前回は、東北タイのコンケーン大学移動図書館プロジェクトのことを書きました。
村の学校では、大人も子どもも、教科書以外の絵本など見たことがない、そこで2年間の読書の時間で絵本に親しむようにしてから、図書室を寄贈するというものでした。
図書室を見るのも村の人たちにとっては初めてでした。
最初にあげた写真は、私たち駐在員主婦のつくった日本人会バンコク子ども図書館の、ディスプレイ書棚です。
夏休みの読書感想文課題図書と、特集として、さとうわきこさんの絵本をディスプレイしています。
本を借りに来られる方たちは、
「アンパンマンとトーマス以外の本は知らないんですけど」
とおっしゃりながら、ディスプレイだなにある絵本は手に取りやすく、そこから借りていかれたりします。
ですから、ディスプレイだなに置くおすすめ本は、基本絵本や、知られざるいい絵本などを選んでいました。
むむむ・・・?
ということは、日本人は「絵本というものがある」ということや、「絵本のめくりかた」はもちろん知っていますが、それ以上のことはあまりご存じない方のほうが多いかも・・・?
さて、コンケーン大学移動図書館プロジェクトだけでなく、子ども図書館は「バンコクに初めてできた私設の子ども図書館」として、いろいろなタイの団体が見学に来られました。
バンコク幼稚園教師会や、日本のNGOのシーカーアジア財団(スラムに図書館を建てたりしている)、シーナカリンウィロート大学の児童文学科のみなさんなど。
タイのテレビ局チャンネル9が取材に来たこともありました。
写真が、お子さんや、スタッフさんたちのお顔が映りこんでしまっているものばかりなので、トリミングしたものを一つお出しすると、これはシーカーアジア財団のスタッフさんたちが来られたときのものです。
こんなふうに、私たちの手作りのもの、大型紙芝居や、ペープサート、廃材から作ったさんびきのやぎのがらがらどんのお人形や小道具などなどをごらんになったり、実際に演じて観ていただいたりしました。
(いくつかの作品については、このカテゴリー「バンコク子ども図書館物語」にすでにあげているので、ごらんになってくださいね)
こうした紙芝居やペープサート、お人形作りなどについて、タイの先生からこんな質問が出ました。
「日本のお母さんたちはみなさん、専門の学校でこういうことを学ばれたりしたのですか?」
私たちは思わず顔を見合わせて、首を横にふりました。
紙芝居やペープサートは小学校で作り方を習います。
しかも低学年で。
ほかのものは、人形作りが好きだったり、子どもさんの演劇部で小道具大道具作りを伝授されたり、子どもさんの幼稚園で先生たちが演じるのを見たり、テレビで観たり、さまざまなお手本が身近にあることに気がついたのです。
もちろん、ボランティアの中には日本で幼稚園や小学校の先生だった方もいらしたので、さらに良いものができたりしましたが、私のようなふつうの主婦でもいろいろなものを作りました。
それ以上に、そもそも私たちは、「図書館」というものが、入ったらどんな感じで、本を借りたり貸したりする場を見たりして、どんなものか知っているのです。
図書館には「ディスプレイ書棚がある」ということも知っているのです。
だから、建築段階でそれをもう組み込むことができました。
それはとても恵まれたことではないでしょうか。
(図書館の内装建築については、初期ボランティアメンバーの要望を入れて、一級建築士のボランティア奥様がしてくださいました。それについては、こちらに書いていますので(クリックください)、ごらんになってくださいね)
とはいえ、図書館というものを本当に知っているのは、図書館司書の方たちです。
バンコク子ども図書館も、創設にあたって、司書の方の献身的なはたらきが無ければ、完成しなかったのです。
私がこのカテゴリー「バンコク子ども図書館物語」を書くにあたって利用しているのが、私自身帰国のときに初期ボランティアの方への聞き書きなどをまとめて作った小冊子『バンコク子ども図書館物語 夢を実現させた駐在主婦たちの物語』を利用しています。
(小冊子といっても、ソーソートーのコピー屋さんでコピーしてもらって閉じただけ)
これはのちのボランティアさんたちが成り立ちを知るためにと子ども図書館のスタッフ用に残してきました。
さて、子ども図書館の創設のゴーサインが日本人会から出たとき、オープン前に、最初に「常設の子ども図書館をつくろう」と呼びかけた発起人のおひとりが(日本で学童保育の先生と文庫をやっておられた方)、
「司書の資格をもった人が見つからないと話が進まないんだ」
と新しいボランティアさんをさがし始めました。
実はこの時、この方はご主人が帰国の辞令が出たのですが、オープンまであと2か月の子ども図書館を発起人で、創設トータルを監督していた責任者として見届けるために、お子さん二人と、初期ボランティアのお友だちのマンションのお部屋を借りて「逆単身」状態でした。
(バンコクの駐在員用のマンションはものすごーく広くてバスルーム付きベッドルームもあるし、家事はメイドさんがやってくれるので、そういうこともできたのですね、もちろんこうした例はほかにありませんが・・・)
すると、ひとりの方が同じマンションに公共図書館でキャリアをつまれた司書の方が駐在員主婦としていらしたのをご存じで、ボランティアに誘ってくれたのです。
その司書奥さまのお話を聞いてみましょう。
「それまで情報誌などで、子どものための図書館を作ろうとしているグループがあり、ボランティアを募集していることは承知していましたが、図書館がオープンしたら何かできることをお手伝いしようとごく消極的に考えていました」
「ところが発起人のおひとりから事情をうかがうと、図書館の場所やら新しい本を寄贈してくださる企業の動きは具体化しているのに、本の整理はどうして良いかわからないというのです」
「帰国するご主人を送り出し、逆単身しても図書館を作りたいという情熱、ノウハウも無しに「こんな図書館がほしい」という情熱だけで動き出してしまう勇気に、私の「思慮分別」は吹っ飛んで、この活動に飛び込むことになってしまいました」
続く!
こんな本もおすすめ。
図書館といっても、最初は児童室などありませんでした。
アメリカの公共図書館で児童室ができたときの絵本
『図書館に児童室ができた日』
日本には明治から自宅や施設で本を貸し出す篤志の方々がいました。
それを調査して書かれた本『子ども文庫の100年』。
くわしいことはこちらをごらんになってください。