先日ご紹介したタイの児童出版社チョムロム・デックの絵本(そのブログはこちらをクリックください)の
『水牛になりたくない』
あらためてご紹介します。
表紙からしてユーモラスでデッサン力がたしかで、アニメ調でなくて、とてもいい絵でさそいこまれますよね。
お話は、題名からけっこう想像がつくのではないでしょうか?
コーンケーンからほど近いところで田仕事に使われていた水牛。
それほどこき使われることもなく、泥沼につかっていやされるのを楽しみにしていました。
(人間でいうと仕事のあと一風呂つかるような?)
コーンケーンというのは、タイ東北部の入口にある場所です。
タイ東北部は、イサーンと呼ばれていて、干ばつのためにとても貧しい地域です。
その農家の生活を描いた『東北タイの子』(カムプーン・ブンタウィー作)は、1979年東南アジア文学賞を受賞して、国語の副読本にもなっています。
タイの『大草原の小さな家』といった作品で、日本語訳も出ています。
このブログではこちらでご紹介しています(クリックしてくださいね)。
田畑の仕事に使役されるのは、東北タイでは、和牛ではなくて、水牛です。
これは私が部屋に飾るために買った、水牛の首にかける木製のカウベルです。
だいたい駐在員主婦はこれ買っちゃうんです!
なかなかいい音がして気に入ってます。
・・・が、これを買ってきたとき、うちに住み込みでいた東北タイ出身のメイドさん(タイではアヤさんっていう)が大笑い。
「オクサン、こんなのうちの村に行ったら、そのへんじゅうの水牛がつけてますよ!
こんなものにお金をはらって、家にかざるなんて・・・」
・・・・・
そんなタイの田畑では身近な水牛です。
ところがある日、この絵本の水牛は、とつおいつ考えて、水牛のままでなくて、ちがうものとして生きてみたい、よく見かける人間になってみたい、と思います。
そこで心配する飼い主のお百姓さんに別れをつげて、人間としての暮らしを始めます。
人間のように食事して、人間のように眠って、人間のように話して、人間のように歩いて、人間のように着て、人間のように働いて、人間と交際しました。
ところが、なんだか楽しくないことに気がつきました。
笑うことができなくなっていました。
友だちのさるのところに行って相談し、さるはいろいろ笑わそうとしてくれましたが、だめです。
友だちの鳥のところにも行きましたが、だめです。
なやみながら歩いていくと沼地にふみこんでしまいます。
そこで沼にころがって、ひたって、しあわせをとりもどします。
さるも鳥もいっしょにころがりました。
ここが自分のいるところ、しあわせの場所、と水牛はずっとその沼のほとりにいることにしました。
これが、人間として生活する絵、さるが笑わそうとするひょうげたようすなど、絵がとてもいいんです!
でも、チョムロム・デック社さんとは交流がありませんので、中の絵を載せていいかどうかわかりません(著作権の問題があるので)、
それでせめて裏表紙を。
私と会う人には持っていきますね(笑)
このお話は、瀬田貞二さんが『幼い子の文学』(子どもの本を勉強するときの基本図書の一つ)で子どもたちの喜ぶお話のパターンの一つとしてあげている
「行って帰る物語」
の一種だと思います。
これは、瀬田さん自らの翻訳された『ホビットの冒険』の「行きて帰りし物語」からつけた呼び名です。
例として瀬田さんがあげておられるのが、
『アンガスとあひる』
です。
知りたがりやのアンガスが、あひるのことを知りたくて庭に出るけれど、あひるにやっつけられて帰ってくる。
「「行って帰る」―本当にそれだけでしょう、このお話は。ほかになんにもありません。」
「しょっちゅう体を動かして、行って帰ることをくり返している小さい子どもたちにとって、その発達しようとする頭脳や感情の働きに即した、いちばん受け入れやすい形のお話」
「いずれにしても、小さい子どもたちは、「行って帰る」という構造をもったお話にいちばん満足を覚えるというのがぼくの仮説なんです」
この絵本は1999年の作品ですが、あとがきの作者サーイスリー・チュッティゴン博士のことばによると、
「20年ほど前コーンケーン大学にいたとき、子どもが読む本があまりなかったのでお話を書きました」
そのときお子さんをひきつけるために書いたので「行って帰る」物語になっているのかもしれませんね。
それをコーンケーン大学の同僚であった、セーンアルン・ラッタカシコン教授に依頼して絵をつけてもらったのそうです。
セーンアルン教授はコーネル大学に留学経験もある方だそうです。
残念ながらセーンアルン教授はご病気で早逝されてしまったそうです。
文を書いたサーイスリー博士の略歴も書かれていますが、博士は、さまざまな青少年関係の省庁で長年公務員として活動されていたそうですが、もともと音楽家で、青少年オーケストラを創ったり、歌曲を作曲した方だそうです。
この文は、分かち書きされていますが、韻をふんだ韻文ではないようです。
韻文についてくわしくないので、自由律かもしれませんが、韻をふんでいなくても、流れるように美しい文章でもあります。
そういうところは、音楽家としての利点が現れているのかなと思いました。