母に捧げるバラード4 | Nani Mino'aka(亀有のハワイ)

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Aloha!

 

皆さんのお宅は男系家族?それとも女系?

我が家は

女系だ。

 

はっきりと言える。

前のブログにも書いたが、

頻繁に行って馴染みがあった親戚といえば

お袋の実家だ。

お袋の兄妹を見ると、

姉・兄・お袋・妹・弟・妹と女性が多い。

お袋は昭和16年に生まれた。

物心がついたときには父(祖父)は戦争で出征しており、帰ってくるまで

お袋の母(祖母)は女手一つで家族を守っていた。

当時の日本では当たり前のことだったらしい。

いきなり、見知らぬ男性が入ってきて、

「お父さんだよ」って言われても、戸惑ったに違いない。

以来、その親子の溝は埋まるようで埋まらず。

微妙な関係・立ち位置のまま続いていた。

 

私の記憶の中ではこうだった。

まず、隣に住んでいた曾ばあちゃんは祖母方だった。

お袋の実家に行くと、まず祖父に挨拶をするとすぐに2階にあがり、祖母を含めた親戚一同で団欒をしていた。祖母は2階に上がるのだが、祖父は2階に上がることはほとんどなかった。

そんな感じは小学生の子供でも???と思うところだ。

そして祖父はというと、決まってジャイアンツの試合のスコアブックを付けていた。

テレビを見ながら、イヤホンでラジオを聴くという離れ業を

シレッとこなしていた。

 

2階での団欒に決まって出てくるのが、お袋と親父の事。

お袋が初めて親父を紹介しに実家にきたときに

親父はお袋を呼び捨てで「みつこ」といったらしい。

そこで祖母と兄妹一同が大騒ぎ。

「まだ、嫁に出すって決めてもいないのに!」

 

ある意味、親父はしょっぱなから洗礼を受けた。

 

それから私が生まれるときの事

お袋は身長150㎝ぐらいの小柄である。

予定日を過ぎた私は、お袋のお腹の中ですくすくと育ち、自由奔放に動き回ったおかげで、

逆子

母体に合わず巨大児(3900g以上)

へその緒を首に巻き付け、生まれる前から自殺を計り

仮死状態。

逆子だから足を引っ張ったのだが、よっぽどお袋のお腹が居心地がよかったのか、

腕をひっかけて誕生拒否。

よって左腕を骨折。

かれこれ50年近く前の話である。

難産のなかでもトップ10にはいるくらいだろう。

また、妊娠中の方には現在の私を見れば、きっと心強いに違いない。

大学病院であったため、お袋の分娩台の周りには学生をはじめとする沢山の人が取り囲んだという。

根っからの賑やか好きなのか。

 

 

お袋の話に戻る。

私が生まれて、しばらくは私は腕を折っていたため、産着は片腕を出す形で

金さん遠山の金さん状態。金さん

そして、周りの赤ちゃんたちとは異なるベッドにいて、よく泣いていたらしい。

普通はすぐに母親のもとに来てしばらくを過ごすのだが、そんなんだから

1週間が経ってもお袋のもとにはいけず、新生児のガラス越しでの面会だった。

見に行くと、一人みんなと違うベッドで

金さん遠山の金さんが「腹減ったぁ!」と大泣きしている。

あまりに泣き止まないので

お袋と祖母が

「ミルクをやってほしい」とお願いした。

すると看護師が

『ミルクはちゃんとあげています』と

それでも泣き続ける

さらに「ミルクを」とお袋と祖母

『普通の子の倍あげているんですけど。』えー

と困惑気味の看護師

泣き続ける私。えーん

お袋と親父はしょうがないとあきらめかけたその時

「それでも泣いているんだからミルクを」と祖母が食い下がります。

『そんなことだとこの赤ちゃんは肥満児になりますよっ!』ムキー

と怒り気味に看護師

「肥満児になってもいいからミルクを飲ませろぉ!」ムキー

と祖母の怒りも頂点に達し、以来私は祖母の言いつけを守り

すくすくと育ち、今のような体形になりました。

お袋も祖母という女帝のような強力な後ろ盾をもって

以後数十年女系家族は続くのです。

 

Mahalo nui!