『越境』
- THE CROSSING (1994)
- 『越境』 コーマック・マッカーシー/著、 黒原敏行/訳、 ハヤカワepi文庫(2009) [初出は1995年]
家族の寝静まった深夜。家の中に音はなく、家の外から聞こえるのは秋の虫の鳴き音だけ。
本書を読むのに最適な時間だ。
静寂の中で本書を読み続けていると、いつしか自分がアメリカとメキシコの国境に広がる荒野のただ中に居るように思えてくる。
遠くでコヨーテの啼く声と、目の前の焚火の爆ぜる音しか聴こえない澄み切った深夜。切り株に腰を下ろし、毛布にくるまって両膝を抱えつつ片手で本書を開いている。水のない川床から吹き上げてくる冷たい微風が感じられる・・・。
(↑こんなことは錯覚だけど。でも、それほどマッカーシーの文章は情景を浮かべやすいのだ。)
200ページほどの1章を読み終えるのに二晩を掛けた。
子供を孕んだ牝狼に対する16歳のビリーの言動と心情を描いた1章。
この1章を読み始めて直ぐに、またもやマッカシーの描く荒野に帰ってきたことを実感する。
著者マッカーシーと訳者黒原氏の、自然・風景・気候の描写は美しく、頭の中にはアメリカとメキシコの国境に広がる荒野の情景が浮ぶ。 深夜の荒野、底冷えする気温さえも感じられるようだ。
自然・風景・気候に関する精緻な描写に対して、少年と狼の描き方は抑えられている。それでも、200ページに渡って幾重にも積み上げられた文章・言葉により、静かだが力強い意志を持った少年と、決して人には媚びない狼が生々しく感じられる。ビリーの牝狼に対する気持ちが伝わってくる。それがどんな気持ちなのかを具体的に表現することはなかなか難しい。孤高の狼の気高さに圧倒され、それを生み出した自然を尊ぶ気持ちとでもいうのか? そこには彼が傷つけてしまった狼に対する後悔と懺悔の念も混じっているのかもしれない?
ともかく、この1章を読んだだけでも充分に満たされた。美しい物語だ。
2章の前半部。
メキシコからアメリカに戻るビリーが立ち寄ったのは廃墟となった教会。そこに暮らす一人の男が、ある神父と老人の話を延々と語る。このエピソードにはどんな意味があるのか? このエピソードの作品全体に占める位置付けが良く判らない・・・。どうやら主人公ビリーの立場を暗示する寓話のようなのだが・・・。
2章の中盤でプロットは急展開する。
故郷、実家に戻ったビリーに待ち受けていたのは父と母の死の知らせだった。6匹の馬を盗みに入った2人組に殺されたらしい。一人逃げて助かった弟を迎えに行き、そのままメキシコに向かうビリーと弟のボイド。馬を取り戻すために。両親を殺した2人組を追って・・・。
途中、2人はある少女を助ける。3人と馬と犬の旅が続く・・・、そして、自分たちの馬を見つけだしたビリーとボイドにはトラブルが待ち受ける・・・。
2章と3章はドラマチックな出来事が起こる。なのに、そのドラマチックな出来事を表現する文章は相変わらず落ち着いた調子で淡々と記されている。抑揚のない文章である。だが、そうした文章でも、形(表現方法)を少しづつ変えながら重層的に繰り出せば、徐々に増幅され大きなウネリとなって読者に到達する。ビリー、ボイド、少女の感情が拡大されて読者に伝わる。
こうしたマッカーシーの熟練したプロの技によって、読者は、彼ら3人がそれぞれに何を感じているのかを想像させられるのだ。
最終4章では、再び愛馬と共に一人旅をするビリーが描かれる。彼の悲しいまでの孤独が描かれる。。。
全部でおよそ660ページもの長篇。一気呵成に読みきるだけのエンターテイメント性溢れる作品という訳ではない。しかし、文章的にも、描かれている物語としても特段難しいものではない。ビリーという若い牧童が少年から大人になり、そして孤独になっていく過程を描いた物語だ。
数年ぶりに読んだ本作。人とは 「束の間の存在、不可解な存在、無慈悲な存在 (p.647)」 なのだと、私を謙虚にさせてくれる作品だ。
じっくりと落ち着いて読むのに良い物語。 お薦めです。
【マッカーシー作品 過去記事】