二つ前の記事でちょっとふれたタイの児童出版社チョムロム・デックชมรมเด็ก(子どものつどい)についてご紹介します。
この出版社を興したのは、ウィリヤ・シリシンวิริยะ สิริสิงิหという方です。
この方の奥さま、スパー・シリシンさんも文学者で、ボータンという筆名で書いた
『タイからの手紙』
が、タイで最も権威ある文学賞東南アジア文学賞の前身であるSEATO文学賞を1969年に受賞されています。
日本語訳も出ています。中国からタイに移民した青年が中国の家族に送る手紙という長大な小説です。
最初にあげた絵本は『ふくろのなかのひみつ』(1993年)といって、ウィリヤさんが文を書いたものです。
ウィリヤさんは、絵は描かかれません。
お話はこんなふうです。
くまさんが、おともだちの家に行くために、リュックに土つきの苗をおみやげに入れてかついで行きます。
歩いていく旅が意外に長くかかったので、おともだちの家についたときはわっさわっさ葉がしげって、ぬいてみると・・・
おいもが鈴なりにできていました!
という楽しい絵本です。
しかし、ここにいたるまで、実はウィリヤさんは昔風の教訓的なお話を書く方かと思っていました。
というのも、最初にウィリヤさんの私が名前を知ったのは、
『神さま、ぼくがいきます』
という絵本だったからです。
まずおことわりするのは、この絵本はウィリヤさん個人の創作ではないということです。
1991年にユネスコ・アジア文化センター主催で、ベトナム児童書プロジェクトというのが行われ、ウィリヤ氏はセミナー講師を務めました。
そして、その中のワークショップで全員で考えたのがこの文だそうです。
絵を描いたのはベトナムの方です。
しかし、この絵本はタイで出版されたタイトルは「身を犠牲にした緑の米粒」というものでした。
山火事を救うために小さい米粒が自分の身を犠牲にするというお話です。
この物語自体は、たぶんに仏教説話がベトナムやタイに影響を及ぼしていたことから生まれたと考えられますが、まだ海外の創作絵本が紹介されることはほとんど無かった時期だと思います。
それにしても、
「子どもが楽しむ」ことを考えた絵本としては教訓的だしどうだろうと思っていました。
それからチョムロムデック社が出した本は、ウィリヤさんが文を書いた、『くまおじさんのしあわせ』でした。
『ふくろのなかのひみつ』以前に入手したもので、古い絵本であることは、出版年がまだ記載されていないことからわかります。
このお話は「大富豪くまさん(セティ・ミーเศรษฐิหมี)」さんが主役の物語です。
大富豪くまさんは、100も部屋のある屋敷に住みながら、いつも孤独でさびしい生活を送っていました。
あるとき、足を伸ばして畑地まで行くと、そこで子どもたちがにぎやかに遊んでいました。
子どもとふと会話したくまさんは、いつになく楽しい気持ちになって、その日は1日ほほえんでいました。
ところがその様子を見て、配下のくまたちは誤解しました。
「あの畑地に行ってごきげんがよくなったようだ。あの畑地をご主人のために、村人を追い出してゴルフ場にしよう」
村人は怒って抗議の声をあげました。
その声のことは配下のくまたちにごまかされて、大富豪くまさんはなんのことかわかりませんでした。
ところが、子どもたちに会いに行くとみんな逃げてしまいます。
真実を知ったくまさんは、財産を寄付して、子どもたちの公園と、公民館と図書館をつくりました。
いつも夕方子どもたちが公園で遊び、図書館に入っていくようすを見て、くまさんはかすかに笑い、こう言うのでした。
「これが、わたしのしあわせだ」
・・・・・
傲慢な富豪が子どもたちによって改心する、というすじだては、ありがちかもしれません。
しかしここでは、くまさんはとくに傲慢ではありません。
子どもたちとの会話が楽しいと思います。
そして真実を知ったあと、公園や公民館、図書館という公共施設をつくる、というのが新しいですね。
ウィリヤさんの子どもに対する思いが表れていると思います。
文中ではずっと「大富豪くまさん」と呼ばれていた主人公が、題名では「くまおじさん(ルン・ミー)」になっているのも、大富豪というものがとれた中のくまさんの気持ちを表していますね。
このお話をへて、楽しい
『ふくろのなかのひみつ』
が生まれました。
これには、絵本を買う大人たちの需要もかつては「ためになる、教訓のあるものでなければ」という意識だったのが、楽しいものでもかまわない、と変化してきたことも現れているでしょう。
チョムロム・デック社から、ウィリヤさん以外の方が描いた絵本に、『水牛になりたくない』というものがあります。
この絵本はなかなかおもしろいので、記事をあらためて書こうと思います。