで松田洋治が出てきて、トークは時間切れにされてしまった。「赤塚不二夫祭」なのに赤塚不二夫の話になる前にトークを打ち切るなんて、こんな融通の利かないことがあるだろうか。しかし、そうなるとタモリはあっさりと舞台から下がってしまう。


ここからあとは「赤塚祭劇団」の時間になった。「フジオ・ワールド・シンガーズ」という男女4人のグループのステージがあり、ROLLYもギターで参加する。「おそ松くんブラザーズ」という青年たち6人と小堺一機が「天才バカボン」の歌に合わせてダンスをしたりなど、まあ、はっきり言って、こんなものをやる時間があったらタモリたちのトークをもっと聴かせろと思った。いや、小堺一機は好きなんだけど、小堺一機だってベテランなのに午前の部から一日中こき使われて、へろへろだったんじゃないのか。

「赤塚祭劇団」の時間が終わったら、スクリーンにエンドクレジットが流れ始めた。これで終わりかという感じだが、最後に山下洋輔トリオと「赤塚祭劇団」のセッションがあった。しかし、せっかくの山下洋輔トリオをなんともったいない利用法をするのか。最初の山下洋輔トリオの演奏が終わったときには今日はすさまじいライブになると思ったのに、恐ろしく尻すぼみなライブだ。エンディングにはまたタモリが呼ばれ、タモリが中央にやってくると三方礼を始めたのは可笑しかった。

「サライ」(小学館)というシニア世代向けの雑誌があるのだが、この雑誌の最新号がマンガを特集していて、ドラえもんのミニ・イヤープレートというのが付録になっている。イヤープレートというのは要するに絵皿なのだが、いや、それよりもドラえもんだ。シニア世代向けの雑誌の付録がいよいよドラえもんになってしまった。ドラえもん世代がついにシニアと認定されるようになったということか。


「サライ」という雑誌で特集されるのはだいたい仏像とか陶芸とか、俳句とか焼酎とか、隙あらば古都を旅してみたり、温泉に浸かってみたり、あるいは健康寿命を延ばそうとするようなことをのべつやっているのだが、私は落語が好きだから落語特集のときには買ったことがあるが、おおむね、私よりもはるかに上の世代、なんなら親世代が読む雑誌だと思っていた。マンガが特集されることは過去にもあったようだが、それでも扱われるのは「ゴルゴ13」や「釣りバカ日誌」や「美味しんぼ」だったはずだ。シニアが好きなマンガというのはそういうものだと思っていた。


「ドラえもん世代」と簡単に書いてしまったが、具体的にはどの世代か。「ドラえもん」の連載が始まったのは1969年だが、「コロコロコミック」の創刊が1977年、テレビ朝日でアニメ化されるのは1979年のことだ。1980年には映画第1作「のび太の恐竜」が公開される。人気が出たのは昭和50年代だから、とりあえず、「ドラえもん世代」は昭和50年代の子どもたちだと考えよう。もちろん、ドラえもんは今でも子どもたちには絶大な人気だが、昭和50年代の子どもたちはドラえもん以外にも藤子不二雄作品のアニメが毎日のように放送されているのを観ていた。そして、その時代には「藤子不二雄ランド」という全集も刊行されていた。

「サライ」が創刊されたのは1989年、平成元年のことだ。昭和50年代の子どもたちはそのころは中高生だった。ところが、その世代がもう50代になっているというわけなのだ。(なにせ昭和100年だから計算が簡単だ。)


「昭和50年男」「昭和40年男」という雑誌もすでに存在するが、こうなると、シニア世代向け雑誌とは読者層に差がなくなってくる。もしかすると、懐古趣味よりも、シニアの趣味に移行するほうが前向きだったりするのか。いずれは追い抜いてしまうし、「サライ」を読んでるほうが若者ぶりやがってということになっていくんだろうか。



「ひとつの机、ふたつの制服」という映画を観てきた。もともと、そこまで観たいと思っていたわけではない映画だったのだが、映画館のスタンプカードが満点になり、これを期限までに使わなければと思っていた。選択肢があまりなくて困っていたのだが、この映画、テレビで紹介されていたのをたまたま観ていて、よさそうな映画だと思っていた。結論からいうと、これが大当たり。今年のベストワン候補といってもいいくらいに気に入ってしまった。
誰でもかぎられた予算と時間のなかで観たい映画を選んで観に行くわけだが、こういう映画に当たると、この優先順位というのが意外とあてにならなくなる。好きな監督、好きな俳優、あるいは、信頼できる評論家が褒めているとか、そういうことで決めているかぎりは自分の趣味の範囲をぐるぐるしているだけでしかなく、その範囲のひとまわり外側に、新鮮な感銘を与えてくれる観るべき作品がじつはあるのだ。(趣味の範囲内でもハズレを引くことはわりとある。その外側に触れる機会を得たのはスタンプカードのおかげ。)

映画は90年代の台北を舞台にしている。名門女子校の夜間部に通う主人公、同じ教室の同じ机を使う全日制の生徒と手紙のやりとりをする「机友」という習慣があるようで、タイトルの「ひとつの机」の意味がここでわかる(本当は「桌友」というらしいが、日本の観客にわかりやすくなおしている。)。主人公は全日制の生徒と仲良くなるのだが、夜間部と全日制では制服の胸の刺繍の色が違う。ふたりは学校をサボるために制服を交換する。これが「ふたつの制服」。(ただし、原題は「夜校女生」といって、これは邦題が上手い。)
映画を観ていると、始まって数分のうちにこの映画好きだなと思うことがあって、小説でいえば文体、マンガでいえば絵のタッチみたいなもので、好きな作品かどうかはそこで決まってしまうところがある。この映画はまさに、始まってすぐに好きな文体だと思った。中心にあるのは青春期の友情、恋愛、そして、成長のドラマなのだが、家族のシーンもとても印象に残る。母と妹のこの家族関係があるから主人公のキャラクターが理解できるし、この映画のもつユーモアを感じられる。内容を細かく説明するわけにはいかないが、すべてがかわいくてかわいくて、いじらしくってたまらない映画だった。それ以上の詳しい感想は手紙に書きたい。その手紙はニコール・キッドマンに送りたいと思う。


町田市民文学館ことばらんどで開催中の「曽我部恵一展」に行ってきた。スチャダラパーと電気グルーヴのライブに行ってきたばかりで、今度は曽我部恵一となるとまたもや90年代かということになるのだが、デビューはサニーデイ・サービスのほうが数年遅い。いずれも私が学生時代に聴いていた音楽だが、学生時代にはこの数年の差はかなり大きいもので、具体的には、スチャダラパーと電気グルーヴには私は自力でたどりついたのだが、サニーデイ・サービスは大学の同級生が好きなバンドとして出会った。とても個人的なことだが、サニーデイ・サービスの音楽は私にとっては大学の記憶とセットになっている。部室のラジカセで聴いているイメージが今でも残っているし、そのせいで、その時期のアルバムはうっかり聴いてしまうと若者特有のいやな気分が蘇ってくる。大学の同級生たちは中央線沿線に住んでいた。だから、中央線文化みたいなものも私は大学の記憶とセットになっている。

この展覧会が町田で開催されたことをまずは喜びたいが、今回の展覧会は文学館らしく、曽我部恵一の言葉に注目した展示内容になっていた。そもそも作品数の膨大なアーティストだが、肉筆の歌詞が書かれた創作ノートが多数展示してあるのを興味深く眺めていった。歌詞だけでなく、その音楽性も、テクノやヒップホップに関心を広げる曽我部恵一に私は関心があったが、この展示では、来場者が詞の「リミックス」をするというかたちでその部分を表現してあった。
この展覧会の関連イベントとして、サニーデイ・サービスのドキュメンタリー映画の上映会もあったのだが、定員に達してしまい、これは観ることができなかった。サニーデイ・サービスの歴史はおおまかには知っている。しかし、深く知らずに音楽だけと付き合うというのもそれはそれでいい状態のような気がしている。






「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ)のゲストが藤田朋子だったのだが、爆笑問題のふたりとは同い年(1965年生まれ)なのだ。爆笑問題とはひさしぶりに会うようで、藤田朋子はかつての太田には映画で主演したときのイメージがあったという。太田が主演した映画というのは篠原哲雄監督の「草の上の仕事」のことだが、私はこの映画の存在を知ってはいたが、今に至るまで観たことがない。改めて調べてみると、公開された1993年という年はタイタンを設立した年でもあり、爆笑問題は「NHK新人演芸大賞」を受賞し、「GAHAHAキング」で勝ち抜いている最中にその映画はどうやら公開されている。(検索してみると、なんと、YouTube に非公式のものだがこの映画がまるまるアップされていた。)


この藤田朋子がゲストの回を私は興味をもって聴いたのだが、それはなぜかというと、太田は以前、藤田朋子のことを文章にしている。写真集の騒動のときに開いた記者会見について、太田は藤田朋子を擁護する文章を「テレビブロス」の連載コラムで書いた(「爆笑問題集」という単行本に収録されている。)。私はその文章をリアルタイムで読んでいるはずだが、あのとき、あの騒動では藤田朋子をまじめに擁護していたのは太田ぐらいではなかっただろうか。今の時代の価値観に照らせば、太田の意見はしごく真っ当に感じられるものだが、30年前の世間の論調はまるっきり正反対だった。


いっぽう、私はナンシー関の熱心な読者でもあったが、確認せずに言ってしまうと、ナンシー関は藤田朋子には辛辣だったような印象がある。以前、太田は中山秀征に辛辣だったナンシー関に怒りを抱えていたと話していたことがあったが、ナンシー関を今の眼で読みなおしてみれば、リアルタイムとはかなり違う読みかたがおそらくできそうだ。

ナンシー関を鋭い批評家としてしか考えないひともいるから困るのだが、私の考えでは、ナンシー関は芸能人をいじる達人という感じである(「評伝ナンシー関」を書いた横田増生は、ナンシー関が水野晴郎を〈批判〉していることを不思議がっていた。)。ビートたけしの影響下にある笑いがナンシー関の武器だった。だから、鋭い批評に喝采を贈ることも、それに怒ることも、もしかするとどちらも過剰反応という意味では同じかもしれないが、しかし、こういう反応、今やSNSでは普通に見る光景になっていないだろうか。



横浜BUNTAI で、スチャダラパー35周年のライブを観てきた。一応、「YOKOHAMA UNITE 音楽祭」の初日という位置付けになるのか、2日目の明日はここで佐野元春のライブがあるのだが、特に関連性があるわけではなさそうだ。今日のライブにはスチャダラパーだけでなく、電気グルーヴとレキシがゲストとして出演した。ここが建て替えられる前、横浜文化体育館はプロレスで有名らしく、今回のポスターもプロレス興行風になっているのだが、横浜市民にはサーカスの会場としても知られている。正直、ライブは小さい会場のほうがいいに決まってるし、高額チケットなのも悩ましかったのだが、電気グルーヴもスチャダラパーも30年来のファンであるし、その2組が揃うこともこの先何度あるか、しかも地元横浜なので、これはさすがにスルーしたら後悔すると思った(無事に当選した。)。


詳しいライブレポートの記事はどこかに出るんじゃないかと思うので、おおまかに記録しておくと、17時開演、まずはレキシが登場する。レキシのライブを観るのは初めてだった。光る稲穂のグッズがあるようで、隣りの席の女性も手にしていた。ファンの比重はどのくらいだったのだろうか、かなり重なる3組だとは思うが、レキシのファンは少し下の世代なのかなとも思う(全体的には中年世代の多い客席だった。)。イルカの浮き輪を客席にダイブさせる演出、それから、自身の曲の合間にひとの曲をかなり歌う。ANIが登場し、ここでさっそく「ブギー・バック」が出た。

続いて、電気グルーヴ。スタンド席最後方で観ていたのだが、ちょっと音の聴こえかたが良くないと思ってしまったな。下のほうの席はちゃんと聴こえてたんだろうか。30年来のファンではあるけど、電気のライブはだいぶご無沙汰で、近年の曲が多かったが、「ガリガリ君」と「B.B.E.」もやった。最後は「人間大統領」。しかし、あっという間に終わってしまった。転換にどのくらい時間がかかっていただろうか、開始時刻を見ていなかったが、電気が終わったときには18時50分だった。

そして、最後はスチャダラパー。「スチャダラパーのテーマPT.2」から始まり、電気とは対照的にスチャダラパーは90年代の曲が中心だった。まあ、35周年だからということでもあるのか、シブめの曲も多くやっていた。終盤にシークレットで現われたのはライムスター。コラボ曲の「Forever Young」だけでなく、なんと、ライムスターとの「GET UP AND DANCE」が聴けたのは今日イチのアツい展開だったかもしれない。

アンコールには電気グルーヴが再登場。そう、これを期待していたのだ。長めのMCから、ANIが瀧のうちの柿泥棒を働いていたことが発覚し、ANIと瀧のラップ対決になる(これはアルバムにも収録されているとおり)。最後は「聖☆おじさん」。4時間弱、たっぷりのライブだった。






また同じような話題ばかりになってしまうが、「ダ・ヴィンチ」の最新号に吉沢亮のインタビューが載っていた。1月号恒例の「BOOK OF THE YEAR」なのだが、吉沢亮は表紙も飾り、ラフカディオ・ハーンの「怪談」(角川ソフィア文庫)を手にしている。吉沢亮は「今年の顔」として、インタビューでは「ばけばけ」や「国宝」について語っていた。「怪談」の話から入りつつ、吉沢亮は怪談話やホラー小説は普段はあまり手にすることがないジャンルだというのだが、「ばけばけ」で吉沢が演じる錦織について、以下のように話している。

「小泉八雲を題材にした作品なのに、錦織は怪談が苦手なんです(笑)。おトキさんが怪談話をしようとしたら、怒るように「そういう古臭いモノは今の日本にはいらん」と遮っていましたし。だから僕があまりホラー小説を読まないのは錦織の役作りでもあるんです。いや、嘘です(笑)」

「100分de名著」の「日本の面影」の回を観ただけの私の理解では、錦織というのは明治のインテリだから、近代化する西洋に憧れ、非科学的なものを否定しているのだろう。吉沢亮のこの話だと、怪談は怖いから苦手って言ってるみたいな感じがしてしまうんだけど、冗談ぽく言ってるようにも読めるし、実際はどう理解してるんだろうな。対して、ハーンは科学と合理主義の時代に反発し、日本の文化に惹かれている。ここに日本の知識人たちとのすれ違いがあるわけだが、糸こんにゃくを怖がる設定とか笑いのためにやってるけど、ハーンの人物像がブレてしまわないだろうかと心配になってしまう。(否定的なことばかり書いてるようだけど、しかし、来週の予告にはちょっと気になる場面が出てきた。「ばけばけ」にはまだ期待している。)


このブログのアクセス解析を見ると、女性の読者が1割もいないようだから(なぜだ?)思いきって白状してしまうが、私には吉沢亮の魅力がよくわからない。「国宝」も観たし、「スイッチインタビュー」(NHK)で中村鴈治郎と話しているのも観たのだが、それでも吉沢亮にはまだ惹かれるものがない。だから、あれほどヒットした「国宝」も私はさほどのめり込むことなく観てしまったし、「べらぼう」も夏ぐらいまでは毎週観ていたのだが、横浜流星にも興味がないという結論になり、観るのをやめてしまった。

女性に人気のイケメン俳優なら誰にも興味がないのかというと、そんなことはない。「あんぱん」というドラマは熱心に観ていたのだが、観ていくうちに、北村匠海という俳優は本当に大好きになった。「ちょっとだけエスパー」(テレビ朝日)も楽しく観ている。「あんぱん」では高橋文哉にも興味をもつようになったし、妻夫木聡なんかは以前から好きな俳優だった。「イクサガミ」(Netflix)に出ていた二宮和也も面白かったし、旧ジャニーズ系にも興味のある俳優は多い。

好きなイケメン俳優は星の数ほどいるのだが、今日はこのくらいにして、また機が熟したら好きなイケメン俳優たちについて語りたいと思う。機が熟すのを待っていただきたい。



今年も「M-1グランプリ」準決勝のライブビューイングに行ってきた。イオンシネマでのライブビューイングが始まったのがたしか2年前で、その年から3年連続で観ている。去年と一昨年は座間のイオンシネマで観たのだが、座間はうちからは交通の便が悪く、選択肢が少ないからしかたがなかったのだが、今年は上映館が拡大し、海老名が空いていたから海老名を選んだ。神奈川県ではみなとみらいはかなり売れていたように思う。(先日、このブログに、座間のイオンシネマで春風亭一之輔の落語会のライブビューイングを観たことを書いたが、そのとき、一之輔の地元の劇場では上映がなく、その劇場にはライブビューイングの設備がないということをぼやいていたが、これだけ拡大上映されるとそれも本当なのか疑問になってくる。)

じつは2020年の準決勝もライブビューイングで観ているのだが、このときはTOHOシネマズだった。やはり、劇場数は少なかったはずで、近場の劇場は完売になっていたから、横浜市から南大沢の劇場まではるばる観に行ったことを思い出す。もしかしたら、料金も安かったのかもしれない(こういうことは年月が経つとわからなくなってしまうものだが、今年はライブビューイングが3900円、配信は3500円だ。)。その年はライブビューイングとは言うものの、実際はディレイビューイングで、上映時間にはもう公演は終わっていたのだった。そして、公演の上映が終わると、映画館ではそのまま、決勝進出者発表の会見が生中継された。


イオンシネマ海老名は空席が多かったが、それは劇場が広いからで、客席後方はじつはかなり埋まっていた。ライブ同様に拍手や笑い声もあり、特に中盤以降はかなりほぐれた客席になっていた。これはひとりで配信を観るのとは大きく違って、他人がどこで笑うかという反応をきちんと体感できる。そのほうが、笑いの量、笑いの性質をはるかに捉えることができる。

準決勝は16時開演、司会ははりけ〜んず。ベストアマチュア賞、ナイスキッズ賞の発表、審査員の紹介などがあり、ナイスアマチュア賞の「ピ夜」という男女コンビが前座を務める。これは例年のことなのだが、どうやら「M-1」をテーマにしたネタをオファーされている。

そして、ワイルドカードに選ばれた滝音から始まり、全31組、ピ夜も含めると32組だが、8組ずつ紹介され、一気にネタを披露する。半分の16組が終わったところで休憩が入る。全組が終わるとはりけ〜んずが出てきて、あっさりと上映終了になるのだが、19時過ぎには終わっていたと思う。(決勝進出者発表会見では「3時間半」と言われていたが、実際はもう少し短かった。)


31組を出演順に列記しておくと、滝音、ミカボ、センチネル、おおぞらモード、めぞん、ネコニスズ、TCクラクション、ドンデコルテ、生姜猫、ひつじねいり、豆鉄砲、ヨネダ2000、大王、黒帯、カナメストーン、20世紀、ヤーレンズ、たくろう、例えば炎、今夜も星が綺麗、イチゴ、スタミナパン、真空ジェシカ、ドーナツ・ピーナツ、ゼロカラン、カベポスター、フランツ、豪快キャプテン、エバース、ミキ、ママタルト。

ネタの内容に触れることは禁じられているのだが(決勝や敗者復活戦で同じネタがかけられることがある。)、自分なりに決勝進出者を予想すると、滝音、めぞん、豆鉄砲、ヨネダ2000、今夜も星が綺麗、真空ジェシカ、豪快キャプテン、エバース、ママタルトという9組だった。結果は6組が当たる。外れた3組、滝音、豆鉄砲、今夜も星が綺麗のうち、滝音はワイルドカードだから敗者復活戦には出ることができないが、あとの2組にはまだ期待している。